Last Typhoon




がた、がたぁああああんっ
「ぃや、やだよ・・・やだ・・・やだ・・・」
「来なきゃよかった・・・来なきゃよかった・・・」
うわ言の様に呟く同級生。泣き叫ぶ女友達。
わたしはゆっくり窓の外を見た。
雲の中。真っ白。






わたしは、今、飛行機の中にいる。










その日、飛行機は欠航にならなかった。
中学校最後であり最大のイベント。修学旅行。
わたしたちは沖縄に行くことになっていた。2泊3日の南国生活。
青い海、ハイビスカス、そして燦燦と照る太陽―――――。
東北地方で暮らしている私たちにとっては、夢のような企画だった。





その旅行は10月だった。
だからわたしたちは、台風の心配なんて何もしてなかったのに――・・・
最近、異常気象が続いているからかもしれない。
超大型の台風が、沖縄を掠めてしまった。
私たちは必死に祈った。飛行機が出ますように、飛行機が出ますように。
思い出になるはずの修学旅行に、行けますように。
台風は沖縄を掠めた後、台湾の方に逸れていったお陰で・・・飛行機は運航した。





一度沈んだ心が浮上するこの感覚。心だけが身体から分離して飛び上がるかと思った。神様っているんだ、なんて考えてた。いつもは何も信じてないのに、こんなときだけ信じるなんて現金だなぁと思うけど、でもそんなの関係ない。
ただ、ただ嬉しかった。皆と一緒に旅行に行けることが。





それなのに・・・







「イオ・・・」
「なに、ゆっちゃん。」
「あたしら、死ぬのかナァ・・・」
親友のゆっちゃんこと杜山悠麻(もりやまゆうま)がわたしポツリ、と呟いた。
「ちょ、ゆっちゃんやめてよ。」
「だって・・・飛行機、落ちてんでしょ・・・?今現在・・・」







諦めたような口調。いつもなら誰より快活なのに。
あの笑顔が、明るい声が、今は何も思い出せない。





「あたし、・・・・・・何も考えらんない・・・」
「ゆっちゃん・・・。わたし・・・」
「イオ、何泣いてんの・・・?」





倉田伊織(くらたいおり)。これがわたしの名前。
わたしは、お母さんが付けてくれた名前が大好き。倉田伊織。お母さんの名前――『羽織』から一字とってつけられた名前。お姉ちゃんは倉田奈織。お母さんの子だって自慢できる。
あの空間があったから、わたしはこうやって育ってこれた。幸せな生活をすることができた。いろいろ我慢することはあったけど、何不自由なかったと言っても過言ではない気がする。
わたしは、家族が好き。





・・・そして。






涙を拭おうとそっと頬に手を当てて瞳を閉じた。浮かんでくるのはあの日の紅い空と、あの人の笑顔。大好きなひと。たかが15歳だけど、わたしにとっては真剣な恋。
ほんとうに、ほんとうに、もう会えない?
『楽しんで行って来いよ!』
笑いながらわたしの頭をぽんぽん、と撫でてくれたときの、まだぬくもりが残ってる。
志朗お兄ちゃん。わたしの近所の優しいお兄ちゃん。
お姉ちゃんと同い年で、よく家族ぐるみで遊んでた。わたしは途方もなく志朗お兄ちゃんのことが好きだった。
それなのに、今、ここで、わたしは――想いも何も伝えないまま、このまま、本当に死んでしまうの?





「イオ、ごめん・・・泣かせるつもりじゃなかったんだ・・・」
ひどく疲労した声でゆっちゃんが言う。わたしはゆっちゃんに笑いかけた。
「違うよ。・・・わたしが、悔しかっただけ。」
何もできない自分に。ちっぽけな自分に。
今すぐ死んでもいいと言えるぐらい後悔のない人生を送ってこなかった自分に。





「わたしは・・・死にたくない。」





そう言うと、ゆっちゃんはふっと笑った。
「そうだね・・・そう思う気持ちが大切かもね・・・」
「ゆっちゃん、ゆっちゃんは生きたいと思う何かはないの!?」





ゆっちゃんはぽーっと天井を見つめた後、小さく溜息をついた。
「今すぐ思いつかないってことは・・・ないんじゃない・・・?」
「ゆっちゃんっ・・・」
「あたしはあんたみたいに家族が好きなわけじゃないし、好きな人もいない。好きな歌手も特にない。ま、あんたほど嫌いな人も多くはないけどね。」
「わたし、は・・・」
「だけど、その分あたしを嫌ってる人も少ない。好きになってる人も少ない。何もない。」
ゆっちゃんは、へへ、と笑った。
その笑顔が怖かった。いつもの屈託ない笑顔じゃない。ゆっちゃんの笑顔じゃない。
「死ぬのが怖くないって言ったら嘘になる。だけど、死んだら、死んだときだよ。」





ゆっちゃんは寝るわ、と一言最後に付け加えて本当に目を閉じてしまった。
わたしは、喋り相手がいなくなると、周りの雑踏が急に耳に入るようになった。
「死んじゃうんだ!死んじゃうんだ!!」
「みんなここでおしまいだよ・・・」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「やだーっ、やだーーーーっ」
「ぁぁぁ」
うるさい、うるさい、うるさい―――――。






さっきまであんなに陽気だったのに、どうしてこうなってしまったのか。








とても好きなバンドがいた。彼らの曲に励まされて、彼らの歌に励まされた。そのバンドのボーカルが、志朗お兄ちゃんだった。
昔から志朗お兄ちゃんは歌がうまかった。近所のミニ喉自慢でもよく優勝してた。
だけど、志朗お兄ちゃんが高校1年のある日、急にメジャーデビューのために上京するとか言ってきた日には、誰もがすぐに泣いて帰ってくるだろうと思ってた。
――・・・まさか、いまや音楽界を代表するトップアーティストになるなんて。
志朗お兄ちゃんの歌声は、凄く『妖艶』という言葉が似合う。聴く人全てを魅了するその歌声。そして、お兄ちゃんのパートナーの高橋さんの腕は超一流。高橋さんも、わたしらの町の人だった。でも、ピアノがうまいってことぐらいしか知らなかった。作詞作曲ができるってことも、ギターが弾けるってことも知らなかった。
東京でドラムとベースとキーボードを見つけた、というはしゃいだ手紙を受け取ったのがもう3年も前の話。志朗お兄ちゃんは17歳の時にデビューした。
それから、わたしは彼らの一番のファンである。
最初、わたしは志朗お兄ちゃんの歌を聴かなかった。なんだか志朗お兄ちゃんが遠く離れて行ってしまった気がして寂しかったからだ。だけど、ある日。
―――――この曲、いい。
ラジオで流れててピンと来てしまった曲・・・それがなんと志朗お兄ちゃんたちの曲だった。




わたしは、志朗お兄ちゃんという贔屓目を抜きにしても彼らにはまってしまったんだ。
彼らのデビュー曲は、今わたしのカバンの中のCDウォークマンの中に入ってる。
・・・沈むときは、一緒なんだ。





そんなことを考えて、また震えた。









わたしは、死にたくない。
志朗お兄ちゃんの笑顔を思い出す。優しく笑ってくれたあの笑顔。今年の夏、実家に帰ってきて、チョット大人っぽくなってたあの笑顔。
『お兄ちゃんは、もうずっとこっちに戻ってこない?』
わたしの質問に笑って答えた。
『・・・寂しい?』
寂しいよ!・・・すごく、すごく寂しい。10年以上も隣にいた志朗お兄ちゃんが、気付けばいなくなっていたんだから。だけど、わたしはプイっと横を向いてしまった。
『べっつにーっ』
『かわいくねーなっ。』
お兄ちゃんはわたしの頭をペシッと叩く。それがとてもとても心地よかった。
『・・・もし、さみしーんだったらなぁ、』
『えっ?』
『いつでも電話してくれりゃいーぞ?俺は俺なんだからな。』
『お兄ちゃん?』
『それだけは、忘れんな。』
それは甘い香りのする言葉だった。わたしはお兄ちゃんにとって、ただの近所のガキじゃないという囁きだった。わたしは、それから月一ぐらいでお兄ちゃんに電話した。なかなか繋がらない時の方が多かったけど、そんなときでも、必ず、返事をくれた。
好きだった。誰よりも好きだった。






わたしは、死にたくない。
『いいわねー、沖縄なんて。かーさんはずっと行ってないわよ。』
修学旅行が沖縄に決定した時、お母さんが笑いながらわたしに言ってきた。
『え〜?でも仕事柄行く人間でしょー?』
『もう引退引退。あ〜かーさんも連れてって☆』
お母さんが拳を口元に当てたあの例のふるふるぶりっこポーズで懇願してくる。
『いい年した大人がそんなポーズやめてよっ!』
『なに言い合いしてんの?』
『お姉ちゃん〜。お母さんがこんなことして〜〜〜』
『・・・イオ、あれは他人。』
『ちょっと!奈織!!それはないんじゃないのっ!』
『はいはいごめんなさ〜い』
『奈織ーっ!反省しろーーーっ!!!』
大好きな家族。お父さんはいないけど、母娘3人ずっと楽しく暮らしてきた。お母さんはずっと女手一つでわたしたちを育ててくれた。ずっと、ずっと。
苦労してるとこを見せないための努力をお母さんがしてるのを知ってた。だから、わたしもお姉ちゃんも見ないことにしてた。
だけど、2人とも気付いてた。お母さんが、夜1人でよく泣いてることを。
絶対に将来働いてお母さんに笑ってもらおうと思った。絶対に、絶対に。
だから、わたしはこんなとこで死ぬわけにはいかないんだ。
わたしはこんなとこで死ぬわけにはいかないんだ。







「絶対、生きてやるから。」
ひとり、下を向いてそう呟いた瞬間、飛行機を大きな衝撃が襲う。





がごぉおおんっ






「何!?何なの!?」
「もうやめてよ・・・死ぬなら一思いに殺してよ・・・」
「た・・・すけて・・・」
上がる悲鳴の数々。わたしは落ち着こうとして外を見た。
―――――信じられない光景が見えた。






つばさが、折れてる?








海上に着陸することは間違いないと思っていたけど、このままじゃ――・・・
なんてわたしが思ったのも束の間、飛行機はやはり回転した。







「ぅあああああああああああ!?」





思いっきり左翼の方に傾いた船体。
さっきより心なしか落ちる速度が上がったように思える。
客室乗務員のおねーさんが何か言ってる。けど何も聞こえない。
「わたしは、死ねない。」
わたしはもう一度呟いた。
「わたしは、死ねないんだよ―――――!!!」
やりたいことがたくさんある。まだ見たい未来がたくさんある。
帰るんだ。わたしは、わたしは、あの人たちのいるあの場所に。
こんなとこで死ねないよ。死にたくないよ。
泣き声が聞こえる。皆で黄色い救命胴衣を着る。いや、もう着てる人は数人。皆パニックで何も出来てない。
助けて。そんな声がどっかからかした。助けて。助けて。助けて。
わたしは自分の頭を抱えた。
わたしは、死なない。絶対に死なない。絶対に、絶対に、
「わたしは、絶対死なないっ・・・」
「なに、言ってんの・・・イオ・・・?」
何時の間にか起きていたゆっちゃんがぽーっと、呟いた。
「ゆっちゃん・・・。ゆっちゃんも、絶対に諦めちゃ駄目だよ!ほら、着てよ!!」
救命胴衣を渡すと、ゆっちゃんは目を細めてわたしを見た。
「・・・あたしは、こんな状況もう嫌なんだよ・・・。それなら、いっそ、死ぬから・・・」
「ゆっちゃん!!」
諦めた声。そんな声、そんな声聞きたくない。
「イオ、だから言ったでしょ?あたしには、生きる目的がないんだってば。」
そんな声やめて。やめて。やめてよ!!!





「なら、わたしじゃ駄目?わたしがいるってだけじゃ、ゆっちゃんの生きる目的にはならない!?」





どうしてそんな台詞を吐いたのかわからなかった。ゆっちゃんとは学校だけでの付き合いで、2人ともが表面上の親友でしかないとわかっていたのに。
ゆっちゃんは、気だるそうな顔を一瞬だけ驚きに変えたけど、すぐに首を振って目を閉じてしまった。
「・・・できない。ごめん・・・」





謝る必要なんてないのに。
たぶん、わたしは、ただ、仲間が欲しかっただけだったのに。








「いやだよ―――――。」








口にした言葉は、誰の耳に入ることなくその喧騒の中に埋もれて行った。
もう、皆の叫ぶ声も掠れてきている。







雲の中を抜けた。船体はさらに大きく揺れる。何かに捕まっていないと、息すらできない。
がこぉおんっ
今までで一番大きな揺れで、ゆっちゃんが飛び起きた。そしてしっかりと前の椅子を掴む。
ゆっちゃんの目から涙が落ちた。







「でも、でも、ほんとは、ほんとは、―――――死にたくないよ・・・」








誰だってそうだよ。誰だってそう。
死ぬことを望んでいる人間なんていないよ。





わたしはゆっちゃんに向かって大きく頷いた。泣いてしまって何もできないゆっちゃんの変わりに、ゆっちゃんの席の救命胴衣を取り出し、ゆっちゃんに着せた。
ゆっちゃんは何度も何度もありがとうと呟いた。






死にたくない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない。
200人ちょっとのその思い、どうか神様聞いてくれませんか――。













「もう、駄目だよ・・・」








誰かが呟いた。






「もう、絶対死ぬんだよ。」
「そうだ、死ぬんだ。」
「そっか私死ぬんだ。」
「死ぬんだ」
「死ぬんだね」
「死ぬ」
「死ぬ」
「死ぬ」
「死ぬ」












死ぬの。
わたしは、死ぬの?







水面が近づいてきてるのが、なぜかわかった。
窓は真っ白でもう何も見えないのに。
ゆっちゃんはただ泣いていた。ガタガタ震えて泣いていた。
これから来る、死への恐怖で。








死への恐怖?









わたし、やっぱり死ぬの?












「死ぬんだ。」
「ここで終わり。」
「もう駄目だよ。」
「死ぬんならいっそ一思いに」
「家族に連絡できないかな」
「おかあさん。」
「おかあさん。」
「おかあさん。」
「おかあさん。」










おかあさん、おねえちゃん。
しろうおにいちゃん。









「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」












水面が見える。きらきら、きらきら。
太陽の光を反射して。きらきら、きらきら。









「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」
「おかあさん」





















おかあさん。
おねえちゃん。
しろうおにいちゃん。


























   わたし―――――・・・ここで・・・。

























急に世界が色づいた。
わたし、なんか凄く冷静。







鞄のチャックを引きちぎると、中からCDウォークマンを取り出した。
わたしのレクイエムは決まっているんだ。
わたしがこの曲を聴いたその瞬間から。









「志朗お兄ちゃん、わたしが死ぬこと知ってたの――?」
苦笑しながらひとりそう呟いた。
独り、泣いて、泣いて、泣いて、そう呟いた。






志朗お兄ちゃんたちのデビュー曲、「Last Typhoon」を聴きながら。




























ど か ぁ ん
2004.10.22.
台風の上空を飛んだ揺れた飛行機から帰還して。








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