「夏なんだから、トーゼンでしょーがっ。」 「でもさぁ〜。嫌なモノは嫌!!」 そう、怒鳴っているのは私、酣皐月(たけなわさつき)。高2。 私の高校主催の『夏期強化セミナー』に参加してる。 「半井(なからい)ッ!半井梢(こずえ)ーー!!」 「わわ、呼ばれてるっ〜行って来るわ。」 「あいよっ。」 この『夏期強化セミナー』っていうのは、近隣の高校3校とウチの学校が誘い合って毎年行っている、勉強のやる気ある者だけを集い、ミッチリ鍛え上げようという企画。 高1のとき、先輩に勧められて参加したら、本当にタメになったから、今年も参加することにした。 ――ま、理由はそれだけじゃないんだけども。 3泊するんだけど、去年の合宿所より今年の合宿所の方が広かった。 けど、それと引き換えに、エアコンが効かない効かない。 おかげで、最初の授業が終わって廊下に出た瞬間、暑かったというわけ。 ボーッと外を見ていた。 「タケっちー。」 「あいよっ?」 「次の授業、どこだっけ?」 「んー・・・ごめ、自分のしかわかんないや。」 「そだよね〜。あたし、どこなんだ!?」 友達がオタオタしながら歩いていった。 私、自分のだって把握してないのになぁ〜・・・なんてちょっと笑いながら、私は見送る。 ココロ此処に在らず。 そりゃ、勉強しに来たよ。だけど、それだけじゃやってられない。 外は、小ぶりの雨。 だからこんなに蒸し蒸しするんだなぁ。 私、この雨の中、大慌てで走ってくる君の姿、考えてた。 ずっと君だけを待ってるよ。 やりたくないことも、何でも君のためなら出来る。 君に会えるなら、どんなに疲れてても頑張れる。 君の笑顔が見れるなら。 ◇◇◇ 「皐月、だいじょぶ?」 「―――――えっ?何だって?」 「皐月・・・。」 「ごめんて。ちょっとボーッとして聞いてなかった。何だって?」 「いや、ずっと元気ないから。」 「そぉ?」 私はポリポリと顎を掻く。2日目の夜のことだった。 確かに、私の学校には化学の先生は2人いて、どっちが来るかわかんなかったけど。 わかんなかったけど――でも、やっぱり、ね。 「・・・来るかなーって・・・思ってたから。」 「・・・先生?」 「そ。・・・でも、来なかったから。」 君はどうして先生なの? どうして、自分から会いにいくことも、メールを気軽にすることも出来ないの? 「そっか。・・・でも、化学明日も明後日もあるんでしょ?」 「ウン。」 昨日は、なかったけど。 「明日と明後日に希望持っとこうよ。今日は、とりあえず寝よう?」 「ごめんよ、梢。」 「な〜にが?」 「・・・ありがと。」 明日と明後日。 君は今忙しいの?どうして今日来てくれなかったの? 大好きな化学に身が入らない。 親友の梢すら困らせる始末。 いかんいかん、私らしくないぞ。 教師を想うと決めた瞬間から、ただ好きでいればそれでいいと・・・ そう想ったはずなのに。 会えるんじゃないかというほのかな期待が裏切られただけで こんなにココロが痛いなんて。 雨は、ずっとしとしと降り続けていた。 ◇◇◇ 「・・・というわけで、今日も私が持つことになりましたが・・・」 4日目。 どうして? 「それで、ここでマレイン酸はシス型なので・・・」 何で? 「アミド結合には必ず気付きましょう。」 結局。 「ベンゼンと臭素では置換と付加のどちらが起こるかと言えば・・・」 会えなかったんだ。 4日間、この高校に関わるイベントに参加して。 結局、この学校の教師である君の姿なんて、見えなかった。 「では、プリントをやってみましょう。」 窓の外、きっと君は走ってくると思ったのに。 台風が近づいてて、雨と風が吹き荒れる、外。 君は今何しているの? 君は今何処にいるの? 「本当はですね、今日は先生じゃなかったんですよ。」 え? 「でも、もう1人の先生が、到着する時間までに来れなくてですね。」 どゆこと? 「急遽、先生がまた持つことになりました。」 先生が笑いながら言う。 もう1人の先生である、君は・・・どうして来ないの? 「連絡、とれないんですか?」 思わず聞いてしまった私。先生は驚いた顔で私を見つめる。 「んー、そうだなー、まだ取れてないみたいだな。」 どうして? 何が、何があったの? プリントなんかに身が入るはずもなく、外を見ていた。 雨が斜めに降っている。木々は大きくしなっている。 こんななか、君は車の中にいるの? 「あっ。」 見覚えのある紺のシャリオ。君の車。いつも綺麗になっている君の車、今日は泥だらけ。 「どうしました?」 こっちの先生の言葉なんて私にとっては無意味。 別に他の先生が嫌いなわけじゃないの。 ただ、君のことが好き。 この暴風雨のなか、いきなり私は窓を開けた。 「ちょっ・・・酣さん!?」 そんなに高い位置にないし、2階といえど近くには木がある。 それよりも、君に会えたことが嬉しくて。 「先生ッ!」 私は、窓から飛び降りた。 木の中に飛び込んで、葉っぱを擦りながら、落ちる。 結構なことをしたと思うんだけど、君はそんな私をボーッと見つめていた。 何も動じないで。 「おー・・・酣さん。」 「先生、どうして遅れたんですか?」 少し息を切らす私。雨の勢いは強くて・・・腕が痛いぐらいだった。 「台風のせいかもしれんけど、渋滞。」 「そうですか・・・。」 会話が、途切れる。 私は先生と満足に会話できたためしがない。 いつも先生の真っ直ぐな瞳を直視することが出来ないから。 でも、今日の私は違った。 先生の瞳を、しっかりと見つめ返す。 「今、理科なんですよ。」 「おー、マジで?」 「化学もやってます。」 私は、もっともっとしっかり先生の瞳を見つめる。 「私、先生のこと、待ってました。」 「行かないかんなぁ。」 先生は、私の言葉なんて聞いてないようにボーッと私が飛び降りてきた窓を見つめた。 「先生?」 「道が混んどってさー・・・」 「?」 「追い越そうとしたん。」 先生は、笑った。 そのときになって、私は急に気付く。 どうして車だけじゃなくて、先生も泥だらけなんだろう。 「堤防の上を走っとったんやけどさ。」 雨は、強く強く降り続いてる。 「川原に落ちてまって。」 先生は、びしょぬれになった短い髪の毛をかき上げた。 どうして、傘を差していないんだろう。 「・・・車大丈夫かなー思って、外に出たん。」 先生は、そっと私の肩に手を掛けた。 「待っとってくれてありがとうな。」 「先生・・・?」 「おれ、すこしだけお前のこと・・・他の生徒以上に思っとったかもしれん。」 「せんせい?」 「車、中途半端な坂道にあったらしくてなー・・・降りた瞬間、また転がってきたん。・・・おれ、潰されてしまって。」 「先生!?」 先生の身体、消えかかった気がした。 「ちょっと行った堤防の下におるから、波がおれを運んでしまう前に。」 「何言ってるの?やめてよ、先生。」 「ありがとなー・・・・・皐月。最期に会えたのは、お前やったな。」 「私、ずっと待ってたんだよ?先生だけを!!!」 「ありがとうな。」 先生の車も、姿も、笑顔も、全部――――― 一瞬にして、消えた。 せ ん せ い ? 「ちょ、何やってるの皐月!?」 「酣さん?大丈夫か!?」 「独りでこんなとこで濡れながら叫んで・・・風邪引くよ?」 「ほら、バスタオル。身体よく拭いて。」 「駄目。」 「え?」 「先生は、堤防の方に行って下さい。」 「え?」 「いるんです、そこに――・・・」 「誰が?」 『私の大好きな先生が。』 ずっとずっと 君のことだけを待ち望んでいたよ。 ねぇ、先生。 ねぇ、先生・・・ |