V A I O 86
 
 
 
 
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「この場所からはさっさと出よう。」
最初にそう言ったのは俺だったのか、雪だったのかはよく覚えていないが・・・とにかく、2人とも、こんなところを出たかった。
ただ、別れを示唆された場所から逃げ出したかった。
「行くの?」
本当に同情しているような・・・憐れむような瞳で俺たちを見つめながら尋ねるジュエル。俺はそんな顔をいちいちするジュエルに死ぬほど腹が立った。
「・・・日本語は、教えることは出来ませんが。」
あくまでも下手に出る俺たちに、ジュエルは小さく笑った。
「・・・貴方たちを束縛なんてしないわ。好きなように生きなさい――。」
 
こんなに、誰かの死を願ったことはなかったかも知れない、というぐらいジュエルの言葉が俺の神経を逆撫でする。そんな俺を見かねてか、雪は小さく俺のスーツの裾を引っ張った。
「行こう、悠?」
俺は、ゆっくり雪に微笑んだ。決して守られてばかりじゃない――・・・俺を、引っ張って行ってくれる雪。
雪・・・本当に――・・・
 
「ハルカ、ユキ!」
エリカが俺たちに話し掛けてきたが、その顔に笑みはなかった。
「・・・・・・気をつけてね。」
俺は静かに瞳をエリカに向ける。
「当たり前だ。」
お前らに教えられることは何もない。
 
こんなことなら、別の建物もたくさんあったんだから――・・・そこから見ればよかった。何が未来を視る力。勝手に言ってろ。俺は、確かに死ぬかもしれない。だけど、俺がいなくても雪が1人で普通に生きていけるなんて・・・
雪が俺がいなくてもいいなんて、俺を必要としていないなんて、
「アリガトウゴザイマシタ。」
思いっきり片言で言ってやって、静かにそのドアを開ける。ドアは音1つ立てないで開いた。流石スイートルーム。
全てにイライラする。何が、何が、何が、
 
「悠、大丈夫だから。」
 
後ろで雪が呟いた。
にこっ、と――・・・あの微笑で俺を見つめる・・・。俺の、俺の、全てを掛けられる微笑みで。
『大丈夫だから』なんて・・・さっきの俺が、自分のイライラした気持ちを覆い隠すために・・・雪に当たって吐いてしまった言葉なのに・・・。どうして、こんなにも温かく聞こえるのだろう・・・?
俺は、静かに胸の内ポケットの中にある物に手を当てた。ここには、聞き込みの最中にこっそり買った・・・アレ、が入っている。
「――ありがとう。」
 
隣にいてくれて、そして、俺を・・・。
 
 
 ◇ ◇ ◇
 
 
「ありがとうございました。」
フロントの男の言葉を背に受け、自動ドアが開いた瞬間だった。
パァン
軽い音がして俺の頬が擦り切れた。
「な・・・?」
俺と雪が出そうとした一歩を停止して、振り返る。
パァン
もう一発。今度はホテルの自動ドアのガラスにぴしりとヒビが入る。割れなかったのは、防弾ガラスだからか。
パァン
さらに続けて。
 
そして、はぜ割れたコンクリートを見つめて舌打ちした。
音自体は大したことないが、どうやら殺傷能力は十二分にありそうだ。
俺は雪を弾と反対側に回し、辺りを見渡した。・・・と、近くのコンビニの入り口に男が銃を構えて立っている。
「・・・ンな・・・目立つところに。」
俺は小さく溜息をつくと、雪の手をしっかりと握った。これが何時の間にか「走るぞ」という合図になっている。あんなに目立つところにいられたら、いくら俺が考え無しだとしても、何かの罠だとか思うだろうが。わざと見つかるようにしやがって。向こうの方がもっと考え無しだ。
俺は、雪に一瞬目配せすると地面を蹴った。全速力で走り出す。コンビニの前にいる男はいきなり動き出したことに驚いたのか、もう一発ホテルに向かって発砲した後、俺たちの後を追ってきた。
また、誰かにこうやって追われるのか・・・。
「雪・・・」
「悠っ、私、絶対、ついて、行くから!!」
切れ切れの息の下、にっこりと笑った雪が堪らなく愛しかった。
死んでも、死ぬものか。
 
いくら走っても走っても、男は諦める気配がない。・・・ここまでしぶとい奴も久しぶりだな・・・?いつも、こうやってアメリカ人に追われるときというのは、多少走ればすぐに撒けるものだったが。
もしかして、新手の何かか?
―――――ケリー?
俺は下唇を噛み締めた。そういう可能性がいつもより高いということは、いつも以上にちゃんと逃げないとまずいということだ。しかも俺は残念ながら小中高、と運動部に属していなかったため体力が秀でているということはない。雪もその辺は皓にあまり弄ってもらわなかったらしく、体力は普通の女並しかない。
おそらく、そろそろ・・・雪に限界が来る。
「雪、大丈夫か・・・?」
「だいじょう、ぶだよ、絶対、遅れ、な、いから、」
顔色が真っ白だ。血の気が完全に引いている。・・・これ以上走らせると・・・。だが、俺にも雪を抱き上げたまま走るような体力は残っていない。2人そろって野垂れ死になんて真っ平ごめんだ。
俺は辺りをキョロキョロ見渡した。足がもつれかける。だ、め、だ、相手との距離を詰めさせるわけには・・・
パァン
何度目かわからない発砲。
雪が咳き込んでいる。相手との距離が詰まっている。
相手の顔まで確認できる。駄目だ――・・・だめだ、死んでしまう・・・雪が、俺が、2人が、
ついさっき言われたジュエルの言葉が頭を過ぎる。
俺は死ぬ?そして雪は、生き残る?
 
雪にとって、俺は必要ないのか?
 
俺は動きを止めた。そして、雪の顔を見つめる。雪は虚ろな目をして、俺に雪崩れ込んできた。
「ごめ・・・悠・・・ごめんね・・・」
俺が死んだら、雪も死ぬ。はは、それが正解だろう?どうして俺が雪にとって必要ない?雪がどうして1人で生きていける?生きて行けるわけがない。俺がいなければ、もう既に殺されているじゃないか。何度、俺が・・・。
俺は少し笑みを浮かべると、雪を俺の後ろに回して身構えた。
あぁ何度目か?そして、何人目か?
ここに来て、こうやって、・・・・・・
「悠・・・」
雪の心細そうな疲れた声がする。
「・・・大丈夫だから。」
何度言ったかわからないその台詞をもう一度繰り返す。大丈夫だから、側にいるから。何があっても俺は死なない。雪も死なせない。
雪は俺がいなきゃ生きていけない。俺も雪がいなくては生きていけるはずが無い。死ぬのなら、2人同時だ。
「雪、約束だ。」
「・・・悠・・・?」
「何があっても、2人は一緒にいる。・・・絶対に。」
雪は乱れた息の中、大きく頷いて、俺の腕にしっかりと掴まった。何があっても守るべき約束。これが、俺の道標。
 
しかし、止まっている俺たちを見ても、走ってくる男は顔色1つ変えず俺に照準を定めた。―――――この男・・・?
「おい、お前・・・?」
俺が声をかけるが、男は引き金を引いた。
パァン・・・―――――どちゅっ
その弾は俺の左胸を貫いた。
 
しまっ・・・
全てが真っ赤になるような衝撃を全身が走りぬける―――――
 
 
 
ぐにゅるっ
 
 
 
聞きなれた"回復音"。崩れかけた俺は、踏みとどまった。
「い・・・・・・たいな・・・・・・」
恨みがましい瞳を男に向ける。男は動揺しきった顔で、もう一度俺に照準を合わせた。
「その銃じゃ、何度撃ったって俺は死なない。」
俺はさらりと言ってのける。男は顔を顰めたが、もう一度撃った。
パァン―――――
しかし、その弾は俺の身体に掠ることなくあさっての方向へ飛んでいった。
 
はぁ・・・この男、何なんだ?
俺を『鷹多悠』だと認知している人間が、こんな"普通の"銃を使うはずが無い。大抵、俺たちが止まって照準を合わせられたときに口の端が笑う。そう、端から見たらただの銃にしか見えないが、本当は違うというその余裕が・・・どんなプロにでも一瞬だけ緩みを生むのだ。
しかしこの男は、まるで俺たちではなく普通の人間を相手にしているような顔つきだった。
だから、俺はその弾を受けたのだ。
 
しかし、俺を鷹多悠だと知らない・・・ただの日本人だと思っているにしては、やけに諦めが悪い。
ケリーでもない、新手の何かか・・・?
「お前、何がしたいんだ?」
男は、俺が動じずにさらに質問を重ねるのを見ると――・・・銃を引っ込めて、身を翻した。
 
あそこまで俺たちを追いかけてきたのに、息一つ乱さない――そしてまたあのスピードで走っていく。鍛えられたプロ?・・・その割には、『俺』に関する知識が抜けすぎな気もするが――・・・
俺と雪は、呆けてその男の去っていく方向を見ていた。そう、意味のわからない男相手に、完全に気が抜けていたのだ。
 
突然、ドン―――――というくぐもった音が聞こえたかと思ったら、そのまま右手が打ちつけられる――誰かが俺たちを吹っ飛ばしたのだと気がつくのはもう少し後のことだった。・・・しかし、頭が叩きつけられることはなく、俺にとっての重力はあっと言う間に逆さまにかかった。
―――――・・・?
ゴンッ・・・真っ暗闇の中・・・いきなり頭に衝撃を受け、意識が――飛ぶ―――――。
 
 
 ◇ ◇ ◇
 
 
まぁ、意識が飛んだのはそんなに長い時間ではなかったはずだ。なぜなら、俺は『VAIO』感染者だから。銃で身体を撃たれても、死にそうになるほどの激しい痛みを感じるぐらいだが、やはり脳に衝撃を受けると毎度ながら一瞬世界がブラックアウトする。
どうやら、俺は・・・何か、地下通路にでも落ちたようだ。辺りはほとんど真っ暗だったが、ところどころ少しだけ明かりがあるらしく、段々と周りが見えてきた。
足を動かすと、かたんと小さな音がした。身体の異常は全て治ったようだ。身体に違和感は無い。
 
・・・まさか、な・・・。俺はひとり苦笑した。あそこまで「死なない」と決意したくせに、こんなところに落ちてしまうとは・・・。相手がケリーの手の者なら、今日既に2回は死んでいるかもしれない。
上を見上げた。穴の存在も確認できたし、あそこから外に出られるのかというのも確認できたが・・・気が遠くなるほど高くにあった。梯子などもない。この穴は一体何に使うんだ?
俺は溜息をつき、そして自分の隣を見た。
そう、そこにいるのは―――――・・・雪であったはずの。
 
心臓が、大きく、打った。
 
 
 
コメント:
2005.05.30.UP☆★☆
アップが久しぶりになってしまった;
ところで、はーくんは高校時代何部だったと思います?

 
 
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