叫び声ひとつ上げず、彼の前から姿を消した。

あれが奇跡の再会だと思ってた。

これ以上の奇跡など起こり得ないと思ってた。



でも、もし、今私の前にいるのが本当に彼なら、





これが本当の奇跡だと思う―――――。

 
 
 
 
 
奇跡の日 
 
 [もう、会えないかと思ってた。]

此処が何処だか、確証はないけれど…でも、少しだけわかった。

 ――僕もだよ。

頬に触れた手は、冷たい。

 […ごめんなさい。]

彼は笑った。

 ――謝る必要なんてないよ。

 [……でも、謝りたいの。貴方だけじゃなくて……私自身にも。]

彼の笑みはもっと穏やかになった。

あぁ、そう、これよ……これが欲しくて、欲しくて、堪らなかった。

けれど、私はあの時―――――…

2人目の子どもを孕んだ時に、彼と笑い合う権利がなくなったことを知っていた。

こうならない限り、笑い合えないことを。



彼は、笑っていた。



 ――今なら。

彼は続ける。

 ――僕は神をも信じることが出来そうだよ。

私の頬に当てた手を、そっと動かす。

私の表面を覆っていたモノが剥がれ落ちる。中から出てきたのは、そろそろ肌に皺も出てきたような…中高年の女の肌。

剥がれ落ちる前の20代そこそこの状態とは大違い。

 [見ないで…]

 ――どうして?

彼は、笑った。

 [私、もう綺麗じゃないもの……]

知っていた。あいつが持っていたものが…危険であることは。

知っていた。……他の男と交わることの罪の大きさを。

それが私の2人目の子どもであり、私のこの顔だった。

でも、彼は笑っていた。

 ――綺麗だよ。



彼の目尻の皺が、とても温かかった。

私の周りに纏わりついていた『若さ』が全て剥がれ落ちた時、初めて私は彼と真正面から向き合えた。

 [ごめんなさい…]

出てくるのは、謝罪の言葉ばかり。

どうして?

…もっともっと、伝えたいことがあったはずなのに。

 [本当に、ごめんなさい…]

彼は、私の顔を優しく両手で包み込んだ後、唇を重ねた。



50代半ばなのに、そうやって若かったあの頃と同じように接してくれる彼。

私が4人目の子どもを孕んだ時、最後に言った彼の言葉が蘇る。



『君を本当に愛している――けれど、さよなら。』





2人目の子どもがいることが彼にばれた時、もう終わりだと思った。

彼と別れるとき、1人目の子どもだけ私が引き取ることになったから…

あいつの目の前で1人目の子どもと一緒に心中してやろうかとも思った。

だけど、出来なかった。

あいつはあいつで、私を本当に愛してくれていたから。

馬鹿だったのは私だけ。

永遠の若さに目が眩んで…夫がいるのに、他の男と交わってしまった私だけ。

あいつは、私のために何かをすることが嬉しそうだった。半ば自暴自棄になっていた私は、ただ力が欲しかった。

私たちの利害は一致していた。

私が死ぬ理由などなかった。



私はあいつの元へ行ってからの自分も嫌いじゃなかった。

けれど、彼だけには見られたくなかった。

汚れてしまった、私を。

永遠の若さと引き換えに、本当の美しさを失ってしまった、私を。





だけど、彼は其処にいた。

あの時より老けた顔をしていたけれど、違わぬ笑顔で…其処に、いた。







そして私は其処で終わったんだ。

私の終わりは、あいつと、彼と、あいつの弟と。

私の5人の子どもの父親3人の前でだった。

だけど。

私は、あいつより、あいつの弟より、誰より………











 ――君と会えたことだけが嬉しいんだ。

彼の言葉はさらに続いていた。

 […貴方のリップサービスには、飽きたわ。]

つんと突っぱねる。彼を遠ざけるような口調で。

けれど彼は私を離さない。



 ――きっと、神はいるんだね。

 [………。]

 ――こうやって、奇跡を起こしてくれたんだから。



白い空間。もうすぐ、私たちの魂は分解されて無へと還るのだろう。

だけど、私たちが終わったのがこの日の近くで本当によかったと思った。

本当に消える前の、最期の奇跡。



 [クリスマスを祝ったのなんて……貴方と一緒にいた、数年ぐらいなのに……]

数年ぐらいなのに、クリスマスがいいイメージしかないのはなぜだろう。

 ――そうだったのか…

彼はふっと笑った。

 ――僕たちは、いつも祝っていたよ。…今日ぐらいは、君が帰るんじゃないかと待ち望んで。



家を出てからずっと、彼の家には寄り付かなかった。

なぜなら、会いたくなかったから。

彼の中の私のイメージを、変わってしまった私で塗り替えたくなかったから。



 [……ごめんなさい…]

 ――どうして謝る?

 [嘘だったの…]

 ――?

 […会いたくなかったなんて……生きてて欲しくなかったなんて…]

20年以上ぶりの再会。

私だけが若くて、彼は年を取っていた。

けれど、彼は生きていた。

 [……生きててくれて、ありがとう。]

 ――君こそ。

彼は微笑を絶やさない。

 ――ま、最も僕らはもう死んじゃってるけど。

 […も、いいよ……]

私も彼の背中に腕を回した。

 [貴方がいない世界になんて……興味、ないもの…。]





彼の、その、嬉しそうな顔…たとえ魂が分解されても、忘れないよ。









神様。

こんな素敵な奇跡をありがとう……。

メリー、クリスマス。

 
 
 
2004.12.07.UP
「VAIO」番外編その3。誰の話かは、明言はしないでおきます。
幸せなんだか、切ないんだか。(遠い目)

 
 




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