S+Q+U+A+L+L
私は一体だれなんだろう…
私は一体何してるんだろう…
「タケっち!ねぇねぇ、昨日の宿題やってきた!?」
「私がやるわけないじゃんかっ♪」
「相変わらずだなぁ〜」
高校2年の冬、いつもの風景。
「あ、こずリン!やってきた?」
「やってきたよ!」
クラスの子に聞かれていつもの返事をする私酣皐月(たけなわさつき)と、……いつもと違う返事をした、親友の半井梢(なからいこずえ)。
「え、えぇぇ!?やってきたの!?」
「だって、流石にそろそろ私らも…本腰入れて、勉強しなきゃ。」
………………。
うん…そうだよね……。
センター試験まであと1年ちょっとしかない。
どの先生にも言われてる。一応進学校と言われる高校なわけだし、周りだってそのムード。
でもね、何だかそんなのいや。
「確かに時間ないのはわかるけどさー、そんなに焦らなくてもよくねー?」
私が面白く無さそうな顔をして言うと、梢は曖昧な笑みを浮かべた。
「でも、1年しかないんだよ?私は大学に行きたいから。」
何その言い方。
私だって行きたいよ。
私だって誰よりも行きたいよ。
……それでも、勉強を頑張っている人に同意なんて出来ない。
◇◇◇
「酣さんが…夏に、辛い出来事にあったのはわかるのですが……」
三者懇談。この三者懇談は、全員じゃないんだ。
先生が『こいつはヤバイ』と思った生徒相手に、強制で行われる三者懇談。
「……だけど、夏以降の成績の落ち具合が……」
担任の数学の森脇先生。40代半ばの中年。雰囲気は何処にでもいそうなオジサン。…けど、凄く物腰が柔らかくて、生徒から大人気ってわけでもないけど、嫌いな先生には絶対にランクインしないタイプ。
「はい…。まさか、……」
母さんが落ち込んだ声で話す。
……私は、笑いながら言う。
「先生、心配してくれなくても大丈夫ですよ?」
そう、私はもう大丈夫。
先生。
「先生、私、夏に………全て吹っ切れましたから♪」
おちゃらけた明るい調子で話す。
けれど…先生も母さんも曇った顔をするだけ。
もー、何なんだよ。私が大丈夫って言ってるんだから、それでいいの!!
「酣…。成績、どうにかならんか?」
それは。
「そう、夏までなら…本当に志望校にも余裕なぐらいで…むしろランクアップをお勧めしたかったのですが……」
先生は下唇を噛んでいた。
「…今のままでは………」
今のままでは…
「先生。」
私は極力明るい声を出した。
ま、実際気にしてるわけじゃないんだからいいんだけども。
「何だ?」
「私、その大学に未練なんてないですよ?」
「……え?」
先生と母さんが同時に声を出す。
「そんなこと…」
「いいんです。…っていうか、大学に行けなくても。」
行きたいのに。
「酣!?」
「いいんですよ、もう。」
「お前、しっかり…」
「やめてくださいよ、……いいんです。」
何もよくない。
「皐月!いい加減にしなさい!!」
母さんが叫ぶ。
「好きな人がいなくなって…悲しい気持ちもわかるけど……」
そんなレベルの話じゃない。
「だけど、だけど、そんなことで一生を棒に振ってしまうの…!?」
そんなこと?
今、この人は何て言った?
“そんなこと”?
「一生なのよ?今だけじゃないの…。あんただってわかってるんでしょ!?もうこれ以上困らせないで…。」
「うるさい。」
呆然とする母さんと先生。
あ、私、今声出てた?
あっちゃー。
しまったなぁと思いつつ、私は席を立ち上がる。
「ま、放っといてくださいよ。」
「酣!?」
「…願書出す時に本当に駄目だったら、また考えます。」
あと1年、待って。
貴方たちの考えは何もまだ聞きたくない。
だって、自分が間違っていると思えてしまうから。
言ってしまって後悔することが、嫌と言うほどある。
私は、浅はかだ。
思ってもないことしか口に出ない。
しかも口に出ることは、浅はかだ。
こんなこと考えてないって思うのに、言ってしまう。
私に対して…先生も、母さんもがっかりしたのだろう。
『それでもいい』なんて言えない。
嫌だ。
今まで積み上げてきたもの、その全てが崩れていく。
友達も離れていく。
最初は真面目じゃない人間の方が気楽だから寄ってくる。
けれど、現に…今。
私の隣にいたはずのクラスメイトは、全員真面目な梢に寄っていく。
きっとすぐに私はひとりになるのだろう…。
私は…誰にも助けを求められない。
助けを求める人は、もう此処には―――――
此の世には、いない。
手を伸ばしても何も掴むものがなくて、
そこはかとなく悲しくなる。
笑うことは簡単だけど、泣くことは難しい。
涙を流していても、私は泣いていない。
ねぇ、先生。
どうしていなくなってしまったの?
前だってただ週に2回の授業のときに会えただけ。
それでも私は、私は、私は、
会えなくなってから、何かが変だよ。
だって、此処には、先生がいないんだよ。
先生がいないの。
先生が、此処に、いない。
私の心の中にもいない。
何処にもいない。
瞳を閉じても、君の笑顔を思い出すことが出来ないよ。
ねぇお願い、だから、だから、
もう一度笑ってよ。
私は君の生徒でいたい。
君とのつながりを永遠に保っていたかった――
どうして口では君を否定してしまうのだろう。
どうして口では大丈夫だと言ってしまうのだろう。
夏以降、私は誰にも助けを求められない。
抱き締めてくれる人間などいない。
私はひとりだ。
私は、私は、私は、
君の面影だけを追っているよ―――――……
「皐月?」
「あ、梢。」
「……まさか、皐月三者懇談だったの?」
「んー、まぁね。」
外は大雨で、傘を持ってなかった私が靴箱でモタモタやってたら、梢に話し掛けられた。
梢の瞳は、私を冷たく見下ろすだけ。
ついに、このときがやってきたんだ。
「あんた、どうしちゃったの!?」
「え?」
「いくら先生が死んじゃったからって――」
オトナたちが憚って言えなかった言葉もポロッと言う。梢は、子どもだなぁ。
「あんた、もったいないよ!」
そう言われても。
「ちょっと真面目にやればいいだけじゃない。」
もう手遅れです。
「私は、何だかんだ言ってもちゃんとしてた皐月といたいよ!!」
あなたがどう思おうと、私は私。酣皐月。
「私、考えてるんだよ?」
「えっ?」
「だって今ごろから焦ったってしょうがないじゃない。絶対中だるみするだけだもん。だから私はまだいいの。絶対に大丈夫だから。少しずつ頑張る。」
「……そんなの…急がなきゃ駄目だよ……」
「焦りすぎだよ、梢。私を見ならないなって。」
嘘。一番焦ってるのは私。
「でも、先生達も……みんな、やれって言うじゃない!」
「先生なんかに頼っちゃ駄目だよ。私は自分の思想と相反する先生の言葉なんて聞かないよ?聞くだけ無駄じゃない。私の思想をたぶらかさないで欲しいし。私はあんな人たちの言葉なんて何も聞きたくない。」
そんなこと思ったことあったっけ。
私が授業で眠ってしまっているのは、どうしても耐え切れなくなったからじゃなかったっけ。
なんとなく『寝なきゃいけない』っていう変な意地があったからじゃなかったっけ。
「皐月…」
「ほら、落ち着きなって。もっと前を見据えないとできることもできなくなるよ?」
梢はぐっと押し黙った。
けれど、しばらくの沈黙の後、頭をブルブルッと振って、言う。
「駄目なのは、皐月だよ…。」
「え?」
「どうして、先生たちのことを馬鹿にするの?」
馬鹿にしてなんかない。
教師という職業を。
君と同じ職業の人たちを。
「……ごめん、私は皐月の言葉より先生たちの言葉を信用するよ。」
離れてゆく。
待ってよ、待って。
どうして口は滑ってしまうの。
『心の中に思ってることをついつい口に出してしまう』じゃないんだ。
『心の中にありもしなかったことを口に出したことで心に植え付ける』が正解。
けれど、こんなことを言ったって、誰が気付いてくれる?
心の中を読める人間なんていないんだ。
言葉こそが全てなんだ。
だから、私の口をついて出た言葉は、私の『心』。
あぁ、君を私は憎んでいるのかな。
いくら後ろを追いかけても、何も振り向いてくれない君を憎んでいるのかな。
だから、こうやって君を馬鹿にしたような発言をするのかな。
「そうだね。」
どうして何も言えないの?
どうして私は笑顔で頷くの?
梢は、小さく「ばいばい」と言うと、身を翻した。
あぁ、これで。
これで、ひとりになってしまった。
好きだから馬鹿にしてしまうんだよ。
好きだから貶してしまうんだよ。
本当に思ってるわけじゃないんだよ。
だれか、だれか、
たったひとりの私に気付いて。
私?
私って、だれ?
何?今どうして此処にいる?
痛い。胸が痛い。
下着がきついのかなー…リュックが重いのかなー…。
痛いよ。胸が、痛い。
泣けない。涙すら、出ない。
泣けない。
代わりに空が泣いてるね。雨は降り止みそうにない。
ざあざあ。ざあざあ。
あぁ、そうだ、君がいなくなってしまったあの日も…
こうやって雨が降ってたね。
先生……
「どした?酣。」
「―――――え?」
雨の中、真っ直ぐな瞳をした…ひとが、立っていた。
「そんな間の抜けた声だすなよ、もうおれのこと忘れたか?」
皮肉るような口調。
忘れるわけは、なかった。
「しっかりしろよなー」
もうしょーがねぇなーこいつは、そんな口調で左目だけを少し細める。
「おれ、お前に化学を教えただけやったけど」
私の瞳を、じっと見てる。
「なんか、お前を悩ませとるか?」
「そんな……こと、ないです!!」
叫び声に近かった。必死になって言った。
「深く考えんでええで。」
腕を組んで、さも当然と言った顔で。
「おれ、英語の点数ヒトケタやったけど、大学入れたし。」
ゲホゲホゲホッと思わず咳き込む私。
「そ、そんな痛い話しなくても…」
「お前にやったら、話せるから。」
その笑顔が――いつもの優しげな笑顔が――淋しくて、悲しそうに見えた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ。
涙が出た。
あー…私……泣いてる………
「おれ、死んでから気付いたんやけどさ。」
私がはっと顔を上げて見つめると、恥ずかしそうに鼻を擦った。
「なに、遅すぎるって?」
「………。」
死んでからじゃ何もかも遅いけれど。
「お前に、本当に救われとったらしい。」
「―――――?」
「疲れててもさ、お前楽しそうに授業聞いてくれとったやん。」
手が、私の頭に伸びた。
「ありがとうな。」
そっと撫でる。
体温が伝わってくる。感触だって普通にある。
「だから」
少しだけ頬を赤らめて、照れながら続けた。
「笑えよ。」
そして、“あの時”と同じように…
揺らいで、消えた。
せん…せー………
何だか、何だか、胸が温かい。
あの時の張り裂けそうな気持ちが、
今、やっと、
ふんわりしたもので包まれた。
「……皐月?何やってるの…こんなとこで。」
「酣。…どうした?」
私は、目をゴシゴシ擦って、
笑った。
「雨降ってたけど、傘持ってなかっただけっ」
そして、大きく伸びをした。
「けど……」
空から差し込む光を全身に浴びる。
「…もう、晴れたみたいだね……」
太陽がまぶしい。温かい光。
あぁ、夕立は、きついけれど…必ず上がるんだ…。
そして、母さんと先生に向かって言う。
「ごめんね。」
ありがとう。
君が望むのならいつでも笑っているよ。
たとえ隣に君がいなくても。
君が救われるのならいつでも笑っているよ。
素直になろう。
たとえ口から間違ったことが出てきても、
きっと君なら包んでくれるよね。
ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
そして、本当に―――――
さよなら、先生。
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