S+T+O+R+M

それが私の選んだ選択なら
私はきっと一生後悔しないから。

「ね〜ね、皐月(さつき)、三者面談終わった?」
「え、明日だけど…梢(こずえ)は?」
「さっきしてきたよ…。」
小さく笑う半井(なからい)梢に、私、酣(たけなわ)皐月も合わせて笑うことしか出来なかった。

高校3年、夏。
受験勉強本格化。
笑っていても、笑ってない。
「―――――というわけで、皐月さんは順当に成績もあがってきていますので、いまの志望校…S大学のままで心配ないかと思います。」
「えぇ。私も勉強のことは娘に任せていますので。…でも本当に、一時はどうなることかと思いましたが…よかったです。」
「そうですね。皐月さんは本当に頑張ってますよ。」
担任の先生と、母さんの喋り声がなんだか遠くに聞こえる。
3年夏の三者面談。
志望校がそろそろ本決定の、大事な面談。
「むしろこのまま上がり続けたらと考えると、やはりランクアップをお勧めしたいぐらいですね。T大学とか。」
「あぁ、そうなんですか?でも、皐月は…なんだかS大学に行きたいみたいで。あそこでの研究が本当にやりたい…のよね?」
S大学?T大学?
どうして、そんな、ここにない大学ばかり…
「皐月?」
「へっ?」
いきなり話し掛けられて思わず間の抜けた声が出た。
「何、聞いてなかったの?」
「え、そんなことはないけど…」
母さんはふぅと大きな溜息をついた。
「自分の大学よ?S大学で研究したいのよね?」

S大学で、私の大好きな……研究を…。


確かに私は、初めてS大学のオープンキャンパスに行ったとき、あそこの研究内容を直に見させてもらって…ここしかない!って思った。
元から思い込んだら一直線な私。
そのときからそれ一本だった。

それが1年の秋の話。
2年の春、あのひとと出会った。

私は、私を遮るものなんて何もないと思ってた。
私はこのまま自分の夢を…わき目も振らずに追いかけるんだと思ってた。

だけど。
「―――――私、N大学にしようかと思ってる。」
「えっ?」
「ど、どうして?」
「………。」

N大学なら、…。
「あんた、ずっとS大学って…」
「うん。」
「じゃあ、どうして?」
「それにN大学なら、S大学より2ランク…下手すれば3ランク下だぞ?お前なら志望校のランクアップも出来るっていうのに…どうして下げるんだ?」

「……。」

プライドがないわけじゃない。
だから、それに従うなら確かに日本最高の大学、T大学を目指したい。
志望校を地元の大学に下げるなんて…考えられない。
だけど、そのプライドうんぬんよりS大学での研究が忘れられない。
私は、あそこなら、夢が叶えられる。
…ううん、違う。

あそこでしか、叶えられない。
T大学だろうがN大学だろうが、私が今夢見ていることは出来ない。

でも、N大学なら、…。

「…ごめん、迷ってる。」
「皐月…」
「わかんないの。一番やりたいことがなんなのか。」
自嘲的な笑みを浮かべる。
まさか、私が、こんな風になるなんて。
「S大学では確かに私のやりたいことが出来る。夢が叶うの。」
「なら!」
「…だけど、N大学なら、…。」
言葉が続かなかった。
「何なの?」
「……ごめん、ちょっと今はまだ。」
何も言えない。



「まぁ、ゆっくり悩め。」
担任の先生が柔らかく言った。
「…そうね。あんたの人生だもの。」
母さんの声も、優しかった。
私が俯いていた顔をあげると、2人ともたまらなく不安そうだった。
あぁ、そっか。
私が心配かけてんだ。

ごめん。ごめんね。
でも―――――…
もうちょっとだけ、待って。




   *




空はたまらなく快晴だった。
三者面談も終わって、夏休みの初日。
私は帽子を被ってこなかったことを激しく後悔。
背の高い木がないから、日差しが思いっきり当たるんだよ〜ここは!
「ねぇ、先生。」
苦笑いを浮かべて、その四角いつるつるした石をそっと拭いた。表面がかんかんに熱くなってる。夏は大変だね、ほんと。

流石に家族だって毎日は来れない。
先生の…お墓の手入れ、なんて…。

S大学なら、私の夢が叶う。成績的にも、手が届く位置まで来てる。
だけど、N大学なら…

「皐月?」
私が先生のお墓の前でぼーっとしていたら、後ろからよく知った声が掛かった。振り向いて、私はへにゃっとした笑顔を向ける。
「あぁ、梢?どうしたのこんなとこで?」
「それはこっちの台詞だよぉ。私はここが毎日の散歩コースなんだけど…あんたは何してんの?」
ふと見ると、梢の右手にはリードで繋がれたダックスフンドがいた。そうそう、名前をトリッキーとか言ったっけ。
「も〜お墓を散歩コースにするなんて〜」
私がそう言って笑ったら、梢は泣きそうな顔をした。
「質問、誤摩化さないでよ。」
そして梢は近づいてくる。
「…梢?」
梢は私のすぐ前まで来ると、私の後ろを覗き込んだ。
「やっぱり…。」

私のすぐ後ろには、先生のお墓。
梢の影が私にかかって気持ちいい。



「まだ、なの?」
「えっ?」
「まだ、皐月は先生のことを想ってるの?」
「……否定は、しないよ。」
私がそう言うと、梢は唇を噛み締めた。そしてリードを近くのでっぱりに結びつけると、じっと私の目を見つめたかと思うと、両肩を同時に握りしめてきた。
「いい加減、目を覚ましなよ!」
「目を覚ます?」
「そうだよ、…ごめん、聞く気はなかったんだけど…さっき学校で、皐月のお母さんに話しかけられて……聞いちゃったよ。」
私は無言でじっと梢を見つめた。
「どうしてN大学と迷ってるの!?」
梢の私の方を持つてに力が入る。
「皐月ならT大だって射程圏内でしょ!?もったいないよ!どうして、どうして?」
「どうしてって……わかんない?」
私は小さく笑ってた。

私が、気づいたときからずっと追ってた夢。
それは、S大学に行かないと叶わない。
そして私は今、S大学に手が届きそう。
それでも…その道を真っ直ぐ進めないのは……

S大学がここにないから。
S大学は、東京にあるから。

もし私が、夢を諦めてN大学にしたら。
私はこのままここにいられる。


あなたのそばにいられるのよ、先生。






「わかってしまうから…信じられないんだよ…」
なんだか、さっきまでのかんかん照りが…少しだけ陰ってきたみたい。
「皐月、目を覚ましてよ!!」
もう一度さっきの台詞を繰り返す梢。
「先生は、もう死んじゃったんだよ!どこにもいないんだよ!!!」


ゴロロ…ピシャァアアアアン

雷の音と同時に、急に雨が降り出した。
痛いぐらいの、大粒の雨。



「知ってるよ。誰よりも、知ってるよ。」

私が梢に向かって放った言葉は、雨音にかき消された。




「わ…私、トリッキーをあんまり濡らすわけにいかないから、帰るよ…?」
「あぁ、うん。」
「皐月、言い過ぎたかも知れないけど、私は真実しか言ってないよ。」
「うん。」
「私は…あんたの未来が、明るくあって欲しいの…」

わかってる。
こうやって本音を言ってくれるのも、梢だけだもん。

「ありがと。」
「うん。じゃあ、またね!!!皐月も早く帰りなよ!」
私は無言でにっこりと微笑んだ。そして梢は私に背を向けて、路地の方へ走っていった。

うん、そうだね。
未来は明るくあるべきだと、思うよ私も。
だけど。だからこそ。

私は先生と離れる未来を選べないのよ…



ねぇ先生、どうしたらいい?

私は梢が去っていった方からくるりと身を翻した。
目の前には、先生のお墓。雨が、滝のように落ちていく。弾かれた雫が目に入って痛い。
ざあざあ、ざあざあ。

ねぇ先生、どうしたらいいと思う?
私は、あなたのことなんか忘れて、夢を叶えて、違う人と結婚して、
そういう未来を生きた方がいいの?
それとも、有限な人生を、
あなたに全て捧げた方がいいの?

ねぇ先生、私はどうしたらいい…… ?
雨粒が、体に当たって痛い。
どうしたらいいかわかんなくて、心が痛い。
先生、助けてよ。
いつも、本当に困ったとき、側にいてくれたじゃない!?
ねぇ先生、先生、先生、





会いたいよ!!!!!!
雨はさらにひどくなって、どんどん風も出てきた。
台風、近づいてるんだっけ?
最近ニュースも何も見てない…

ほら、こういうとき。
心も体もズタボロで、雨が降っているとき。

先生、会いにきてくれるんでしょ!?
雨は降って、風が唸る。必死になって先生のお墓にしがみつく。
そして、

ガシャアアアアーーーーーーーーン!!!
ひどすぎる音の雷に、私は思わずひっと声をあげようとした。
…けど、声が出なかった。




「えっ…く」
それが泣いているせいだと自覚するのに、少し時間を必要とした。








会いたくても、もう会えない。
なぜなら、あなたはここにいないから。

あなたはもう、いなくなってしまったから…









知ってるって言って、見ようとしてなかった現実。
今まで二度ぐらい、あなたと会えたような気がしてたけど。
二度あるからと言って、三度あると思うのは間違い。
ここにある真実は、『あなたはもういない』ということ。





あなたは、もういない。
そう、それだけが、…。


せん、せい……
せんせい…………

先生っ!!!!!




「ふっ…くぇ……ふぅっ…ふあ…あ・ああああああああああんっ…うわぁあああああんっ…あ・あぁ……会いたいよぉおおおおお…せ・せんっせいぃ……ぅわああああああああああああああああんっ……」
こうやって、声をあげて泣いたのは。
一体いつぶりなのかわからなかった。

私はようやく、先生の死を認めて、受け入れた。
ほんとに、“ようやく”…。




もうあなたは私の側にはいない。
思い出の中で、笑うだけ。
生きているのは、わたし。
だからこそ、一番やりたいことをやらなくちゃ。

……私の、一番やりたいことは―――――………
これしかないもの。
ごうごう、ごうごう。
嵐はまだやみそうにもなかった。
ただ私は目を閉じて、あなたに掴まっていた。

嵐が収まるまで。
   *




「あ、先生。」
「おぉ、酣。どうだ、考え決まったか?」


「はい。私、N大学にします。」


「えっ…そうか、それでいいのか?」
「はい。どうしても、一生かけてやりたいことがあるんです。」
「そうか…わかった。お前の人生だから、お前の好きなようにしたらいい。まだ時間はあるんだから、変えたくなったらいつでも変えていいしな。」
「はい。…ありがとうございます。」
もし私に他に好きな人が出来たとしても。
もし私が他の誰かと結婚したとしても。

私はあなたの側にずっといようと思った。
あなたがいないことが問題なんじゃなくて。
私があなたに出来ることが、お墓に通うことぐらいしかないなら。
ずっと、それが出来る場所にいようと思ったの。
それが、ずっと追いかけてきた夢より、何より、


私がしたいことだと思ったから。




私は、きっといくつになっても私の選択を後悔しない。

ね、そうでしょ?

2006.05.06.
彼女には、私と違う未来を選ばせたかった。
きっとどっちを選んでも、後悔しないけれど。








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