V A I O 40






「あの〜、鷹多悠さん、いませんか?」
ホール内がざわついた。人が訪ねてくるのは初めてだったのだ。たとえ、俺にだろうとも。
玄関をちょこっと開けて、顔を中に突っ込んでいる女。誰もが顔を見合わせた。
最年長の光秀が前に進み出た。
「今、ちょっと政府の方に行ってますけど…何か?」
「いえ、気になったものですから。何でもないですよ。」
光秀の応対。その女…結菜は、肩を竦めた。
「あ、なら、水無月雪はいますよね?」
「それがさっきから姿が見えないんだよ。」
今度応対したのは、梓だった。梓は結菜の真似をして、肩を竦めた。結菜は笑った。…すぐ真顔に戻った。
「でも、雪は『VAIO』に感染してるはずでしょ?出ていいの?」
「感染してるかどうかはわからないわ。…ただ、『VAIO』の液に浸かってたのは事実。そして、ここで暮らせていたんだから毒が効かないことも事実。」
その言葉を発した人間と目が合うと、結菜はひっと叫んで身を引いた。
「久しぶりね、お母さん。」
結加はそんな母親の態度に哀しそうに瞳を伏せながら、言った。
結菜は結加と目を合わせないように、梓の顔を見た。
「そう…ね。なら、水無月結希はどこにいるの…?」
「結希は、男の子2人と部屋でゲームしてるわよ。」
結加が淡々と言った。結菜は結加の方を見ようともしない。
「そう。ありがとう。鷹多悠は政府に行ったのね?…どうも。」
そう言って結菜は玄関から首を引っ込めようとした。だが、ドアを押さえていた手を結加が掴んだ。
「お母さん!」
「やめて。」
結菜は結加の手を叩くと、身を翻して、門まで歩き出した。
「お母さん!おかあさんっ…」
結加は玄関を開けて追いかけた。結菜はその様子に自分の娘を避けようとする。
「おかあさんっ!!私は、確かに皓の娘だけど、お母さんの娘だよ!?」
「だから嫌なのよ!あんたが私のお腹に宿らなければ、私たちの生活は壊されなかったのに!」
たった一度。されど一度。その行為の代償は、十分すぎた。
あんたさえ生まれなければ、私たちは幸せのままだった。
結加の手を引いて、茶道家の門を叩く水無月皓の姿は安易に想像がつく。
きっと、いつもみたいにクールなのではなくて、ニヤついていたのだろう。
子どもがいると聞いたときの、茶道好秋の表情。お父さんと離れる時の、雪の表情。
そして何より自分の痛切な想い。
結菜は、唇を噛んだ。あぁ、あそこでこの子を堕ろしておけば…!!!
どうして、親の感情なんて持ってしまったの。どうして、水無月結加を生んでしまったの。
どうして、あの一瞬、水無月皓を愛してしまったの。
自分の人生の一番の汚点だと感じた。
「消えてよ。」
「…え?」
「あんたさえいなければ、私たちは幸せになれたのに!」
結加は愕然として膝をつく。
何度も、似たようなことは言われてきた。
けれど、ここまでストレートに言われたのは、初めてだった。
「お…かあ…さ…ん…」
唇を噛み締め、涙は流さず、それでも母を呼び続けた。
母…結菜は、振り返らず、歩き続ける。
前、俺に言った言葉を思い出していた。

―――――子どもが殺されることが母親にとって何よりもつらいこと。

なら、もし結菜自身、結加が殺されたとしたら?
「ふふっ…あははははっ…」
そんなに嬉しいことってないじゃない。
結菜は隔離施設の門に向けて、足を速めた。
「悠…。雪を、何が何でも守ってよっ…。」










「くそ…」
腕が、痺れる。
車のサイドミラーを掴んでいる左手の握力が、もうほとんどなくなってきた。
痺れ薬の効力か?それとも疲れか?
やばい。この手だけは離すわけにいかないんだ。
足は引きずられ、擦り剥け…いや、それどころじゃない。肉さえ剥がれて、骨がむき出しだ。
だが、俺の『VAIO』の効力で、少しずつ再生している。
だから、何とか原型をとどめている、という状態だった。
スーツなんて二度と使えるわけない。
「悠…」
そんなギリギリの状態の中、いきなり後部座席の窓が開いて、仲藤が俺に声を掛けてきた。
もちろん、俺は答えられるわけ無い。
「なぁ、悠。」
俺は必死に車にしがみ付く。死んでも離すか。
「水無月雪が、伝えたい事がある、と言っているが?」
俺は視線を仲藤に…いや、雪に向けた。
雪は気がついたらしく、少し虚ろな表情で俺を見つめていた。
「…雪…」
声に神経を集中させる。すると手の力が弱まる。俺は慌ててまた手に力を入れなおした。
雪は仲藤の上に身体を乗っけて、窓から乗り出した。
「雪、危ない…」
から、やめろ。
そして、仲藤とそんなに密着するな。
見っとも無い嫉妬心はなんとか隠した。
雪は少し微笑みを浮かべた。
「ねぇ、悠…」
甘い声。体中に電撃が走る。力が抜ける。
俺はじっと雪の顔を見つめた。雪も俺の顔をじっと見てくる。…なんて綺麗なんだ。
「ねぇ、悠…」
やめてくれ。やめてくれよ。
あまりにも愛しすぎて…あまりにも愛しすぎて、俺の身体がめちゃくちゃになる。
雪を追いかける事もできなくなる。
雪はさらに身体を乗り出した。
俺は雪に気を取られていたがふっと気付いた。
今、せっかく後部座席の窓が開いているんだ。そこに手をかければいいじゃないか。
俺は助手席の窓にへばりつかせていた右手を、後部座席の窓にかけた。
仲藤が驚いたが、手を払おうとはしなかった。
「悠…」
雪の顔が目前に迫る。…雪?
俺が疑問に思う暇も無く、雪の唇が俺の唇に重なる。甘い感触。優しい匂い。
俺は左手を雪の背中に回した。ぎゅっと抱きしめる。
駄目だ。俺は、雪を愛している。
愛というものがどういうものなのか、わかるか?
俺にはわからない。
ただ、雪を愛していると切に想うこの気持ちは、俺を破滅へと導きそうだ。
でも、それでも構わないという自分がいるから余計に怖い。
雪…

しばらく時間が止まったかと思った。

雪の唇が俺から離れた。雪は俺の頬に手を置いた。
「ねぇ、悠…」
左手は、俺の右手に置いた。
雪は笑顔を浮かべた。俺の一番好きな笑顔を。

「死んで。」

言葉と同時に俺の右手を車から剥がし、俺を突き飛ばした。
雪に回していた左手が音も無く外れた。力が全く入らない。
今、雪は何て言った?
今、雪は何て言った?
俺に向かって、雪は。
俺は後転を5回半して、そのまま道路に倒れていた。
痺れ薬の効果か?
あぁ、そうだろうな。
こんなに体が動かないはずが無い。
たった1人の女の言葉で俺がこんなになるはずがない。
そうだ。
雪と出会う前までの俺はそうだった。
誰にも心を許さずに。
何もかもに心を動かされずに。
最初に心を動かされたのは、母の死。父の死。弟の死。
兄への憎しみ…。
そして俺を生き返らせたのが、雪だった。
雪のおかげで俺は初めて本物の心を動かされた。
なのに、雪も死んだ。
あり得ない程の苦しみ。
だが、それよりも、それよりも大きな喜び。
雪の復活。
生きていて、よかった。心からそう思えた瞬間だった。
そう、…雪の死。
あの時の絶望感。
それは今でも忘れられない。
あの時がもう5年も前だからか?
あの時の苦しみより、今のほうが苦しいのはどうしてだ?
甘い口づけ。優しい笑顔。
なのに、どうしてあの言葉だけは冷酷だったんだ?
どうして雪があんな言葉を紡ぐんだ?
どうして…

俺は言いようのない虚無感に襲われて、そのまま道路に倒れた。
視界の向こうに雪を乗せた車が消えていくのが見えた。

 


コメント:
2003.08.10.UP☆★☆
よっしゃ日曜連載vって誰か読んでくれてる人、いますよね?(滝汗)
あまりにも心情を深く書きすぎて、全然話進んでない…。。。
取り敢えず、物語ぐるぐると回転中。



41話へ。


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