V A I O 41






夢を、見ていた。
俺の悪夢が始まった日の夢を。


++   ++   ++
「悠、穂(ミノル)!聞いて、ついに『VAIO』が完成したらしいわよ!!」
「…えっ、母さん、『VAIO』って何?」
その日は、母さんの声と兄貴の声で目が覚めた。
「母さんもよくは知らないけど…とにかく、体の失われた機能が回復するらしいわ!!」
母さんが、俺と兄貴の部屋の前で怒鳴った。まだまどろみの中にいた俺は、よく理解できなかった。
「…?」
俺はドアを開けて母さんの目の前に出て行った。
「あぁ、悠、おはよう。あのね、『VAIO』が…」
「…あぁ、それか。強力再生培養肉、『VAIO』。これまでにもエイズの特効薬とかで有名な、水無月結浩博士の作ったもの。」
「あら、悠は知ってたのね。そう、それよ!それがあれば2人とも絶対に大丈夫よ!さぁ、穂も起きて!!」
母さんは兄貴の部屋のドアを大きく開け放った。
「キャーーーーーーーーーッ」
「そんな女みたいな声出さないの。別に見たからって減るもんじゃ無し…」
着替え中だった兄貴に向かって母さんはブツクサそう言ったが、すぐに慌てて口をつぐんだ。
"見たからって"…。そう、兄貴は見ることができないのだ。
でも、兄貴はその苦を親に見せないように努力をしている。耐えようの無いほどの努力を。

センター試験を終え、第2期大学受験を間近に控えた10年前の2月10日。寒い日だった。
その日、俺たちはいつもより慌しく起こされた―――――。

いつもの通り、朝食を食べていた。
トーストされた食パン。間に挟まれたサラダ。ぬるい程度に暖められた、牛乳。
いつもと違ったのは、話題が『VAIO』ということだけだった。
母さんと兄貴の顔は高揚していて、いつもはあまり感情を表に表さない父さんも嬉しそうだった。
いつもの通り、弟の都(ミヤコ)は朝の散歩に出かけていた。
いつもの通り、俺は無表情だった。

感情が無いということ。別に不幸だと感じた事はない。
小さい頃飼っていた猫が死んだときも、"悲しい"と感じなかった。
だが、"嬉しい"とも感じなかった。何も感じなかった。
都の手術が成功した時も、口では「よかったな。」と言ったが、何もそんなこと思っていなかった。
「本当に嬉しいよ」棒読みでそう言った俺に、母さんは泣き崩れた。
「こんな時も、悠の感情は動かないの!?」…と。俺はその姿にも何も感じなかった。
別に、何の不都合も無かった。もし不都合だったとしても、それを悲しんだり悔しがったりする心は、俺には無かった。

「10時から、都内の政府本部で売られるそうよ!」
電話を片手に、母さんがそう言った。兄貴は母さんに大きく頷き返した。
「行くよ!今はまだ7時だからゆったり用意して8時に家を出れば余裕だよな!」
「ひとつ50万らしいわ…。お金、おろしてくるわね。」
キャッシュコーナーは24時間営業である。便利な世の中だ。
だが、やはり高いものは高い世の中。…金は、動き続けた。
母さんと父さんがどたどたと用意をする中、兄貴はどこか違う方向に顔を向けたまま、俺に言った。
「なぁ、ついに俺たちの欠陥もなくなるんだぜ。どう思う?」
「何とも。」
その言葉に兄貴は一瞬面食らったようだったが、すぐに思い出したように笑った。
「そうだ、すまん。悠はそうだよな。…俺は、心の底から嬉しい…けどな、心のもっと奥には恐怖心があるんだよ。」
俺はじっと兄貴を見つめた。兄貴は俺の無言を先を促していると判断したらしく、続けた。
「俺が、昔は目が見えていたことは知ってるよな?」
「ああ。」
「そう、昔は見えていたんだ。3歳ぐらいまではな。その時の世界と言ったら…素晴らしいなんてもんじゃなかった。明るくて、何よりも外の世界が大好きだった。…だけど、ある日急に目が開かなくなって…膿みたいな涙が、これでもかってぐらい出たんだ。」
溶けたんだ。俺は思った。
新種兵器を浴びた人間は、ある程度までは正常な人間として生きていける。…だが、ある程度以上になるとどこかが溶けて消える。
俺の場合は…最初から無かったのか最初はあったのか、わからなかったが。
「それから16年間ずっと俺は闇の中。…それなのに、今更俺に光が返ってくるって言うのか?その世界で生きていけと?そんなの無理だ。絶対に無理だ。俺は、光が、怖い。」
兄貴は肩を抱いて震えている。俺はじっとそれを見つめていた。
「光が返ってくるのなら、それを受け入れればいいじゃないか。逃げる事も立ち向かう事も必要ない。ただ、受け入れるだけでいい。怖がっていたら、兄貴はいつまでも闇の中だ。光は返ってくるんじゃない。今、初めてやってくるんだ。」
一度失ってしまったものがまた戻ってくることへの恐れ。
俺にはわからないが、大変なものなのだろう。的確だと俺の頭で判断された言葉を紡いだ。
兄貴は顔を上げた。
「…ありがとう、悠。お前はいつだってそうやって俺を励ましてくれるよな…。お前のほうが、辛いのに。」
「辛いという気持ちさえないから大丈夫だ。」
兄貴は悲しそうに笑った。
「そうか…。でも、今日『VAIO』を手に入れたら、夢が叶うな!」
「夢?」
「母さんの、夢だよ。…俺たち兄弟3人が、お互いの顔を見て笑い合うっていう…夢。」
「あぁ、それか。」
俺はぽーっと前を見た。『VAIO』を手に入れたら、俺は本当に笑えるのだろうか。
笑い方なんてわかるのだろうか?わからなかったら、こいつらはどうするんだろうな。
「叶えようぜ。」
「知らん。…叶う時には叶うだろう。」
「そんな突っぱねるなよーっ」
兄貴がケラケラと笑った。
…その時だった。
ガタンと大きな音が玄関からした。俺と兄貴は立ち上がって、玄関に向かった。
「都!!!」
母さんの悲痛な声が聞こえた。丁度出かけようとしてたところらしかった。
兄貴は慌てて玄関に飛び込んだ。俺は少し遅れて玄関に着いた。
「都!都、大丈夫か!?」
父さんと母さんが都を抱きかかえているところに、兄貴が飛び込んだ。
都はぐったりとしていて、息遣いだけが荒かった。…朝の散歩から帰ってきたところか?この、感じは…もしかして。
「風邪だろう。」
俺はしゃがみこんだ3人に向かってそう言った。母さんはきっと顔を上げた。
「そうかもしれないけど、でも!!!」
「変だ。…そうだろ?だって、骨髄移植は成功したはずなんだからな。」
俺は淡々とそう言った。父さんは必死に都を介抱している。兄貴は肩を震わせている。母さんは瞳からどんどん涙を溢している。
「再発、か。」
「どうして、どうしてっ!?成功って言ったじゃない!あれから6年、何もなかったじゃない!!」
母さんはそう言って都の身体に泣き崩れた。
都は…"再生不良性貧血"だった。
生まれつきそうで、普通の貧血と違い赤血球だけで無く、白血球や血小板も少ないこの病気になってしまうと、ちょっとした病気にも立ち向かえなかった。
都が9歳の時…つまり、7年前、都は盲腸炎になった。
立ち向かう白血球たちが少ない都は、死の危険にさらされた。都は生と死の境目で何とか盲腸の手術を受け、抗生物質の大量投与で奇跡的に骨髄移植ができる状態までに回復した。拒絶反応も少なく…手術は成功。それからずっと、都は幸せに過ごしてきた。
だが…最近、どんどんおかしくなっていることに、皆気付いていただろう。少しの風邪が都の身体を蝕み、どんどん衰弱していく事に。
そして、今日だ。完璧に再発と考えておかしくない。親は違う病気だと思いたかったようだが…。
「取り敢えず、救急車を呼ぶぞ。」
俺は電話を掛けた。

「…どうなんですか?」
兄貴が医者に聞く。医者は俯いて、答えた。
「極めて危険な状態です。…仰るとおり、ただの風邪だったんですが、免疫力の低下で…肺にウイルスが入りました。」
「肺炎、ですか?」
「そうです。…抵抗する力の無い人の、肺炎です。」
「ということは…」
「申し訳ありません。…彼は、再生不良性貧血です…。」
愕然とした母と父。兄貴は唇を噛み締めた。俺はボーっと見つめていた。
「兎に角、まずは肺炎から復活する事です。移植も何も今のままでは…」
「お願いしますっ!!!」
母さんと父さんは同時に頭を下げた。兄貴も遅れて下げた。俺も無言で小さく下げた。
「もちろんです。」
医者はそう言うと、身を翻した。その背中が、どこか悲しげだった。家族全員、嫌な予感がした。

「とにかく、悠と穂は『VAIO』をもらいに行ってきて…」
都の手術室の前、母さんは、俺たちにキャッシュカードを渡しながらそう言った。
「暗証番号は、5810よ。あんたたち兄弟の誕生月だから。」
穂が5月生まれ、俺が8月生まれ、都が10月生まれだ。
「どうする?」
穂が俺に不安そうな顔付きで聞いてきた。俺は少し考えた。
「行くべきだろうな。政府は第2期、第3期と『VAIO』の配布を行うと言っているが、どうなるかはわからない。今のチャンスを逃すわけにはいかないだろう。だけど、母さんたちだけをここに残していくのも不安がある。」
穂はそっと手術室の扉に触れて、溜息をついた。
「穂、行ってくれ。俺は残る。」
「なっ…」
「俺よりも、穂の方が『VAIO』を必要としているだろう。俺には自分の不幸を自分に嘆く感情さえないんだ。はっきり言って必要ない。別に無くてもいいとさえ感じている。」
穂は…見えるはずも無いのに、俺の顔をじっと凝視しているようだった。瞼は閉じているが。
「それに、もしかしたらあの律儀な政府の事だ。横入りされないように整理券を配っているかもしれない。もしそうなら、お涙頂戴、理由を話して俺の分ももらっておいてくれ。」
「…なるほど。」
穂は納得したようだった。そう、確かに今の政府は感動する話に弱い。そのせいで中東地区にも騙されている。
「通帳だ。一応、俺の分も下ろしてくれ。俺はいざとなったら10時ギリギリには着くように行くから。」
今は、7時半だった。そうか、あれから30分しか過ぎてないのか。
「頼む。」
「わかった。」
穂は頷いた。
「絶対に、来いよ。」
穂は母さんたちに無言で頷くと、病室を出て行った。
 


コメント:
2003.08.17.UP☆★☆
ふぅ、41話。前回の続きが気になるところでしょうが、…今回はこういう話に。。
過去と現在の区別がつきにくいかなと思ったので間にプラス(+)いれてみました。
悪夢が始まった日は、まだ続きます。



42話へ。


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