V A I O 44






「悠?」
結菜がそっと俺の顔に触れる。俺は瞳を固く閉じた。
「どうしたのよ。」
そっと俺を抱き起こした。匂いまで、似ているのか。親子ってものは…。
「ねぇ、雪に、何かあったの?」
結菜の心配そうな声。俺はそっと瞳を開けた。
「…あった。」
「何があったのよ!?」
結菜が身を乗り出す。それは、親が子を思う…それだった。あぁ、どんなに若い姿でも、結菜は雪の母親なのか…。
「…仲藤に連れ去られた。」
「えっ!?」
「俺が、仲藤と戦っていて…危なかったから…雪が助けに来て…それで、そのまま…」
我ながら意味のわからない文章だ。だが、今の俺にきちっとした文を言え、という方が間違いだった。
「どうして雪が悠を助けに来るのよ!?」
「知らん…」
俺は起き上がった。
「身体は、大丈夫なの?」
「肉体的には何も支障は無い。」
ズボンの膝から下は無残な状況になっていたが、流石『VAIO』。肉体は復活している。
「まぁ、兎に角…雪は毒を出してなかったわけね?」
「?」
「だって、悠を助けに来たんでしょ?でも、どこにも死体なんて転がってなかったもの。」
「あぁ…そうか。」
俺は頷いた。そんなこと、雪が助けに来てくれた喜びと驚きで、何も気付かなかった。
「でも、それだけじゃないわね?」
「何がだ?」
「隠したって無駄よ。…連れ去られた、っていうのに悠がこんなとこで寝っ転がってるわけないじゃない。何があったの?」
じっと俺の瞳を見る結菜。結菜を見ると、睫毛の一本一本まで雪にそっくりだった。愛しい、雪に。
その顔で見つめないでくれ。俺は、今、一番オマエに会いたくない。
「何も無い。」
俺は結菜の顔を出来るだけ見ないようにしながら、突っぱねた。
「嘘。早く言ってよ!悠より、私の方が皓のことはわかってるんだからっ!」
「ッ!?」
俺は弾かれたように結菜の顔を見た。
「何で、仲藤が皓の配下にいるということを知っているんだ…?」
「雪が連れ去られたんでしょ?そんなの、皓以外に誰がするのよ。あいつだけよ、そんな馬鹿みたいなことするのは!!」
俺は結菜をじっと見つめた。綺麗だった。
「…俺に向かって、『死ね』と言った。」
吐き捨てるように、言った。結菜が大きな瞳を丸くした。
「えっ…雪が?」
言葉にするのも嫌だった。腹の底から込み上げてくる痛さ。鼓動がまた波打つ。
「他に、誰がいる。」
声が掠れた。眩暈がした。息が苦しい。心臓がこれでもかというぐらい波打っている。手が冷たい。目が見えない。頭が、痛い。
「…雪の顔は、どうだった?」
「知らん…」
俺はそれだけを搾り出すのが精一杯だった。また、道路に倒れこんだ。
「ちょっ、ここで倒れてるのは交通の邪魔よ。とりあえずどきましょう。」
「交通の邪魔、ってな。誰も通ってないじゃないか。」
俺の突っ込みに結菜は肩を竦めたが、それだけだった。俺を引っ張ると、歩道まで運んでしまった。
「もしかしたら、雪は皓なのかもしれないわ。」
歩道に着いてからの、唐突な結菜の言葉。
「は?」
俺は起きながらそう言った。俺の返事ももっともだ、という意外言いようが無いだろう。
「皓が…雪に成り済ましてるのかもしれないわ、っていうこと。」
「いや、あれは雪だ…」
俺はさも心外だ、という風に結菜に言った。結菜は肩を竦めた。
「確かに、悠にそう言ったのは雪の身体であり雪の声だったでしょうよ。でも、あの人はいつでもどこでも雪を自分の思うがまま操れる準備だけは、出来てたわ。」
「なっ!?」
俺の驚愕の叫びも気にせず、結菜は一定のペースで続けた。
「雪の両方の耳に、あまりにも大きすぎる、ピアスがあるでしょ?」
俺は唾を飲み込んだ。
「あ、あぁ。黒の逆十字のピアスだよな?…しかも、どうやったか知らないが本当に埋め込んである、ピアスだろ?」
「そう。それよ。」
ぴっと結菜は右手の人差し指をつき立てた。その仕草に、俺はドキリとした。雪と、同じだ。
「あの中には、確か皓のパソコンからのデータの受信機が入ってるはずよ。」
「嘘だ。」
俺は間髪入れずにそう言い放った。
「有り得ない。あんなに小さな受信機は開発されていない。」
「そりゃそーよ、皓があれだけの為に作ったんだもの。」
結菜の言葉に、愕然とした。水無月皓という男は、一体どれだけ頭がよければ気が澄むんだ…!!!
「ねぇ、悠。どうして雪が生き返ったか、原因はわかったの?」
俺は無言で首を振った。
「ねぇ、悠。『VAIO』は再生能力が確かにあるけど、一度死んだ人間を生き返らすことは出来ないのよ。」
「え…?」
「『VAIO』は、肉体なら全て治すことが出来るわ。…だけど、一度死んだ人間の"魂"を呼び戻す事は出来ないのよ。」
俺は首を捻った。
「どういう、ことだ…?」
「回復させるのと、生き返らせるのは、違うって言うこと。たとえが悪かったわね、ごめん。」
ぺこっと頭を下げる結菜。…オマエは、雪か…?
「だから、雪の死体が5年間保存できたっていうのはわかる。ぬるぬるしてきたのは、『VAIO』から出る液体のせいだっていうのもわかる。だけど、生き返るわけ無いのよ。あのこは…もう死んだんだもの。」
「でも、現に雪は…!!!」
「そうね。だから、さっきの話に戻るわ。…水無月皓は、雪の脳を操れるのよ。」
「ぁ…?」
俺は声にならない声を上げた。目の前で、白と黒になった世界が、コーヒーにミルクを落としたときのようにぐるぐると混ざり合っている。
つまり…それは…
「じゃあ、雪は…この3ヶ月間…水無月皓だったというのか…?」
「そういうことになるわね。」
結菜は下を向きながら、そっとそう言った。
「嘘だッ!!!俺は、信じないッ!!!」
「信じる信じないはどうでもいいのよ。ただ、そういう確率があるということ…ううん、120%そうであるということは、悠の心の片隅に残ったわね?それならいいのよ。貴方には、一番過酷なことをしてもらわなきゃいけないから。」
もう、結菜が何を言いたいか、わかった。
喉が痛い。俺の瞳からは血が流れた。
「血の涙…ね。でも、まだそれを流すのは早いわ。…それは、悠の一番つらいときに流しなさい。」
「ぅあ…あぁああ…」
結菜は座り込んでいる俺と同じ目線までしゃがんだ。
「…頑張って。」
「あぁああああっ!?あぁああああああああああああああああぁぁぁぁぁああああぁぁああぁああああああああああああああああ…」
俺は、心が狂いそうだった。
一番過酷なこと?

いくらなんでも過酷すぎる。いくらなんでも――。




「どう、ちょっとは落ち着いた?」
あれから、さらに時間がすぎた。結菜はその間もずっと俺の側に居てくれた。車は一台も通らなかった。
「あぁ。…ありがとう。」
「あら、悠の口からそんなに素直な言葉が聞けるなんてね。」
くすっ、と笑う結菜。あぁ、そうしていると雪が帰ってきたみたいだ。
「…本当に…ただの、他人の俺を。」
俺はそっと顔を背けた。これ以上結菜を見ていられなかった。これ以上結菜を見ていたら、俺は結菜を雪の変わりにしてしまうに違いない。
「他人じゃないじゃないっ。私の息子になるはずだったんだから〜!…でも、そうね。それがなくても貴方を助けていたかもしれない。」
「え?」
「貴方、似てるのよ。…好秋に。」
ヨシアキ。…また、その名だ。おそらく、雪の本当の父親だろう。
「雪の、父親か?」
「えぇ。…私が、生涯最も愛していた人…そして、今も。」
にこっ、と笑う結菜。その瞳の奥に激しい憎悪を見たのは、俺だけか。
「雪も私と男の趣味似てるのかなーっ?悠を好きになったなんて、ね。」
じっと俺の顔を見つめる、結菜。あぁ、綺麗だ。結菜じゃない、雪だ。雪に見える。俺の愛しい雪。俺の雪。
「結加や、結希も似てるかもな。」
結菜は、結加の名前が出た瞬間、一度顔を顰めたが、結希の名でまた元に戻った。
「そうかもね…だけど、男の趣味が似てるから、だろうね…私、さ…悠といるとドキドキしてくるのよ、ね。」
そんな、雪と似た顔ではにかんだ笑顔なんて見せないでくれ。そしてそんな思わせぶりな態度を取らないでくれ。俺が愛しているのは雪なんだ。結菜じゃないんだ。
「駄目なの。身体が年取ってないからかな。中身も年取ってないのかな。…まるで、あの人と出会った頃に戻ったみたい…。」
俺の顔を覗き込むな。頼むからやめてくれ。頼むから…
俺だって人間何だ。好きな女に死ねと言われて負った傷が深いときに、好きな女と全く同じ女がそんなことを言ったら、揺れるに決まっている。だけど、だけど、俺は雪を裏切るわけにはいかない…。
「ねぇ、悠。私が何を言いたいか、わかるでしょ?」
俺は無言で顔を背けた。頼む、雪と一緒の声で…そんなこと、言わないでくれ!!!
「悠、…。」
そっと俺の耳に手を伸ばす、結菜。
最近俺、なんかこういうの多い気がする…。だけど、前と違う意味で今の俺は、危険だ。
好きな女じゃないのに。ただ、酷似しているだけなのに。それだけなのに。
自分の辛さを紛らわすためだけに、俺は雪を裏切るのか?いや、結菜だってそうじゃないか。ヨシアキとかいう男を愛しているのに、ただ似てるからって俺に…。
そんなんじゃ駄目だろう?そんなんだから、水無月皓との子どもを作ってしまうんだ。きっと、皓と出会ったときも、「ヨシアキと会えなくて淋しい」とか言ってたんじゃないのか?
「結菜は、ヨシアキを愛しているんだろう…?やめてくれよ…」
結菜は身体をびくつかせた。だけど、頭を大きく振って、俺にまた近寄ってきた。
「そうよ。私は、好秋を愛してる。大好きよ。…だけどね、好きって気持ちだけじゃ人間は生きていけ無いのよ…。代わりでいいから、誰かに抱きしめられたいときだってあるのよ!!!」
思わず…結菜のほうを見てしまった。
真剣な瞳。長い睫毛。染めているのに全然痛んでない髪の毛。美しくて白い肌。淡く紅い唇。整った顔。細身の輪郭。優しい、匂い。
「ぅううう…」
「苦しめてる事は、わかってる。だけど、大丈夫よ。雪だって絶対に許してくれてるっ!!!」
「そんな…」
「雪だって、他の男といたことあるんでしょ!?どうして悠は浮気しないのよっ…」
雪だって、他の男といたことあるんでしょ!?
…そのセリフが、俺に嫌な記憶を思い出させようとしている。俺が記憶の彼方に葬り去った記憶を。
「…れ…黙れっ…」
「別に、そこまで望んでないわよっ…ただ、ぎゅってして欲しいの。…私だって、まだれっきとした女よ…」
結菜が顔を手で覆った。細い指。この指は、この指は…

―――――どうしてはーくんは何も言ってくれないの!?私は、私は…
雪…
雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、雪、


俺はそっと結菜の手をどけて、その唇に俺の唇を重ねた。
 


コメント:
2003.09.08.UP☆★☆
あぁあ、月曜日発行〜っ…大変申し訳ございませぬ…(涙)
しかもはーくん浮気しちゃったよ…どうしよう。
書いててわけわからなくなってきたのは、言うまでもなく私です;



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