V A I O 47






そっと、唇を離した。
「…すまない。」
結菜の肩を掴みながら、俺はそう言った。結菜は固く閉じていた瞳を開いた。
「…どうして謝るの。」
結菜は苦笑い。だが、俺にあるのは罪悪感だけだった。結菜に対しても、…雪に対しても。
「俺は、…結菜じゃなくて…」
「雪を重ねて見てたんでしょ?それぐらい、わかってるし。私がそれでもいいって言ったんだから、謝ることなんてないわ。」
結菜はひょいと肩を竦めた。俺も小さく苦笑いを浮かべた。
「52にもなって、28のオトコノコとキスできるなんて最高よねっ!」
結菜がアハハ、と口を開けて笑った。けれど、結菜に許されても、俺は…

雪を裏切ったんだ。

「俺は…」
そんな俺を見かねたのか、結菜は俺の頭に手を置きながら立ち上がった。綺麗な茶色のロングヘアが風に靡いた。
「よしっ、じゃあ、雪の元へ行く?」
「………。」
「もう、はーくんっ。私はさっきので満足よ?」
結菜は、必死にさっきの行為を「笑い」に持っていこうとしている。…だが、俺にはそんなことはできなかった。
俺は雪を裏切ったんだ。俺は、雪を。
「…それに、キスしたあと謝るなんてあの人みたいだったし。」
「?」
俺に聞こえないように言ったつもりだったようだが、俺の耳にしっかりと聞こえてしまった。結菜は慌てたように両手を振った。
「あ〜っ、旦那よ、旦那。雪の父親ッ!茶道好秋!」
「…サドウヨシアキ?」
「そう、その人。その人はね、感情に任せて私を抱いたあと、必ず謝るの。でも、それがまた可愛かった。」
結菜が小さく照れたように笑った。ああ、結菜は。
「まぁ、…私も悠に好秋さんのこと、重ねちゃったから。似てるってだけで。」
「………。」
沈黙だった。俺にも、結菜にもそれ以上言葉は紡げなかった。俺たちは2人とも、最も愛している人を裏切ってしまったんだ。
「俺、は…」

声ももう出てこない。涙なんて出てこない。
たとえ死ねと言われようが、たとえ別の男といようが、
俺だけは雪を愛していなければいけなかった。
それが俺の生きる全てだったのに。
どうして、あの時の雪に似ていたからって。
どうして、あの頃に戻りたいなんて思ったからって。
雪を、雪以外の人間を……

ガタッ
俺と結菜は一斉に側に合った店を見た。人が倒れたような物音だった。
そして、その中には…飲食店だったが…ウェイター、客、コック。全員が倒れていた。
「何…?」
結菜が立ち上がって、その店に近づこうとして、初めて俺は異変に気付いた。
周りの店や家の中にいる、全ての人間が倒れている。…いや、まさか?
「行ってみよう。」
俺は結菜の背中をとんっと押すと、そのままその飲食店に駆け込んだ。「Scorpio」と書いてある看板、おそらくこの店の名前の看板だが、それは何の変哲もなく、いつも通りにそこにあった。
何があった?
いや、俺も結菜も気付いていた。何度も目にした光景だ。人がこんなにも死んでいく。その、理由は。
自動ドアは普通に開いた。機械には何の異変も起きていない。
「おい!大丈夫か!?」
一番近くの椅子の上で突っ伏している男を抱き起こすと、俺は揺り動かした。男は真っ白な顔の下、苦しそうに息をしている。
「ぐぁ…がはっ…」
「まだ生きてる…!」
「こっちもまだ生きてるわ!」
その男と一緒に来ていたらしい、友達の男を抱き起こしていた結菜も俺に声を掛けた。まだ、生きている。
たった今倒れたような感じだったのだから、そうなのかもしれない。…でも。
「危ないわ。…そして、この症状は」
「間違いなく…『VAIO』だ…」
俺から掠れ出た声。そのとき、俺が抱き起こしている男が口を開いた。
「なぁ……ンタ……たか…だ……は……か…だろ……?」
「お前?」
「テレビで…よく………見る…………」
「喋るな。体力を、少しでも残しておけ。」
「……アン……タ……なら、…ここも………切り抜…け…れる……だろ……?」
「確かに俺は、毒じゃ死なない。…けど。」
「伝えて………くれ………俺の………たい…せつな……加乃子に………」
「あ?」
「………今日……プロポ……ズ…する…つも……で……」
「だったら、お前が自分の口から言え。」
「夜………あ…の……プル………ト………レスト……ン…で……待ち合わ…せて……る…から……」
「喋るな。わかったから、喋らないでくれ…」
「…頼む………」
男はそれだけ言うと項垂れた。俺は焦ったが、気絶してるだけだった。まだ、息がある。
結菜は唇を噛んだ。
「どうして!?誰が、誰がこんなこと!!!」
「今は、原因を探ってる場合じゃない。兎に角、生き返すんだ…。」
「無理よ!私たちに『VAIO』の毒を浄化する方法なんてあるっていうの!?」
「…1つ、試してみたいことがある。」
結菜は驚愕の表情を浮かべた。俺は結菜の瞳をじっと見つめた。
「…まさか、私たちの…」
「そうだ。」
「だけど、あれは『VAIO』を殺すものよ?そんな、毒を浄化できるかなんて…」
「やってみなければわからない。…俺には生物学の心得は無い。何もかも実践しなければ。」
そうやって、雪は助けたんだから。
俺は立ち上がった。
俺たちの、血を使おう。
『VAIO』本体を、俺たちの血が消滅させることが出来るのなら、俺たちの血は、『VAIO』毒も消滅…いや、浄化できるかもしれない。確率は何パーセントなのかなんてわからない。ただ、やってみる。
「行くぞ。……つっ…」
俺はポケットから小さなバタフライナイフを取り出すと、俺の腕…左腕の肘の下あたりを切りつけた。本当のことを言うと、手首を切ったほうが血はたくさん出るのだが、もし、水無月皓とかが襲ってきたら、戦えなくては困るから、こうした。
丁度あったその飲食店のグラスに自分の血を入れると、まだ息のあるその男に飲ませた。男は、音を立ててその水を飲んだ。
「…ぅあ…」
「大丈夫か?少しは、マシになったか?」
「……ぐ…ぁ……」
男から出るのは、苦しみの声だけ。30秒…1分…2分…そして、タイムリミットと言われている10分が過ぎた。他の人間…周りの店にも回って、合計30人ぐらいに飲ませた。
だが、全員死んだ。
「くそが…」
俺は自分の無力さを呪った。なぜ、助けられないんだ!?…どうして……
「しょうがないわよ…。『VAIO』を作ったのは、水無月皓なんだもの。あいつ以外の人間に、『VAIO』を撃つ方法を作り出せるなんて思えないわ。私たちは、あいつの創り出した『失敗作』なんだから…。」
結菜は淡々と、それだけ言った。
隔離施設の中で幸せな生活を送っていた俺と違って、結菜は、ひとりで『VAIO』を撃つ方法を考えていたはずだ。外の世界を歩くということは、沢山の…こう言った光景を見てきたということなのだろうか。
「でも、誰が…」
「そうね…新たに『VAIO』感染者が出来たのかな。…そうとしか思えないけど。」
新しい、『VAIO』感染者か。
最近それが急増している。なぜだかはわからないが、水無月皓が絡んでいることは間違いない。
「…どうする?感染者を捜し出してから雪のとこに行く?」
結菜が俺に訊く。俺は、無言だった。人として、感染者を見つけなければいけないのだろう。被害が広がる前に。けれど、俺は鷹多悠として…雪の、元へ、行きたいんだ。行かなければいけないんだ。
「俺は…」
俺が口を開きかけたそのとき、
「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
猛烈な声が俺の声を掻き消した。それは、女の泣き叫ぶ声。感染者か?
だが、どこかで聞いたことがある声だった。
「この声…まさか……!!!」
結菜が自動ドアが開くのも待てず、ドアに掠りながら出て行った。
「結菜、誰かわかるのか?」
結菜はきっと俺を見る。
「嫌というほどね!」
そして、声のする方を見た。信じられない声を上げて泣き叫ぶ者がいた。
金髪のロングヘア。見慣れた黒い服。頭を押さえるその白い手は、見覚えがあった。
「どうして、こんなところにいるんだ…!?」
結菜がその女のところに駆けていくと、女を引っ張り起こして、その顔を張った。
女は凄い音とともに崩れ落ちた。
「お、かあさんっ…?」
「アンタ何しにこんなとこに来たのっ!?」
その女は―――――結加は、結菜の声にさらに泣いた。
「だってっ…。悠はいつもより帰るのが遅いしっ…お姉ちゃんはいなくなるしっ…お母さんも覗きに来るしっ…。こんなの、何かがあったとしか思えないじゃない!!!」
「それでも、アンタは『VAIO』感染者でしょう!?ここに来れば、こういうことになるってことはわかってたはずっ!」
「わかってたよ!そうなると思ってたよ!だけどね、隔離施設で死ぬのを待つだけなんてもう嫌なのよっ!!!!」
結加はそう叫んで立ち上がった。瞳には血が大量に付いている。泣きすぎで、血の涙が流れたらしい。
「悠とお姉ちゃんだけじゃなくて、お母さんも関係してくるってことはっ…お父さんに何かあったんでしょっ!?」
身体をびくつかせる、結菜。結加は結菜を睨みつけたあと、俺の方を見た。
「沢山の人を…犠牲にしたことは謝るわ。けど、私だってお父さんを許せないのよ!私だって、水無月皓に言ってやりたいことは山ほどある!!!」
結菜は肩を抱えて震えている。俺は、静かに口を開いた。
「確かに、結加の気持ちもわかる。お前は、ただ死にたくなかったんだろう?誰だって、そうだ。」
「悠っ…」
結菜が歓喜の眼差しで、俺を見つめる。結菜は俺を幻滅の瞳で見つめた。俺にとってはどうでもよかった。あいつ以外の瞳は。
「…だけどな。…死んだ人間全員に、沢山の想いがあるんだ。夢があったかもしれない。やりかけていたことが沢山あっただろう。悲しむ家族もいる。お前だって…『VAIO』に感染した時、大切な人を亡くしたんじゃないのか?」
結菜は目を見開いた。結加は左手でみぞおちあたりを抑える。
「どう…して…」
「穂(ミノル)…。隔離施設の感染者の内の1人がそうじゃないか、って言っていたんだ。」
こんなときにも、穂について遠まわしに言ってしまう自分が嫌だ。穂への憎しみは、まだこんなにもあるのか…。
「……でもっ……」
「わかった。けれど、…毒を防ぐ方法を考えないと、犠牲者が増えるだけだ…。」
その時だった。道路の向こうから、大きな物音が聞こえてくる。
バラバラッバラバラッバラバラバラバラッ…
「車?」
「みたいだな。…やばい。」
あの車の運転手も、死んでしまう。
「結加!あんたは、あの家の中にでも入ってて!!!」
「えっ?」
「…おそらく意味はないだろうが…気休め程度にはなるだろう。あの車の運転手を、殺さないための。」
「…わかったわ…」
結加はさっきの店の側にあった小さな民家に入ると扉を閉めた。
「あの車が遠くで止まってくれればいいんだけど……」
「無理だな。」
もう、車は目に付くところまで来ていた。大きな音を立てながら、俺たちの元へ近づいてくる。頼む。来るなっ…
バラバラッバラバラッバラバラバラバラッ…
しかし、車は俺たちのところまで来てしまった。そして、俺たちの隣で止まった。
「…死ん、じゃった…?」
「さあな。」
俺は運転席に近づいた。…ら、いきなり運転席の窓が開いた。中には強固なマスク…顔面を覆うほどのゴムマスクで、目の部分のみサングラスのように色は濃いがちゃんと見えるようになっていて、口元の部分は出っ張っていて、小さな穴があり、その下には浄化装置のようなものが見えた。
「ようっ!」
…兎に角、陽気な声が降ってきた。
この声は…
 


コメント:
2003.10.08.UP☆★☆
ちょっと間が開いてしまいましたが、「VAIO」ですっvvvやっぱりリニュの火ぶたはコレよ。
テンポ的には好きなんですけど、長くなってきたんで途中で切れちゃいました。
陽気な声の持ち主、・・・多分ご想像通りで。



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