V A I O 53 
 
 
 
 
 
 
     *  *  *

白い扉――雪に紛れて、遠くからは見えなかった。
しかし、大きかった。
こんなに思いっきり扉があるのに、小屋のサイズは、扉と同じぐらいだった。
扉を開けたら、小屋ごと崩壊しそうだった。
それでも、扉は開いた。

「なるほど、な。」
俺は思わず感嘆の声。…小屋に合ったのは、地下へと続く階段のみだった。
「お父さんは、地下にいるの?」
仲藤は答えなかった。
「これで標高3000mとかに居たら凄いけどな。」
「私たち、何してんのって感じじゃない…それ。」
仲藤は何も言わなかった。
「でも、水無月皓だろ?何をするかなんてわからない。」
「いや…お父さんは、普通の人よ。」
仲藤が少し結加を見た。俺も少し驚いて結加を見つめた。
「チョットお母さんのことを好きになりすぎた、普通の人よ。」
「ちょっとか…?」
「はは、違うかもね。」
違う。…たとえ水無月皓は結菜を好きじゃなくても、こういう人間になっていただろう。結菜を愛しているから、こうやって『VAIO』を作っているとしたら――雪には、危害を加えられるわけがない。
「降りるぞ。」
仲藤が足を踏み出す。地下への階段は、先が真っ暗になっていて、どうなっているかがわからなかった。
仲藤が先頭で、俺と結加はあとを付いて歩き出した。
「お父さんはね――、お姉ちゃんが大好きだったの。少なくとも、私の目から見ては。」
「…さっきもそんなことを言ってたな。」
「うん。…でも、本当なのよ。お姉ちゃんが大好きで、自分の実験室に呼び出しては――お喋りして。私は、幼すぎた私は、お姉ちゃんがいきなり来てお父さんを奪った人間に見えたなぁ…。恨んで、憎んで、」
結加は俺を見てにっと笑った。仲藤の表情は見えない。
「殺したかった。」
「雪を、か?」
「もちろん。」
どうしてだろう。結加が、幼く見えるのは。
どうしてだろう。その光景を、俺が知っているのは。


   +  +  +


「結加。」
「お父さん、なぁに?」
「お前のお姉さんは、いるか?」
「………わかんない。」
「そうか。」
お父さんの背中は、大きかった。いつも白衣を着て地下で何かをやっていた。お母さんにお父さんは何をやっているのかを聞くと、お母さんは小さな声で「未来に役立つことよ」と答えた。
お父さんはお姉ちゃんが大好きだった。お姉ちゃんは、ある日お母さんと一緒にやって来た。私より4つ年上で、私にいつも優しくしてくれた。お母さんもお姉ちゃんが大好きで、出かけるときはいつも一緒だった。学校でも、お母さんと出かけてもいないときは、お父さんがお姉ちゃんを探して、お父さんの秘密の部屋に一緒に入っていった。
お父さんは、よく叔父さんと一緒に居た。お母さんに、ふたりは仲がいいか尋ねたら、目を逸らしながら「兄弟だからね」と答えた。叔父さんも秘密の部屋を持っていて、よく篭っていた。
叔母さんは、叔父さんの奥さんで、いつもにこにこしていた。でもお母さんとはあんまり仲が良くないみたいで、お母さんがいないときにはお母さんの悪口ばかり言って叔父さんに怒られていた。お父さんはそのことを知らなくて、叔父さんは私に、「絶対に君のお父さんには言うなよ」とお金を渡しながら言った。
今日も、お父さんはお姉ちゃんを探していた。お姉ちゃんとはさっきまで一緒にテレビゲームをしていたけど、さっき急にどこかに行ってしまった。別に、お父さんに意地悪したわけじゃない。
私が、「水飲みたいよ」と言ったことなんて忘れてしまっただけだった。
「はい、お水。」
「ありがと、お姉ちゃん。」
お姉ちゃんが戻ってきた。お父さんは、今、ここにはいない。
お姉ちゃんはゲームの画面を見て、顔を顰めた。
「ってこら!私が居ない間にちょっと進めた!?」
「進めてないよ。」
「嘘つき!進んでるじゃないっ!!」
「お姉ちゃん、言い方キツイ…」
「うるさいなぁ。…これでも我慢してるんだけど?」
お姉ちゃんは、最近凄く言葉使いが悪くなってきた。出会った当初は可愛くて優しい言葉使いだったのに。友達が悪いのかなぁ。
「…お姉ちゃん、恐いよ。」
「黙ってよ。…あ〜白けた。私、やめるわ。」
「待ってよっ…」
「結加が勝手に進めたのが悪……」
「雪。」
お姉ちゃんが立ち上がって、私を見下してそう言おうとしたとき、お父さんがその部屋に来た。
「あ、…オトウサン。」
「丁度良かった。今日も、来てくれ。」
「……はい。」
お父さんの嬉しそうな表情と、お姉ちゃんの無表情が対照的だった。
でも、お父さんはお姉ちゃんが大好きなんだってことは、流石にまだ一桁の年齢の私にもわかった。
「ねぇ、お父さん!」
「何だ?」
「私は、行っちゃだめ?」
「駄目だ。」
即答されて、私の甘え声は途切れる。お父さんは、私を振り向きもしなかった。

何で、どうして?
お姉ちゃんとお父さんは血が繋がってないんだって。叔母さんがそう言ってた。
私はお父さんと血が繋がってるんだって。叔父さんがそう言ってた。
私とお姉ちゃんは、お母さんが同じなんだって。お母さんがそう言ってた。
でも、お父さんはお姉ちゃんとずっと一緒にいたいんだって。私が、そう思った。

地下から聞こえてくるのは楽しそうな声。
私は階段の途中で座り込んだ。
何を話しているかは聞こえてこないけど、お父さんと、お姉ちゃんの笑い声が聞こえてきた。…今日はいないみたいだけど、たまにお母さんも交えて3人で話してるときもある。
何をやっているんだろう?どうして私はいれてくれないんだろう?
私がまだ小さいから?
それとも、私が嫌いだから?
「…結加ちゃん。」
体育座りをして、膝に顔を埋めて泣いていたら、背中から声を掛けられた。
「…叔父さん。」
「叔父さんと一緒に遊ばない?」
ニコッ、というその笑顔。私が、生きていけたのは、過言ではなく…叔父さんのおかげだと思った。
「遊ぶ、遊ぶ!!」
地下室の笑い声なんていらない。楽しそうな声なんていらない。
誰かが私を必要としてくれさえいれば、それでいい。
叔父さんは、私に合わせて色んな遊びをしてくれた。少しむずかしめの本を読んでくれたり、外でボールで遊んだり。
そして、夕方になると決まって庭の芝生に座りながら、私を膝の上に乗せて、誰のかわからない歌を歌っていた。
私は、遊び疲れているのもあって、叔父さんの歌の心地よさにいつも眠ってしまっていた。そして、気付けば暖かいリビングに、叔父さんと、お父さんと、お母さんと、お姉ちゃんと、叔母さんに囲まれて起きるのだ。
叔父さんが大好きだった。でも、それ以上に、お父さんが大好きだった。

「雪、来てくれ。」
「…はい。」


「雪、今日も頼む。」
「…はい。」


何で、お父さんはお姉ちゃんばっかり呼ぶの?
私が10歳になったある日、私は地下の実験室を覗き見た。

「雪………お前は、俺の一番愛している人に似ているんだ…」
「何回聞いたかわからないわ。」
「そっくりなんだよ。いくら見ていても、飽きない。」
「私は飽きるわ。…いい加減にして欲しいんだけど。」
「そんなこと言うな…。俺のおかげで、学校ではいい気分だろう?」
「そりゃ、ね。今はなりたい自分になれてるけど。…もう少しバイクにうまく乗れればベストだけどね。」
「まぁ、それはまた今度してやるよ…。今日はお前にこれをやろう。」
「何なの?また、指輪?」
「いや。…ピアスだ。」
黒い、逆十字の大きなピアスだった。私の瞳はそれに吸い寄せられた。なんて綺麗な黒。私も、欲しいのに。私も、欲しいのに。
「はっ!?それが、ピアス??…そりゃ、私は穴開けてるけどね、そんなブローチ以上の大きさのピアスなんか付けれるわけないでしょ!?考えてよ。」
「大丈夫。俺が付けてやる。」
そう言って、お父さんはお姉ちゃんを抱きしめた――。お姉ちゃんの全身の力が、あっという間に抜け落ちる。…何?何があったの??
お父さんは、眠ったようになったお姉ちゃんを抱きかかえて、さらにその奥の部屋に入ってしまった。
しばらく、出てこなかった。けれど、私は動けなかった。
お父さんを見るまでは動けなかった。お姉ちゃんを見るまでは動けなかった。
お願い、お父さん。お願い、お父さん。私にもそのピアスを頂戴。お願い、お父さん。私にもその眼差しを頂戴。
実験室に身を乗り出しそうになったとき、右肩にぽんっと手が置かれた。
「!?」
「結加ちゃん……」
私が振り向くと、それは叔父さんだった。叔父さんはそっと私の身体を引き戻した。あぁ、そうだ。もし私が覗いてることがばれたら、お父さんに殺される。
私が力を抜いて、元の位置に戻った時、奥の部屋からお父さんが出てきた。未だに眠っているお姉ちゃんを抱きかかえながら。
お姉ちゃんの耳に光っていたのは、あの逆十字のピアスだった。
「あれは……私がもらうのに……!!」
「結加ちゃんっ…」
「あれは……私のものなのに……!!!!」
もう、叔父さんの抑制も効かなかった。
私はお父さんの実験室の扉を開け放った。お父さんは呆然として私を見た。お姉ちゃんを抱きかかえてるから、身動きが取れないらしい。
私はお姉ちゃんに飛び掛った。
「私のピアス!私のピアス!!!」
お姉ちゃんは眠っている…。お父さんが手を離せば、お姉ちゃんは床に落ちる。お父さんは手を離せない。
私はお姉ちゃんのピアスを掴む。目一杯、引く。
「結加!!!」
お父さんの怒鳴り声。聞こえない。聞こえてるけど、聞こえない。
目一杯、引く。

でも、ピアスは外れなかった。
耳を引きちぎる力はそのときの私にはなかった。
ピアスは、耳に埋め込まれていた。

お父さんはお姉ちゃんをそっとベッドに横たわらせると、私の肩を掴んで持ち上げた。
「結加、何をするんだ!?」
「だって、私だって、ピアス……欲しいよっ…」
「あんなものが!?あれが、欲しいのか!?」
「欲しいよっ。お姉ちゃんばっかり、お父さんにたくさんもらって、ずるいよ!!!」
「あんなものもらわない方がいいに決まってるだろう?あれが何かお前は本当にわかってるのか?」
「綺麗な黒いピアスだよ!私だって、欲しい!!」
「……結加、お前にはあげられない。」
「何で!?」
「何でもだ。」
「そんなのないよ!……お父さんは、どうせお姉ちゃんのことが大好きで、私のことが嫌いなんだろうね!でも、ピアスぐらい私にくれてもいいじゃないっ!!」
「お前は馬鹿か…。お父さんは、結加のことが好きに決まっているじゃないか。」
「なら何で私には何もくれないの!?」
「物をもらうことがイコール愛情とは限らないだろう。」
「わかんないよ!私は、お父さんがくれるものなら何でも欲しいよ!!!」
お父さんはじっと私を見つめた。憐れむような、そんな瞳で。
「そんな瞳で見ないでよ!!」
泣いて、泣いて、泣き喚いた。それでもお父さんは私に何かくれようとはしなかった。
ふと横に目をやると、お姉ちゃんが目に入った。私は近くにあった尖った棒を掴むと、お姉ちゃんに向かって走り出した。
「……結加?」
「お父さんに好かれて、お母さんに好かれて、私の欲しいものを全て持ってるっ……。そんなお姉ちゃんなんて死んじゃえばいいんだ!!!」
「結加ッ・・・!!!」
お姉ちゃんに、その棒を振り下ろした。

 お姉ちゃんの服に、血の染みが広がった。
 その染みは、みぞおちあたりから…どんどんと、広がっていった。
 私は急に恐くなって、叫びながら逃げ出した。
 実験室から出るとき、叔父さんにぶつかったけど何も言わずにそのまま走った。

「…浩。」
「わかってる。手伝う。」
「あれを、試すか?」
「……そうしないと、傷は深いから――助からないかもしれない。」
「…やる。」
「この子のために?今までの研究を費やすんだね?」
「…やる。」
「よし、じゃあ、やろうか。」


  3日後、お姉ちゃんは今まで通りに生活していた。

 
 
 
コメント:
2004.01.04.UP☆★☆
焦らすなぁ、私。(笑)まだはーくんは皓と会ってないし。(爆)
次こそ会えるといいのだがーっ。頑張れ、皆。(お前がゆーな)

 
 
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