V A I O 54 
 
 
 
 
 
 
   +  +  +



「…全部、知っている。」
「え?」
結加が、雪を殺したかった、と言った後、暫らくの沈黙があり――そして、俺がそう言った。
「全部、知っている。」
「何を?」
「結加が、雪を憎んでいたことも、雪を殺したことも。」
結加の表情が豹変する。驚きの表情に。
「どういう……こと?」
「わからない。」
「ッ!!!とぼけないでよ。知ってるってことは…何か、あるんでしょ!?」
「わからない。…それしか言えない。何もとぼけていない。」
「じゃあ、………何、ハッタリ?」
「いや。……雪がどうして3日後に普通に生活していたかも、知っている。」
結加が、真っ青になった。俺は結加の顔を出来るだけ見ないようにした。
「ねぇっ!?言ってよ。何で!?………何でお姉ちゃんは、あのあと、幸せそうに生きていたの!?私が、殺したのに……何で!?」
「…………。」
どうして、知っているのだろう。
…いや。
どうして、思い出したのだろう。
全て、全て忘れていた。「知らなかった。」なのに、今更。
もし、このことを知っていれば…俺は、雪にもう少し警戒したかもしれなかったのに…俺は、雪を、何があっても皓には引き渡さなかったのに。
「ねえっ!!悠!!!」
「…皓…に、聞く。俺は、自分がどうしてそれを知っているか、知らない。」
いや、まるでこの感じは…忘れていたことを思い出すというよりは…知らなかったことを、今、知ったという感じだった。
なぜ、過去のことを、今?
なぜ、俺には全く関わりのなかった雪たちの昔の生活を、今?
俺には全くわからなかった。
「…お取り込み中、悪いが。」
仲藤が、ニタッとした笑みを浮かべながら俺たちを見回した。
「着いた。」
「はぁ!?…どこが着いたのよ!?」
結加はイライラしていた。仲藤に怒鳴り散らす。
「着いた。」
ニヤニヤしているのは仲藤。でも、階段は普通に途中だった。俺も仲藤がどうしてそう言うかわからなかった。
しかし、仲藤は壁に手を当てた。ボタンのようなものがあった。上から、階段が降りてきた。
その壮大な仕掛けに、俺も結加も無言だった。俺たちの丁度歩いている前に、今度は上りの階段が出来たのだ。
生物学者な水無月皓だが、工学系の人間としてもやっていけるのかもしれない。恐ろしかった。
「着いたよ。」
「……これを上るのか?」
「少しだけな。」
仲藤はひょいひょいとその階段を、上った。俺たちもついて行った。
仲藤は、いきなり右側にある壁の下のほうを摩った。…壁の一部がめくれ、滑り台のようになっていた。
「な………」
「着いたって言っただろ?ここに入れば、ゴールだ。」
「やけに、わんぱくだな。」
「博士は楽しんで作っているからな。」
仲藤はさも面白そうに笑った。
「俺が、先に滑ろうか?…それとも、お前らのどちらかが、行くか?」
俺は、結加の顔を見た。結加は首を振った。
「お前が、先に行ってくれ。」
仲藤はつまらなさそうに溜息をつくと、頷いて、無言でその穴に足から入った。座った状態ならなんとか入れそうな穴だったが、少し座高の高い人間は駄目だろうと思った。
俺は身長も座高も標準なので、普通に入れそうだった。結加はあまり背が高くないので結加も座った状態でいけそうだ。
仲藤は、そのまま穴の中に消えていった。滑り台…は結構急らしく、あっという間に仲藤が見えなくなった。
「いったい…地下のどこまで続いているのだろう…?」
「わかんないけど。…でも、行ってみるしかないわよね。」
「あぁ。」
俺は結加に対して大きく頷いた。
これで、これで水無月皓に会えるというのだ。
誰だって緊張もするし、張り切りもする。水無月皓に会えるのだ。
そして……………

雪に、会える。


「先に、行くぞ。」
結加は頷いた。
俺は足から入った。思ったとおり、座ってさえいれば、穴には入れた。しかし少しだけ上が危なかったので背中だけは丸めた。手で、後ろの床を押した。俺は滑り出した。


滑っていた。
それでなくても七部丈になってしまったズボンは、さらに悲鳴をあげていた。
靴でブレーキをかけながら滑ろうとしたが、すぐに摩擦で靴――革靴だったのだが――は、大破しそうだったので、光が見えるまでは普通にしておこうと思った。
スピードは、恐ろしいほど上がった。
ゴールは、なかなか来なかった。
一体どれだけの地下で水無月皓は実験をしているのか。一体どうやってこの穴を掘ったのか。
独りで暗い道を進むなんていうことは、今までにも何度もあった。もっと恐怖にかられたこともあった。
しかし、何かが違っていた。
雪に会うということがあることか…。それとも、水無月皓がいるからか。
いや…やはり、雪と会うから、だな。
……………。
……………俺が、初めて、雪への気持ちが揺らいでから…それから、会うからだ。
確かに、雪は俺が何をしたかなんて知らないだろう。そして、雪は、俺に何を言ったかなんて覚えていないかもしれない。
雪が水無月皓に操作されて言っていたとしても、それは雪の口から出た真実。少なくとも、俺にはそう感じてしまったから。
雪を愛していると…胸を張って言えるのに、それでも………雪と顔を合わせたくないんだ。
好きだから。
誰よりも愛しているから。
男が泣くなんて――と誰かは言うけれど、仕方がないかもしれない、とふと思った。
雪を想うだけで、涙が出そうな自分を冷めた瞳で見つめながら。
失いたくないのに、失わざるを得ない状況。
もし、雪が本当に水無月皓に操られているのだとしたら――俺は雪を抱きしめることが出来ないかもしれない。
俺は、おそらく、雪を殺さなければいけない。
結菜にそれを暗に示された。俺は叫んで聞こえないようにした。
けれど、もし―――――今、雪と会って、雪に完璧に俺の声が聞こえなかったら。
もう、完璧に皓の手ごまとして動いていたら。
俺は、『VAIO』隔離施設の管理人として。俺は、水無月浩に全てを託された人間として。俺は、地球に生きる1人として。
雪を、殺さなければいけないのだ―――――。
だから、きっと、嫌というほどの恐怖と戦っているのだ。俺自身に対しての。
全てを知ってしまった俺自身に対しての。

嫌だ。
雪を、殺したくなんてない。

これが、鷹多悠の気持ちで。

生きるために。
水無月雪を、殺さなければいけない。

これが、ただの人間としての俺の『やらなければいけないこと』。


俺は、瞳を閉じた。嫌だった。
ただ、滑り落ちる音だけが聞こえていた。
雪が、水無月皓の下にいないこと。それだけを祈っていた。
雪が、自分の意思で動いているのなら、……誰も雪を殺す必要なんてないのだ。
でも、どうして雪は生き返ったのか?俺は、何かを試したわけでもない。5年間、同じように『VAIO』液に浸しただけで、何もしていない。
運良く生き返った。
何もかも都合よく行き過ぎている。
そんなこと、あるわけないのだとしたら。
今から、必要以上のしっぺ返しが………来る。


俺は、瞳を開けた。光が見えた。
あれが、『ゴール』………。
永遠に、着かなければよかった。永遠に、この暗闇の中で、葛藤していたかった。
永遠に、真実なんて知りたくなかった。

だんだん、その『滑り台』は緩やかになった。俺は減速してきた。光は、近づいてきた。
胸が高鳴ってきた。
怖い。怖い。怖い。怖い。雪を見ることが怖い。水無月皓に会うことが怖い。雪を殺すことが怖い。光の下に出ることが怖い。
怖い。

しかし、俺は止まることなく、光の下に投げ出された。




「ようこそ。」
目の前の、白衣の男。
「ようこそ、鷹多悠君。」
ニタッという嫌な感じの笑み。白衣のポケットに手を突っ込んでいるその立ち様。
「ようこそ、と言っているのだが?」
手を出してきた。握手を求めているのか。

『滑り台』から投げ出された俺は、なぜか丁度その下にあった椅子に腰掛けるように落ちた。
そしてその椅子のまん前に、その男が立っていたのだ。
誰か、なんて考えなくてもわかる。その雰囲気だけで。たとえ、白衣を着ていなくても―――――。
いや、それは嘘だ。…白衣を着ていなければ、この男が誰かは俺はわからずに、混乱していたと思う。
普通に考えて、55歳なわけだ。俺や、結菜のように――『VAIO』に感染していることを予測したとしても、ある程度は年を取っていると、そう思っていた。
しかし――、しかし、その男は。
明らかに、…俺と同じぐらいだった。30代では、ない。ニタッと笑うその唇に、年から来る皺などなかった。

「嫌われているか。」
自嘲気味に笑う、その『男』。
「それとも、まず名乗ってからの方がいいのか?」
俺は、何も言えなかった。長めの前髪。綺麗に切りそろえられた後ろ髪。逞しそうな肉体。綺麗な肌。
「俺は、水無月皓と言う。…前々から君に会いたかった。雪の父親として。」
雪、という言葉に俺は反応した。必死に声を絞り出した。
「ゆ………きは、無事なんだろうな……?」
皓はさらにニッと笑った後、俺の手を掴んで、強引に握手した。そして、俺の目を見た。
「愛娘だ。殺すわけない。」
近づいて欲しくなかった。
水無月皓に近寄られるだけ、俺は後ろに下がりたかった。
しかし、椅子はしっかり固定されていて、それは出来なかった。俺はギッと水無月皓を見据えた。

まるで、………鏡を見ているようなその顔を、見据えた。

 
 
 
コメント:
2004.01.18.UP☆★☆
会えたけど・・・やっぱり進み率、悪いナァ。(苦笑)
頑張れ、はーくん。親ばかがここにいるぞ。(意味不明)

 
 
55話へ。
 
□ Home □ Story-Top □ 連載小説Top □