V A I O 56 
 
 
 
 
 
 
「…博士の元へ、行きたいと…」
「っな…」
水無月皓は可笑しそうに笑いながら、俺に背を向け、近くにあったパソコンのキーボードで何かを打ち込んだ。画面に、どこかの映像――おそらく、実験室の映像が、流れていた。皓はヘッドホンをつけるとニヤニヤしたまま、俺のほうを向いた。
「お前の側にはこれ以上いたくないと言っているぞ?」
「何でだ!?」
「知るか。」
じっと画面を見つめる皓。結加は何かを近くの男…そう、皓の立体映像に言っている。画面が遠くてよくは見えないが、確かによくできている。しかもある程度の距離を結加と取っているせいか、結加は全く気がついていない。
「実験室はどこだ。」
「教えられない。」
「結加に、何を言った?」
「…お前と雪を交換できるが、どうする?…と言った内容のことだな。」
どうして、結加。俺は、お前を犠牲にはしたくない。
雪を愛している。今すぐこの手に抱きたいほどに。今すぐ雪欠乏症で死んでしまうほどに。でも、だからと言って、結加を犠牲にしたら。
雪が、哀しむ。
「はは…」
思わず自分に笑ってしまった。どうしてここまで雪重視なんだ。結加を失いたくないのも、それも雪のため。雪のためなら、何だって手に入れたい。手に入れなくてはいけない。
好きなのに、心のどこかに結菜と唇を重ねてしまったことが掠めて、罪悪感にかられる。
たかが、それだけのことかもしれない。他の人間から見れば。
でも俺にとってはあまりにも大きすぎる――裏切りだった。
好きなのに。愛しているのに。どうして、俺は。
少しでも、その罪悪感を消すためには、…雪が望むものなら何だって手に入れなければいけない。結加も、皓も、雪が欲しいというのなら。
雪が世界の滅亡を望むのなら、俺は世界を滅亡させよう。
「どうした?笑ったかと思ったら、黙りこくって。何か自分の中で踏ん切りがついたか?」
結加と雪。どちらが大切か―――――?
答えは、簡単だった。
「雪を選ぶ。雪を連れて俺は帰る。」
「そうか。」
皓はそのままの表情でヘッドホンを外すと、ドアを開けてさらに奥の部屋に入っていった。
その瞬間、俺の身体が自由になった。俺は立ち上がってさっきの画面のところへ行った。
画面には、結加が何かを水無月皓の立体映像と喋っているところが映し出されていた。
すまない、結加。俺は――。
「雪…」
ぽつっと出た、その言葉。仲藤が俺の方を見た。
「貴様は…とことん馬鹿な奴だな。」
「何だ?」
「馬鹿だ、と言っているんだ。」
仲藤が…笑った。目以外は、笑った。
「水無月結加を使って博士が何をするか考えないのか?もし、この地球を守ろうと思うのなら、水無月結加を選んだ方が得だ。」
!?
何を、言っているんだ…?
「仲藤?」
「俺が、心から博士に賛同していると思うのか?」
「思っていた。」
仲藤は、今度は…目も、笑った。そして俺の方に歩いてきた。
「…確かに、『VAIO』毒にやられて9割死んでいた俺を助けてくれたのは、博士だ。博士の腕は本当に尊敬する。だがな、俺はその前に地球人なんだよ。」
「意外に、まともだな。」
「脳を弄られすぎて…冷静に考える部分が余計に発達してしまったのかもしれんけどな。――俺は貴様にしか望みはないと思っている。」
「望み?」
「…地球を、『VAIO』以外の人間しかいない状態に戻す"望み"だ。」
俺は、溜息をついた。誰かに言われたセリフと似ていた。
あぁ、そうか。水無月浩か。
――『君の瞳に希望を見た。』――
どうして、俺の中には…水無月浩のものと思しき記憶があるんだ?
結加が雪を殺そうとしたこと。皓が雪の整形手術をした光景。
…俺は、…しかも、全てを…知っていたのに…知らなかった。何も、知らなかった。
「水無月雪が戻ってきたら、殺せるか?」
「無理だ。」
今度は仲藤が溜息をついた。
「お前は、馬鹿か。…水無月雪が『VAIO』にとって一体何なのか、知っているのか?」
「知らん。」
冷めた瞳で仲藤を見つめる俺。…仲藤は俺の瞳をさらに見つめてきた。
「…水無月雪は…」
「全ての『VAIO』の母体なのだよ。」
ばっ、と振り返る仲藤。俺は仲藤から少し視線を外すだけでその声の主――皓の確認が出来た。
「ははは、仲藤。声は向こうの部屋まで丸聞こえだ。」
「ッ―――――。」
「大丈夫だ。貴様を殺しはしない。まだ手伝ってもらわねばならんことが山ほどあるんでな。信用している。」
ニヤニヤ笑う。
「それより――どういうことだ。」
「何がだ?」
「雪が、…母体?」
「あぁ、そのことか。」
俺が必死に搾り出したその声も、皓にとっては大したことはなかった。
そして俺にとっても自分の声も、大したことはなくなった。皓の後ろには、雪がいたのだ。
「雪ッ!!!」
「おっと、まだ気絶している。…もう少ししたら目を覚ますだろうから、その前に説明してやろうか?水無月雪が母体だという、そのことを。」
「……」
考えた。ここで、聞いてしまっていいのだろうか。
言葉から察するに――嫌なことであることは間違いないらしい。
結菜は、俺に雪を殺さなければいけないと言った。そう言った。理由は、あのときは『水無月皓に操られているかもしれないから』だったが――。だが――…
「聞きたくない、か?…そうか。なら教えてやろうか。」
俺が無言でいると皓はさも嬉しそうに笑った。そして喋りだした。俺の中では何の答えも出ていないのに。
「雪の身体の中には――『VAIO』の種があるんだよ。それは、神経で耳と…耳のピアスと繋がっている。俺からの指令で、『VAIO』を作ることが出来る。…よく考えてみろ?雪が死んでいるときより、雪が復活してからの方が『VAIO』感染者は大量に出てきただろ?」
心当たりは、あった。確かに、雪が復活してから3ヶ月――これまでにないほどの『VAIO』感染者が施設に申し込んできていた。
「雪の体の中には『VAIO』が既にかなり成長した姿で入り込んでいる。死んだときはかなり驚いたがな。…まぁ、どこかの隔離施設管理人が死体を保存しておいたおかげで復活したのだが――」
俺が、雪を保存していたことが、皓にどう利用されていようと構わなかった。
だが、後半の部分には引っかかりがあった。やっぱり…結菜の言っていたとおりだったのか…?
「…お前が、雪を復活させたのか?」
「ん?あぁ…。…どうだろうな。だた、俺は死体ぐらい、保存状況が良好なら…動かせる。」
つまり、YESということか。どうして…どうして、最初からそうと言ってくれなかったんだ…?
俺は、ただ、雪が復活したことに浮かれて、何の危険も、理由も考えないで、雪を生き返したのは自分だと思っていた――。
結菜に違う可能性を指摘された。悔しかった。しかし、…それが、真実だった。
「まぁ、気にするな。お前の愛の力だ。」
「そんなに軽く言うな。」
「軽くなんて言っていない。人を愛する気持ちぐらい、俺にだって痛いほどある。」
言い返せなかった。こいつの愛は――…結菜への愛は、恐ろしいものがあるから。
「ははは、今回雪を預からせてもらったが、大体何をしたのかわかるか?」
俺はビクッ、と身体を上げた。皓を睨みつけた。
「まさか…」
「…睨むなよ。」
肯定か。
皓は、雪の中の『VAIO』を――要するに、"バージョンアップ"させたのだ。絶対に。今までの自我の残る『VAIO』ではなくて、新しい、『D−VAIO』を生み出せるモノにしたのだろう…。
「お前に、雪を殺せるか?」
ニヤニヤしていた。殺せないとわかって、俺に返すんだろう?
わかっている。俺には雪は殺せない。全世界が雪のせいで滅びるとしても殺せない。
雪に殺されたとしても殺せない。
俺は皓を無言で睨みつけた。…見れば見るほど、俺に似ていた。
「…どうして…」
「ん?」
「なぜ、あんたはそんなに俺に似ているんだ?」
皓は一瞬凍りついた…が、すぐに笑った。
「ははは、お前に似ているわけじゃない。偶然似ているんだ。」
「だが、こ…、あんたの弟は、俺に似ていなかった。同じ血なんだ。」
「………勘が悪いかと思えば、勘がいいんだな。」
水無月皓は笑顔を崩さなかった。まだ、この男には余裕があるのだ。
「…お前は、それを知ってどうするつもりだ?俺を笑うのか?」
「笑う?」
「…理由が、笑えることだからだ。」

俺はどうすればいいかわからなかった。てっきり整形かと思っていたのだが…笑えるのか?整形だったら、別に笑えない。しかし、俺とそっくりというのはどうにも解せない。何の理由があって?
しかし、さっき『お前に似ているわけじゃない』と言った。つまり、俺以外には似ている人間がいるということか――?
誰に似ているんだ?
「…笑わない、と言ったら教えてくれるのか。」
皓は笑った。物凄く可笑しそうに笑った。
「お前は素直だ。可愛いな。流石だ。子どものようだ。」
笑った。笑っていた。仲藤も少し笑っていた。…何が、可笑しいんだ。わからなかった。
「お前に比べれば、雪の方がよっぽどスれているな。…まあ、そんなことはどうでもいい。お前になら教えてやってもいいな。…1人しか知らない。俺以外には。」
水無月皓はじっと俺を見た。
「この顔は、整形して作り上げた。」
笑えなかった。
「しかも、誰に似せたか――わかるか?」
「わからん。」
また可笑しそうに皓は笑った。俺は何も笑えなかった。
「…簡単だ。お前に似ている知り合いだ。」
………?
「俺は、結菜が好きで好きでたまらない。愛している、という言葉でも言い表せないね。…結菜を傷つける奴は俺が殺す。」
皓は俺がさっきまで座っていた椅子に座った。雪は奥の部屋へのドアのところに凭れ掛からされていた。
「一目見たとき、俺は結菜を好きだと感じた。しかし、少し調べれば結菜が結婚していることはわかった。子どもがいることもわかった。でも、結菜が好きだった。」
腕を組みなおす。端正な顔、とは言えない。悪くはないが、よくもない。少し探せばある顔――とは言いにくいかもしれないが、珍しくはない。街角ですれ違っても、振り向くことはない。
「わかったか?俺が誰に似ているか。」
「…わからない。」
「そうか。…俺はな…、茶道好秋に似ているんだよ。」
わかった。
そうか。そう言えば、結菜と結加が似たようなことを言っていたかもしれない。俺は、そいつに似ていると。
俺はそいつとは他人の空似だった。皓はそいつに似せた。だから、俺と皓が似ているということか。
偶然、似たのか。本当に偶然だ――。俺が、茶道好秋に似ているのも、茶道好秋に似た皓と俺がこういう風に今出会っているのも。
「結菜の気を少しでも惹きたかった。俺は俺の弟に頼んで、茶道好秋に寸分の狂いもなく似せてもらった。…おかげで、思惑通りになった。」
楽しそうに笑った。
本当に楽しそうに笑った。
「どうだ?笑えるだろう?愛する女のためだけだ。他には何の意図もない。俺の生まれ持った顔より、結菜のことが好きだった。それだけだ。」
こいつは、…こいつのやっていることは何も賛同できないが、人を愛する気持ちだけは――正しいらしい。
「別に、いいんじゃないか。それは。笑うことじゃない。」
水無月皓は嬉しそうに俺を見た。目を少し見開いて、俺の顔をじっと見上げる。
「お前と喋っているのが楽しいよ。出来ればこのままここにいて欲しいぐらいだ。」
「無理だ。」
「わかっている。お前は…そういう人間じゃないことぐらいは。」
また、可笑しそうに笑った。だが、さっきまでとは少し様子が違った。
無防備だ。俺を殺そうともしない。
そういえば、…雪をいきなり返すとか言ってきたわけでもあるし…こいつは、俺に対してプラスになることしかしていない。
俺を殺そうと思わないのか?俺が引っ掻き回しているのに。
そして、結菜に…手を出したのに。
「俺を殺そうとしないのか?」
「ん?――そりゃぁ、殺したくないと言ったら嘘になるが、別に貴様程度生きていても私には何の損害にもなるまい。……お前こそ、どうなんだ。こんなに話し込んで。私を殺しに来たんじゃないのか。」
逆に質問された…が、もっともだった。そういえば、俺は…水無月皓を殺さなければいけないのだった。というより、殺したいほど憎んでいた。
「今は、いい。」
「そうか。色々手を立ててくるか。」
「あぁ。」
「…ははは、面白い。次にここに来た時、……私もお前を殺そう。それで、楽しくなりそうだ。」
「…遊びじゃない。」
「そうだな。……いつでも来い。」
水無月皓が指を鳴らした。
「帰れ。結加は俺の手元に置いておくが。作戦でもなんでもいい。立てて来い。俺はお前なんかに殺されない。何があっても、な。」
そっと、俺の背中に手が置かれた。
皓のその大きすぎるほどの自信。その在りかも気になったが…背中の手の感触の方が気になった。
知っている。この感触。皓はじっと俺を見ていた。仲藤も見ていた。奥の方へと続くドアの前には、もう誰もいなかった。
そうか、皓が指を鳴らしたのは―――――起こすためだったのか。
雪を。

 
 
 
コメント:
2004.02.01.UP☆★☆
ふぅ。高速に進んでいく――皓との会話。
皓がどんな奴か自分でもよくわからなかったりしたりしなかったり。

 
 
57話へ。
 
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