V A I O 59 
 
 
 
 
 
 
「…悠?」
あれから、隔離施設を目指して歩いていた。

今や壊滅状態になってしまった首都東京。タクシーなんて歩いているわけもなく、俺たちは歩いていたのだ。
しかし、隔離施設までの道のりが――余りにも、遠く長いものだから2人とも無言になりかけて…いたときだった。
後ろから、声を掛けられたのだ。
振り向かなくても誰の声かなんてすぐわかった。ここまで雪と似た声の人間は、1人しかいない。
俺は振り向き、自分の予想が正しかったことを確認してから名を呼んだ。
「結菜。」
結菜の隣には、20代半ば…に見える、女がいた。
「やっぱり。……そして…雪を取り返してきたのね…」
結菜はかつて見たことのないような穏やかな笑顔になった。……母の顔。
「お母さん…」

「よかった。本当によかった。皓が何を考えてるのかはわからないけど…こうして、雪が戻ってきて。」
結菜の瞳に少し涙が見えた…と思ったとき、結菜の隣にいる人間がニヤッと笑いながら俺たちの方に近寄ってきた。
「初めまして。私は赤根加乃子って言うんだ。よろしく。」
すっと差し伸べられた手を俺は取った。何か名前に聞き覚えがある気がしたが、気のせいだ…と片付けておいた。
「俺は鷹多悠だ。…あんたのことは、少し湯木に聞いた。」
「そうだったね。それは結菜にも聞いたよ。私は、『VAIO』を潰すための研究をしてる。でも、あんたにその気がないっていうのも結菜に聞いたんだけども?」
赤根博士の単刀直入な言葉に、俺だけでなく結菜も驚愕の表情になった。雪はまだ表情を何も変えなかった。赤根博士は、俺の手を半ば振り払うような形で、離した。
「ちょ、赤根博士っ…」

「どうして『VAIO』を絶滅させられないのか?そんなの理由はわかってるよね。隣にいる彼女を殺したくないから、そうでしょ?」
その言葉に雪はビクンッと身体を震わせる。
「『VAIO』の母体である彼女を殺さなきゃ、『VAIO』の絶滅なんて無理だよ。」
「知っていたのか!?」
雪が…『VAIO』の母体だと言うことを。
「あぁ。知ってたよ。」
「どこ…で…?」
「結菜に聞いたんだ。」
赤根博士はちらっと結菜の方を見た。
「どこで…結菜は知ったんだ…?」
結菜は気まずそうに下を向いた。
「最初からだよ。」
声は横から、した。
「雪?」
「お母さんは、私が皓に『VAIO』の母体されたとき、その場に立ち会っていたんだから…最初から知ってた。」
感情なんて何も入っていない…無機質な声で、雪は言った。
「どうして…」
どうして、結菜は知っていたんだ。
どうして、結菜は何も俺に言ってくれなかったんだ。
どうして、雪はこんなに淡々と喋っているんだ――
「みんな…知っていたのか…。」
「知っていたよ。」
また、赤根博士が答えた。そして、続けた。
「まぁ、兎に角。だから言ってるんだ。彼女を殺さなきゃ、『VAIO』を絶滅なんてさせられないって。私や結菜、んでもってあんたの血をいくら使っても、次から次へとわいてくるんじゃあね。」
「あんたも……俺たちと同じ、失敗作の感染者…だったのか…」
また口を挟んだせいか、それとも他の理由か。ギッと俺を睨みつける赤根博士。
「そうだよ、私も失敗作の感染者。…私が言いたいのはそんなことじゃなくてね。…あんた、『VAIO』を絶滅させる気、あんの?あんたがはっきりしないから、こっちも動きが取れないんだけれども。あんたが完璧に絶滅させる気がなく、このコを殺せないってゆーんなら、こっちもこっちで考え出さなきゃいけないでしょ。でも、あんたがいつまでも宙ぶらりんだから、こっちもどうしたらいいかわかんないんだよ。」
赤根博士は、雪を上から下へ、品定めするような視線で見たあと、また俺に向かって言った。
「はっきりして。」
俺は――赤根博士の剣幕に押されて、何も言えていなかった。初対面の相手にいきなりこんなことを言われて、というのももちろんあるが、
全てが正論だからというのもあった。
そう、正論なのだ。全て正しい。
俺が雪を殺さなければ、『VAIO』の絶滅などありえない。なぜなら、雪が『VAIO』の母体…しかも、雪の意思に関係なく、吐き気がしただけで『VAIO』生み出してしまうのであれば、尚更。
俺が、全ての人間を背負っているとするならば――間違いなく、雪を殺さなければいけない。
―――――でも。
「わからない…」
「あ?」
「わからないんだ。」
俺は下を向いていた。赤根博士の真っ直ぐな瞳を見つめることなど出来なかった。隣に雪がいることも出来るなら忘れたかった。
雪の前でどうしてこんな話をしなければいけないんだ。
そして、俺はどうしてはっきりと「雪を守る」と言えないんだ。
「好きなんだ。雪のことが。」
本人を目の前にして言っていることが、余計に言い訳がましく聞こえた。

「でも、大切なんだ。この世界は。」
雪と一緒に生きてきたから。
俺は後半部分を飲み込んだ。

「今は…どっち、なんていう選択を――することは出来ない…」
「そんな曖昧で許されるわけがないでしょーが。」
俺の言葉が最後まで終わらぬ内に、赤根博士は吐き捨てた。
「あんた、馬鹿?はっきりしろって言ってんの。お願いだからそういうズルズルすんのやめてよ。あんたが答えを出した頃には水無月皓は
動き出してました――じゃ済まされないんだよ?もし、水無月結加があいつの手に渡ったら、それこそ終わりなわけだし…」
俺は硬直した。結菜と雪が固まっているのも見えた。

―――――おい――……。
「だから、水無月結加が隔離施設にいる間には、絶対にあんたは答えを出さなきゃいけない。でも、それは帰ったらいないかもしれない――そうじゃない?」
赤根博士だけは気付かずに喋り続けていた。
雪がカタカタ震えているのがわかる。結菜はわけがわからないと言った表情で俺を見つめる。
俺は――ただ呆然としながら、笑う皓の顔を思い出していた。
結加が…皓の手に入ったら、終わり、だと?
「どうして……」
「え?」
「何で、結加が皓の手に入ったら終わりなんだ――?」
意識はしていなかったが、声が掠れていた。口が変に渇く。その代わり、手だけは汗ばんでいた。鼓動が速い。
俺は、一体どこに結加を置いてきた?
「何言ってんの。結加っていうのは、皓の一人娘でしょ?その結加が皓の手に渡ったら、……考えられることは一つしかないじゃない。」
「それ……何なの?」
結菜が真っ青になった顔で呟く。
結菜には、結加と2人で行った俺が雪と2人で戻ってきているのだから、大体の事情は想像つくのだろう。
赤根博士は、少し溜息をついた。
「…わかんないの?皓の現妻である結菜でさえ?…私が単純に考えると、ただひとりの自分の血を継ぐものに――自分の持っている全ての能力と知識を叩き込むんじゃないかな。」
「え?」
「要するに、皓と同じ力を持った『敵』がもう1人増えるってこと。」
皓の――コピー?
「でもっ…結加は、皓に全然そんなことに関する知識を植え込まれてなかった…っ。」
雪が半泣きになった声で叫ぶ。
「それは、自分の思うとおりに動かなくなったら困るからでしょ?真っ白な紙に絵を描くのと、ちょっと絵が描いてある紙に他の絵を描くの。どっちの方が綺麗に絵が描けるかって言ったら、真っ白の方でしょーが。」
「そんな…」
「もし、もう1人の皓である『結加』が出来上がってしまえば、私たちには何も出来ない。なぜって、『結加』が皓と同じ場所にいる必要性はないんだから。もし、『結加』が海を越えて他の場所に行ってしまえば――皓を殺せたとしても、何の解決にもなってないことになる。」
「日本地区以外の場所での、『VAIO』の猛威――」
「そう。それこそ、皓が望んだ『世界を自分の思うままに』出来てしまうんじゃない?…結菜のために。」
その言葉を赤根博士が発した瞬間、結菜は倒れた。
「おっと。」
それを支えたのは赤根博士。
「結菜と2人で話してる時には、この話はしてなかったから……油断、してたんだろーけど。」
苦笑した。
「にしても……ここまでショックを受けるか。やっぱり、皓を動かしてしまったのは自分…っていう罪悪感、かな。」
「違う。」
俺は即答した。
「え?」
「違うんだ。」
「……何が。」
「結菜が倒れたのは―――――もう、手遅れだからなんだ。」
「だから、何が。」
赤根博士がイライラした口調で言う。俺は少し改まったように息を吸い込んだ。
「結加は、………今現在、皓のところにいる。」
………………。
「………は?」
赤根博士からは間の抜けた声が返ってきた。
「何、言って…」
「事実だ。」
俺は赤根博士の顔を見ながら言った。
「俺が、置いてきた。」
「何で…?」
「………………。」
「私の、ために。」
「違う。」
「ううん、それこそ違う。絶対そうよ。私を返してやる代わりに結加を置いていけって…おとうさんのやりそうなことよ。」
雪の声にこれでもかという皮肉が篭っていた。皓に対して、か。…それとも。
「ありえない――。」
赤根博士は頭を振った。
「なら、もう完全に手遅れ――…兎に角、水無月皓だけでも潰さなきゃいけないのは当然だけどね――。」
はぁ、と大きな溜息をついて、赤根博士は空を見上げた。
「っと。もう夕方か〜…。あんたたち、隔離施設に行くんでしょ?」
俺は無言で頷いた。
「なら、私も後から行くよ。明日の朝になるかわかんないけど。今日の夜はちょっと予定があるから…」
ふわっと笑う赤根博士。その顔には、さっきまでのキツイ真っ直ぐな表情ではなく、温かい顔が浮かんでいた。
「予定――って…」
「悪いな。私も人間だから…『プルート・レストラン』で、人と会うんだ。」
『プルート・レストラン』――そこは、都内でも有名な別名『プロポーズ・レストラン』。カップルのプロポーズの定番と言ったら、そこしかない
だろう――と言うぐらい、定番中の定番。
夜に『プルート・レストラン』で人と会う…ということは、要するにそういうことだ。
しかし、俺の頭に何か引っかかった。

「『プルート・レストラン』……」
「ん?まさか知らないってことはないだろー?」
「いや、知ってる…知ってるんだが……」

「どうしたの?悠。」
「何か――引っかかるんだ…」
俺が必死に搾り出そうとした時、ふと思い出した。思い出さなければいけなかったそのことを、漸く思い出した。
"伝えて………くれ………俺の………たい…せつな……加乃子に………"
「…赤根博士は…赤根加乃子って言うんだったか…?」
「そうだけれども?」
俺は……次の言葉を紡いでいいのか一瞬躊躇った。
だが。
「伝えてくれ、と言われている。」
「?」
「短髪で…しっかりした顔付きの男だった。ちょっと向こうの『Scopio』とか言う喫茶店にいた。」
赤根博士の表情が変わる。
「それ――あいつの、行き付けの…喫茶店だ…」
「今日、…プロポーズするつもりだった。」
赤根博士は少し、自嘲気味に笑った。
「する、"つもり"?」
「そう。その男は…夜に『プルート・レストラン』で待ち合わせてる大切な女性、加乃子に…そう伝えて欲しい、と言って…」
少し向こうにある喫茶店。
しかし、今向こう側を占めているのは――死がもたらした、静寂。
ということは……
「嘘、だろ?」
赤根博士は笑っていた。

「そんな嘘言うなんて、な。私があんたがはっきりしないのを責めたのが、そんなに嫌だったのか?」
堪え切れなくなったのか、声に出して笑った。
「ふふっ…あははははは!!鷹多悠っていう人間はホント人が悪いなぁ!そんな嘘言って、何が楽しいんだよっ。あははははは!!」
俺は何も笑えなかった。
隣で、雪が泣いていた。
「あらあら、水無月雪さん!?どうしたんですかぁ?あはははは!こんな奴の言うこと、間に受けちゃ駄目だってば〜。」
「赤根……さん…」
雪が泣いていた。
「泣かれるとね〜、非常にやりづらいんだけど〜〜〜っ。あははははっ。」
笑っていなかった。赤根博士は何も笑ってなんていなかった。
「ごめ…なさ……」

それでも、雪の瞳から涙は尽きない。心が、痛くて仕方がないのだ。おそらく、赤根博士に同情しているのではなく、自分の心が。
自分は『VAIO』の母体だったのだから――自分が生み出した『VAIO』で赤根博士の恋人は死んだ――。
雪の想いは、俺にとっても痛すぎた。
「赤根博士、……時間はかかるけど、今から隔離施設、行くか?」
赤根博士は笑った。
「いや、夜に『プルート・レストラン』で約束があるから。」
「だから、それは――」
「ごめんな。」
赤根博士は笑って――いや、…泣いていた。
「行かせて……。」
俺には何も言えなかった。相手の死なんて、身を持って確認しないと、やっぱり自覚が出来ないのだ。
いくらしっかりしてるとは言え、赤根博士もただの人間――。
そう、改めて思った。
「わかった。待ってるから。」
その言葉と同時に、赤根博士は身を翻した。
その背をぼーっと雪と共に見つめていた。
―――――もしかしたら、二度と会うことはないかもしれない…
ふとそう思ったが、それは、俺の願望だったのかもしれなかった。
冷静に『VAIO』滅亡を願う赤根博士の言葉は、俺にとってはわかっているけど聞きたくない、その部類に属する言葉たちだったのだから。

 
 
 
コメント:
2004.05.09.UP☆★☆
必死の水・日連載。頑張れ私。
赤根博士がちょっとお気に入りな作者でした。

 
 
60話へ。
 
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