V A I O 61 
 
 
 
 
 
 
そこは、鳴り響く電子音のせいで耳が壊れそうなほど五月蝿かった。

俺のイメージの中では病院というものは静かなイメージがあった。
しかし、今ここは電子音だらけのうるさい場所になっている。
「何だ……?」
俺が恐る恐る受付を覗くと、その理由は一瞬にしてわかった。
鳴り響く『異常発生』の電子音。その音だったのだ。しかし――看護師は、全員倒れていた。誰一人、動かない。
――死んでいた。
「ッ……!」
俺は、ここまで生々しい"死体"というものを見たのは、きっとそれが初めてだったように思う。
真っ白な顔、だらんとした唇、垂れ落ちる唾液。美人だったと思われる看護師たちは、白目を向いて、全員が死んでいた。
さっき、都を担ぎ込んだときは全員活き活きと働いていたのに――
そこまで考えて、俺はやっと本来の目的に気付いた。
「都!!!」
慌ててエレベーターを呼ぶ。エレベーターは作動していた。
「都、都!母さんっ…父さん!!!」
誰のためでもなく、自分のために、俺は叫び続けた。そうでもしないと壊れてしまいそうだった。
エレベーターが5階に着く。
ここは、1階と違った電子音が響いていた。
そう、心電図の音。でも、それは一つの音が永遠に続く――そう、心停止したときの音だった…。
俺は耳を塞いで手術室の前まで走って行ったが、そこにはもう誰もいなかったし、何もなかった。
そうだ――手術は終わったんじゃないか!!俺は、馬鹿か!
俺は走った。どの病室だ?
俺は兎に角走った。――都!
穂よりも先に着かなければ――っ……頼む、頼むっ!!!
しかし、見る病室見る病室、患者から看病しに来た人から、全員が―――――。

そして、幾つ目の病室だっただろうか。
この病院に入ってから初めて、生きている人間を、見た。


「兄さん―――――。」


「あぁ、悠か。」
振り向いた兄さんの目は開かれていた。
「見える……見えるよ、悠。」
「兄さんっ……」
俺は兄さんに駆け寄った。
しかし、兄さんの足下に崩れ落ちている人影を見つけた。
「母さん!?」
すぐ隣には。
「父さんッ!?」
そして、ベッドの上には……
「都ォッ!???????」
俺は、バッと兄さんを見た。
「どういうことだよ!?」
「どうもこうもない。」
「何言ってるんだ!?」
「俺が知りたい。」
兄さんは、笑った。
「どうして、俺が近くを通っただけで、全員が死ぬんだ?」
「兄さん!!!!」
「どうして、俺は目が見えるようになったのに、誰とも対等に付き合えないんだ?」
「兄さん!!!!」
「悠、俺はわかっていたんだよ、ここに来るまでの道中でっ…俺が『VAIO』を移植した瞬間、タクシーの運転手は死んだ!!タクシーから降りた瞬間、周りを見てみればたくさんの人間が死んでいた!!でも、それでも俺は母さんたちに会いたかった!!」
愕然とした。
「知っていて……ここに、来たのか!?」
「そうだ、そうだよ!悪いのか!母さんたちを、見たかったんだ!」
「それでもっ……」
叫んだつもりだった。
「それでもっ……、考えろよ―――――本当に好きな人たちなら、生きて欲しいって考えろ……」
しかし、その声は……ただの泣き声だった。
「生きて欲しいなんてっ……俺が、どんな気持ちで19年間生きてきたと思ってるんだ!?全ては、今、こうやって目が見えるときのために!何の色もない世界を――」
「なら、お前は母さんたちより自分を優先させたって言うのか……!?」
涙は止まらなかった。
「そうだ。何が悪い!?」
どうして、こいつはこんなに開き直っているんだ。
ばぐんっ
鈍い音がした。俺が穂を殴りつけたのだ。
「―――――お前なんか、もう兄じゃないっ……出て行け!ここから出て行ってくれ!!!」
「悠…………」
「早く、早く出て行けよ、穂!!!!!!!!!!!!!」
誰がお前を二度と「兄さん」なんて呼ぶかっ……。
許せなかった。本当に許せなかった。
母さんたちを殺したのは……『VAIO』なんだ、と。そう言うつもりで来たのに。
愛する人たちを殺して、さも当然かのように言う穂が許せなかった。
「わかったよ……じゃあな、悠。」
穂はまだ何か言いたげだったが、俺がそれを許さなかった。
「早く行け!!!!!!!!!!!!」
そして、穂は出て行った。
正直、穂が外に行くということは、さらに被害が広がるということだったのだが、そのときの俺には何も考えられなかった。
穂が完全に見えなくなってから、俺は3人に呼びかけた。
「都、都!!!母さんっ――母さん!!!父さん!!!!!!!!!」
必死に全員を揺り起こすが、誰1人何の反応も示さない。
「頼む、頼むからっ…………!!!言葉を………………」
俺は泣いた。そういえば、初めて流した涙だった。こんなに辛いのは初めてだった。
 
「かあさんーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!」
 
どれだけ呼びかけても、母さんは応えなかった。
どれだけ呼びかけても、父さんも都も応えなかった。
心臓が痛かった。胃が痛かった。体中が痛かった。
大切な人を失った悲しみ、というものだろうか――これが?
感情というものがそんなものなら、俺は『VAIO』なんていらなかった。
母さんたちと一緒に死んでしまえばよかった。
俺は、すぐ側の棚の上に果物ナイフが置いてあるのを見つけた。その隣のベッドの親父も死んでいた。
俺は果物ナイフをさっと取ると、勢いよく頚動脈を切り捨てた。
激しい痛み、倒れる身体。最後に見たのは、自分の身体から出る、紅い――紅すぎる、血だった。
あぁ、これで母さんたちと一緒にいられる――。



 ぐにゅるっ



目が覚めたら、そこは病室だった。
「……ん?」
隣に誰か寝ている。誰なのかは、真っ暗で見えない。
「誰だ?」
俺はそいつを揺り動かそうとした。
――冷たかった。
「うっ……」
俺は後ずさった。死んでる――?
そして、すぐに誰か気付いた。
「か、母さん――?そうか―――――!!」
思い出した。全てを思い出した。
あれ、俺は――俺は、確か首を果物ナイフで……
床を見た。大きな血痕がある。微妙にまだ乾いていない。
しかも俺のところから円を描くように出来ている。――ということは、俺の血。
果物ナイフにも血がべっとりとついていた。
しかし―――――
「ここは、天国じゃ、ないよな。」
俺は窓を見た。もう、夕方――というより、夜だった。寒い。
「何で生きてるんだ?俺は―――――」
立ち上がり、側にあった鏡で自分の顔を見た。生きていた。首を見た。傷一つなかった。
「意味が、わからん――。」
俺は、また床に倒れた。寒かった。
このまま凍死してしまうのもまた、アリだろうか。



朝、普通に目が覚めた。
俺は静かにエレベーターで下まで下りて、受付の奥にあった灯油をいたるところにばら撒き、その辺のオッサンの持ってたライターで火をつけた。
病院と言えど、あっという間に燃え広がった。
母さん、父さん、都。―――――安らかに……。
もう俺の目から涙は出なかった。


俺は自分の感情を、再び失くした。



   +   +   +



「忘れられない。」
「悠。」
「だけど、今は―――――」
俺は穂に向かって、笑った。それがどんな笑いだったのかは自分でも余り覚えていない。ただ、満面の笑みではなかったことだけが確かだ。
「わかった。また、何かあったらすぐに声を掛けてくれ。」
穂が俺の頭をポンポン、っと叩く。
ここまで来て、やっと穂の気持ちとか、そういうことまで理解できるようになった――か。
いくら赤ん坊の時には視力があったとはいえ、ほとんど初めて見る世界。その世界は――自分が近づくと人がどんどん死んでいく世界でした――なんて。悪夢もいいところだ。
俺は、去っていく穂の後ろ姿を見た。
あいつも、辛かったのか……。

 
 
 
コメント:
2004.05.17.UP☆★☆
水日連載ちょっとだけ崩れ。
カワイそうな人なんです、みんな。

 
 
62話へ。
 
□ Home □ Story-Top □ 連載小説Top □