V A I O 62 長い一日が終わって、漸く管理人室に帰ってきた。 あれがたった一日の出来事だと? 俺は、笑いが止まらなくなった。 どれだけ自分にとって大きな出来事でも、絶対時間というものは無情だ。それは1秒でしかないし、1分でしかない。それ以上にはならないし、それ以下にもならないんだ。 「相対性理論を尊重したくもなる――。」 ソファにゴロンと横になる、俺。 久しぶりに1人になった気がした。 「雪は―――――?」 ここまで考えないとどうして気付かないのか。 「雪……」 雪の名前を呼びながら管理人室を飛び出そうとして…思いとどまった。 雪の描いた絵、『雪の降る街』の絵が、ずれていたからだ。 「?」 俺はその絵を直そうとした。…が、さらに異変に気がついた。壁が少しずれている? 「誰か…入ったのか……?」 急に心臓がバクバク言い出した。まさか、皓の手の者――?でも、そうだとしても何のために?いや、雪がなかに入ったとか――それこそ何のために入ったのかがわからない。隔離施設の人間が、興味本位で入ったとか?そうだとすると、おそらく俺の部屋を探検する常習犯ということになりそうだ――。 誰かが興味本位で入ったという説が一番ありそうだったが、何はともあれ確かめなくては行けない。俺はあっという間になかに入り、壊れたけど直したエレベーターを呼び出した。そう、呼び出した。つまり、エレベーターは最初下にあったのだ。昔は呼び出すことすら出来ないお粗末なエレベーターだったのだが、前直したときに呼び出し機能をつけた――が、役に立ったことはなかった。 しかし、今、下に誰かがエレベーターに乗ってやってきた――。 誰だ。あの神聖な場所に入ったのは誰だ。 雪が5年間を過ごしたあの場所に入ったのは誰だ。 俺は気持ちだけが先走り、エレベーターの中で地団駄踏んだ。10秒もなかったのだが、気が遠くなるぐらい長い時間に思えた。 エレベーターが着いた。 俺はドアすらまだ開ききらないうちに、飛び出した。少し通路があるが、すぐにあの部屋に行ける! 走った。兎に角走った。 息も切れないほどの短い距離だったが、俺は俺の持てる力全てで走った。 着いた。 「誰だッ!!!」 何かに打たれたかのように、ビクッと身体を震わせてこっちを見たのは―― 雪だった。 「雪……?」 こんなところにいたのか。 さっきまであった俺の…ある種の嫉妬にも似た怒りが、あっと言う間に収まっていくのが自分でもわかる。 「は、悠…。」 雪は何か慌てていた。 「どうしたんだ。」 「え、別に…」 雪の声は明らかに上ずっている。俺が怪訝そうな顔で雪を見つめた時……そう、その異変は起こった。 「ぅっ……」 「雪!?」 雪が右耳を押さえて蹲った。 何度も見た光景。しかし、今日は何かが違った。 「ぅ、うぅうううっ……」 雪は苦しんでいた。誰よりも苦しんでいた。いつよりも苦しんでいた。 何時の間にか雪の押さえているのは耳ではなく、口になっていた。 「雪っ!?」 俺の悲鳴にも似た叫びが木霊する。しかし、雪は身体をくの字に折り曲げ、さらに苦しそうに唸った。 「ううううううううっ……!!」 「雪!」 雪は俺の声に、顔を上げた。 「は、悠……お願い、見ないで!!!」 「雪?」 俺は雪に触れようとしたが、雪はさっと飛びのいた。俺は無理やり雪を抱き締めた。 「何があったのか知らんが――俺が雪を見ずにいられるときは、このときしかないと知っているだろう?」 雪を胸に抱く。それだけが雪の顔をみなくても落ち着ける唯一の方法だった。 ―――――だが。 「お願い!離して!!」 「雪?」 「お願い!!!もう――」 そこまで言って、雪の言葉は終了した。 ぐにゅ…… 「ぅ、ぅああああっ」 ぐにゅ、ぐにゅるっ!! 雪の口から何か――拳大ほどの大きさのもの…が吐き出された。 肉の塊?何か粘液のようなモノに包まれている。 簡単だった。それが何かを想像するまでは。 「…………『VAIO』…………?」 雪はばっと顔を背ける。しかし、雪の身体から次から次へとそれは出てきた。 ぐにゅ、ぐにゅにゅっ…、ぐにゅるるっ…、ぐぅにゅっ 立て続けに…最初の1個もあわせて、5つ。尋常じゃない量だ。 「雪……」 俺が雪の名前を呼んだ瞬間、今生まれた5つの『VAIO』は…その部屋のさらに奥へ入っていった。 「そこは…」 そこは、俺が雪を保存していた時に器具とかを置いてた場所……? 俺は怪訝に思いながら、その部屋を…久しぶりに、見た。 ―――――一面――――― 『VAIO』だった…………。 「!?」 俺は飛びのいた。なぜなら、4畳ほどの部屋に所狭しと『VAIO』が積み重ねられている―― そんな光景だったのだ。 「こ…れは…」 まさか、まさか――全部、雪が―――――!? 俺は雪を見た。 雪は俺から顔を背けたまま、小刻みに震えていた。 「ゆ……き…?」 雪は泣いていた。 雪の身体の下が先ほどの『VAIO』の粘液で濡れている。それは、ギラギラと光り、腹立だしいほど綺麗だった。 雪は泣いていた。しかし、俺は何も言えなかった。その雪さえも愛しくてたまらなくて、今すぐに抱き締めたかった。 しかし、その気持ちと同じぐらいつらかった。雪が泣いている、それだけで心が痛くなった。 俺は雪の側にそっと駆け寄った。 「…………。」 掛ける言葉が見つからない。 暫らく無言が流れたあと、雪が小さく笑い出した。 「ふふ……口で聞くのと、見るのとじゃ大分違うでしょ…………私は、『VAIO』を生み出す母体、しかも水無月皓の手助けも何もなくても生み出せちゃう…。どう?悠。それでも『わからない』なんて返事をする?」 雪は笑っている。 「悠って酷いよ。どうせなら『雪は殺せない』とか言ってくれれば、私だって頑張ろうとか思えるのにっ…『わからない』って……私だって、そんなの、つらい……」 俺が、優柔不断だから? 「悠は誰に対しても優しいようで、誰に対しても冷たい。私は貴方が好きだし、貴方も私を好きでいてくれてることは知ってる――…でも!!」 雪は俺の顔をガッと見つめた。瞳に、少し涙が浮かんだままだった。顔は真剣そのもの。 ……かわいい。 「だからこそ、はっきりして。私を殺す?それとも、そうしないかっ……」 何かが違った。それは俺の知ってる雪じゃなかった。でも、もうそんなことどうでもよかった。 「雪……」 俺は雪を抱き締めた。 「ちょ、やめてよ、そうやってはぐらかすのっ!!」 「どうでもいいことだ、全て。」 「悠!?」 「この世が滅びようが『VAIO』に征服されようが、そんなことはどうでもいい。」 腕の中で暴れていた雪が、急に大人しくなった。 「え……?」 「雪がこの腕の中にいれば、それでいい。」 雪の腕が俺の背中に回る。力は、込められていなかった。 「悠…」 「俺は、地球が好きだ。」 俺は雪の髪の毛に唇を寄せた。 「雪のいる地球が。」 最初から答えは決まっていた。ただ、口に出して言うことを恐れていただけだった。 歯止めが利かなくなりそうで。 「悠……っ」 腕に力が込められた。 「誰がお前を殺せるんだ?」 そっと唇を耳元にずらす。 「誰がお前を殺させるか。」 耳元で囁いた後、優しくキスをする。甘い雪の味がした。 「お前は俺だけのものだ。」 何を言っているのか自分でもよく分からなかった。 でも、ただ、雪が愛しくてたまらなかった。 「ずっと、俺の側に――…」 そして、俺の唇を雪のそれに重ねようとしたときだった。 コメント: 2004.05.20.UP☆★☆ 切れる場所がなかったから、こんなとこで切ってみた。 苦情あんまり受け付けません。(待てや) |