V A I O 64 
 
 
 
 
 
 
「おかしい。」
「何が。」
「雪だよ。」
赤根は、翌日…12月15日の朝、管理人室の地下で俺の血液を抜きながら呟いた。
「……そうか?」
「あぁ。昨日あの話をしてから、何か思いつめたような顔になってるんだ。」
一瞬…本当に一瞬だったが、俺はぴくりと動いた。赤根にそれを見られているようで下を向いた。
「それは…やっぱり、父親を殺すわけだし……。」
赤根は無表情で注射器を俺の腕から抜き取ると、消毒されたガーゼで拭いた。
「違う。それじゃない。」
俺の顔をじっと…いや、瞳をじっと見つめた。
「―――――…悠の中に、水無月浩の記憶がある方だと思うな、私は。」
「………。」
思い当たる節があって、何も喋れなかった。
「雪は、悠の中に浩の記憶があるのが困るんだ。」
俺の注射器を滅菌箱の中で、試験管に移していた。
「どうして…」
「浩の記憶の中に、悠に隠している秘密でもあるんじゃないのか?」
それが――
それが、一番恐れていたことだった。
雪が俺に対して『秘密』を持っている?何を隠していると言うんだ?
雪のことなら何でも知りたい。その気持ちは果たされていないというのか。
「そんなわけ、な」
「いや、それしかないよ。」
赤根は俺の言葉を切り捨てる。
俺は何を言えばいいのかわからなくなってきた。
ここで俺が雪の気持ちを都合いいように否定したところで何になる?
「何だろうな――例えば、本当は悠を好きでも何でもなくて皓の命令だった、とか。」
腹が立つ。
「それとも、自分で自ら進んで母体になった、とか。」
あのときの雪の表情(かお)を見ていないのか?
「まぁ、例を挙げれば何でもあるけどさ。悠にとってプラスになることじゃないことだけは確かだろーね。」
赤根はさっき取った自分の血をもう一つの試験管にピペットで半分ぐらい移す。
「悠。」
「何だ。」
手を止めた。
「私は、雪を殺す気でいるよ。」
「ぁ……?」
何を?――何を殺すって?
「あの子は生きていても何もこの世界のプラスにならない。水無月皓のよき実験台だたんでしょ?そんな人間がいる限り、水無月皓は死なない。そうは思わない?」
思わない。
そう言いたいのに、どうしてだろう?声が喉でつかえている。
言わなきゃいけないのに、言葉が出ない。今、赤根に言わなきゃいけない…そう強く思うのに……。
「まぁ、何も言えないのならしょうがいかもしれないけれども?…でもね、悠。やっぱり優柔不断は駄目だ。」
優柔不断…俺が?
「決めることべきことぐらいの返事は、しようよ。」
「俺は……」
「そんなことを言っててもしょうがないかもしれないけどさ。やっぱり、答えを言ってもらわなきゃ、前には進めない。」
俺は優柔不断なんだ――…何度も自分自身で思ってきたことだったが、人の口から言われると、違う。
そのせいで、雪にも泣かれ、自分自身も嫌になったことが何度あっただろう。
俺が下を向いていると、赤根は小さくふぅ、と息をついて作業に戻りながら、また喋り始めた。
「結加の存在も気になる。第2の母体とか、第2の水無月皓とか。何にでもなりえる。彼女には素質があるから。」
「結加は…どうして望んだんだろう…皓の元へ戻ることを…。」
赤根はまた手を止め、顎に手をやって、考えた。少しの間の後。
「それ自体が嘘かもしれない。」
「それは…!!」
俺は赤根を睨みつけた。そんなことを言い出したらっ…!!
「わかってる。そんなこと言ったら何も進まない。けどね、悠。可能性は全て考えなきゃだよ。まず一つ目が、結加が望んだという事実さえ嘘かもしれないってこと。二つ目は……結菜から聞いたけど、結加って悠たちが心配になって隔離施設を飛び出したんだよね?だったら…悠の役に立ちたかったってことかな。」
俺は首を傾げた。
「何で俺の役に立ちたかったら敵の手に渡るんだ。」
「簡単じゃん。」
赤根は再び作業に戻る。
「あんたの手の中に、雪が行くからだよ。」
「なっ…!?」
「話に聞くところ、結加って優しかったんだろ?凄く。」
「………?話?」
赤根はさも当然かのようにそう言ったが、俺には何の記憶もなかった。
「あー、昨日の夜、隔離施設に入ってる人たちに色んな話を聞いたんだよ。…結加さんについては、誰一人悪口なんていわなかった。皆褒めちぎってたよ。」
「でも……」
「そうだな。他の理由ももちろんあるよ。やっぱり皓は自分の唯一無二の父親だから、その元へ戻りたかった。結加こそが世界の滅亡を望んでいた、とかな。」
赤根は俺の方をもう向かなかった。赤根にとってはこれはただの"雑談"らしい。
俺は溜息をつくと、パソコンに向かった。もうこれ以上赤根と喋っていたくなかった。だから、俺はあのとき赤根にもう二度と会いたくないと思ったんだ。結菜はまだ、俺の気持ちを察して黙っていてくれるところもある。…でも、赤根は容赦ない。
俺は頭をブルブル振ると、赤根にこう話し掛けた。
「隔離施設の人数は、8466人だ。今現在で。とりあえず、こいつらから殺していくか……?」
もちろん、結加の話から離れるための話だったのだが、赤根は余計にヒートアップした。
「殺していくか、ってそんな言い方ないだろぉ?私たちだって本当は殺したくない。"共存"したいんだ。でも、無理なんだ。この病気ばっかりは。しかも、この隔離施設の人達は一気に死ぬかもしれないけど、他国の『VAIO』感染者なんてみんな独りずつ狙って殺さなきゃいけない。日本なんか、比じゃないよ。絶対。それなのにあんたはそんな言い方…」
「悪かった、悪かったから。」
もう何も言わないでくれ。お前の言葉は聞きたくない。
「本当に悪かったって思ってるの?悠、あんたには…」
「抑えなよ、赤根。」
エレベーターの音にすら気が付かなかった。そこにいたのは結菜だった。
「結菜!?」
「ここに来て、大丈夫なのか?」
そう、隔離施設の動きは全て皓に知られている、と前結菜が言っていた。まぁこの計画事態は知られてもどうってこともないから別に気にしてないが。
それより、結菜の存在がここにあることを皓が知ったら――?
「さあ?……でも、無理やり私を連れて行ってもどうにもならないことぐらいあの人もわかってるでしょ。」
そう言い放つ。
「そりゃ、そうかもしれないけれども…」
「それより、赤根。悠をあんまり責めないでよ。イライラしてるのもわかるけど。」
「イライラしてなんか!!」
「大丈夫だってば。浩の人脈は、本当に凄いんだから。……まぁ、"正"かどうかは別問題として。暗殺集団がバックにいるのとかもいるから、安心して。ほとんどの生物学者は人を殺すことなんてなんとも思ってない。」
「そんなの!?」
結菜は悪戯っぽく笑った。やけに電気が目にチカチカした。
「そりゃ、昔の人は結構倫理感とかに縛られてる人も多かったけどね。今の現状って知ってる?」
俺は無言で首を振った。赤根は項垂れていた。
今の現状…?わざわざ結菜が訊くということは、まさか。
「人体実験の多さ。…んーん、実験のための人間の多さ、かなぁ、凄いのは。あまりにも人間がいすぎて、維持費が大変だから、食べ物も与えないで…で、死んだらポイしちゃうとかいう生物学者も多いの。」
「それって…!!」
「そ、皓もそうだったわ。」
結菜はひょいと肩を竦めた。
「私は、たくさんの人の死を見てきた。でもね、皆別にかわいそうだとか思わないの。その人たちは、『実験動物』なの。私たちの認識にそう映ってしまったから…。でもね、さらに違うの。…皓を始めとする、生物学者たちは。」
「何が違うんだ?」
俺を見て、結菜は笑った。何が可笑しいんだっていうぐらい、笑った。
「…全ての人間を『実験動物』と見るの。…だから、皓にとっては、『VAIO』の世界への驚異さえ、実験の域かもしれないわね。…実践は、もっと先なのかも知れない。」
もっと先…もっと先に、何をすると言うのだろう。
宇宙征服?そんな馬鹿な。――でも、馬鹿な話だけれども…皓ならやってしまいそうで、恐ろしい。
「ま、皓の野望は置いときましょ。どうせ私たちによって止められるんだし。まぁ、兎に角、皆似たもの同士なのよ、学者サンってのは。だから、赤根博士が思うほどみんな苦しんじゃいないわ。」
結菜がじっと赤根の瞳を見つめる。赤根は結菜の顔をさらに見返したが、諦めたように溜息をついた。
「……わかった、そう思うことにするよ。」
「よかった。…あ、そうそう。こんなことを言いに来たんじゃなくて、各国の人たちに話をつけといたんだったわ。」
「!!!」
そうだ、そうだった。結菜は隔離施設に入れないと思っていたから、別働隊として、浩の友人たちへのコンタクトを頼んでいたんだった。
「どうだった?皆、元気にしてたか?」
「んー、音信不通も結構あったけど、いる人はいるよ。読み上げる?」
ゴソゴソと、鞄の中から紙切れを取り出す、結菜。俺は結菜に手を差し出した。
「いや、いい。俺が見る。」
紙を手渡してもらうと、俺はそれを黙読した。
「な…中国地区の超妃、消息不明?」
「だったわ。とりあえず、彼女の携帯電話は『現在使われておりません』だし、その人の所属会社も『そのような人はおりません』。近所の人たちは、『そういえば最近見ない』とか。だから、死亡じゃなくて消息不明。」
「何、思い入れでもあるの?」
赤根が茶々を入れるが、俺は溜息をついて返した。
「…凄く気のいい奴だったんだ。…日本かぶれで、俺の話を楽しそうに聞いてて…まぁ、知り合ったのはアメリカ地区だったが。」
「へぇ。」
「あー、知り合ったって言っても、浩な。」
自分であんまり意識がないのに、知らない記憶を知っていて、ベラベラ喋る。俺に最近よくある傾向だ。
本当に浩が"覚醒"した感じがする。
「浩…か……。」
結菜がポツリと言ったのが気にかかった。
「どうした、結菜?」
「う、うぅん、なんでもないわ。ただ、悠に浩の記憶があったから、こんな方法も考え付いたんだなぁって思って。」
「まぁ、そうだな。」
「本当に、…頑張りましょう。」
「もちろんだよ、結菜。…ところで、結菜の血液も今採取してもいい?」
「あ、いいわ。」
結菜がちょっと困った様子で俺の方を見る。
一瞬考えた後、座らせてくれということなのに気付いた。まぁ確かにこの椅子以外は赤根の場所から離れる。
「…赤根に医療の心得があったのもよかったけど、な。」
俺は立ち上がりながら言った。結菜はありがと、と言いながら座った。
「…言っとくけどね、機械工学だからって生物学とか医療とか何も知らないでイイモノが作れるわけがないんだよ。特に最近は、人体にイイモノしか求められないしね。」
新しい注射器を取り出す。消毒してあったガーゼで結菜の腕の真ん中辺りを拭いている。
「大変だな……」
俺は喋りながらも、また紙に目を落とした。"見覚えのある"名前ばかりだ。
俺は全く知らないのに、俺の中にその人の記憶がある。
あぁ、そう、こいつは一緒に解剖してたのに、蛙の解剖程度から卒倒してたんだっけ…よくあれで医者になれたもんだ…。
あぁ、そう、こいつは俺がインドに行ったとき泊めてくれた人だ。カレーが日本のと全然違ってたんだっけ…。
あぁ、そう、こいつは……こいつは?
「あれ?この、アメリカ地区のケリー=ラーン=クライスって奴。」

―――――一瞬、本当に一瞬だったが、結菜がピクッと反応した気がした。

「…どうした、結菜?」
「???何が?」
「……いや、今何か…」
「あぁ、ごめんね。いきなり声掛けられたから、ちょっとビックリしちゃっただけ。…で、クライスが何?」
「…いや、あんまり覚えてないと思って。」
「えぇえ?悠の渡してくれた資料の中にこの人の名前があったわよ?」
「あ、そうか…?何だ、思い出せないだけか…?……」
俺はそっと目を閉じた。
何か…何か、俺の目の裏を映像が走った。
「あ、いや、ある、こいつの記憶。思い出せないだけだ。」
笑い合ってる。そうだ、よく思い出せないだけだ。名前を書くときには浮かんでいたっていうことは、今思い出せないだけか。
「すまん。」
「うぅん、いいわ、別に。」
何となく、ケリー=ラーン=クライスのその笑顔の隣に、結菜の笑顔もあるような気がしたのは、気のせいだろうか。
そして、俺はまた紙に目を落とした。


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コメント:
2004.05.27.UP☆★☆
なんだか途中から、月木連載になってきたねぇ…。
しばらくテストなのでオヤスミします。2週間ぐらい?ごめんなさい。

 
 
65話へ。
 
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