V A I O 66 「悠。」 「・・・結菜?」 「あなた、どうしたの?」 結菜が地下室の入り口に立っていた。この部屋は明るいはずなのに、やけに結菜の顔が見にくかった。結菜の表情すら窺い知れなかったが、声から察するに、怒り、と言ったところか。 俺は、結菜の方をゆっくりと見つめたまま、口だけを開いた。 「俺は・・・」 赤根、を。 あれからどれだけの時間が過ぎたのかもわからなかった。雪の元へ帰るのが恐くて俺には出来なかった。もう二度と雪には会えないかもしれないのに。それなのに、動けなかった。 雪に、俺のせいで死んだんだと言われるのが怖くて。 「・・・赤根!?」 結菜が、立ち尽くす俺の足元に倒れている赤根に気がついて駆け寄った。 「ちょ、赤根はどうしたのっ・・・?」 赤根は、結局傷口が全身に広がった。左肩は、もうほとんど崩れていて、骨が剥き出しになっていた。 失敗作だから、他の『VAIO』感染者よりは回復の速さが遅い。だから、まだなんとか原型があるのだろう。 しかし、普通に見て、もう事切れているのは、わかった。 「俺が・・・撃った。雪を、殺すって言ったから・・・」 「ッ!!馬鹿!」 結菜が赤根を覗き込んでいた顔を上げながら、言う。 「あなた、何考えてるのよ!?赤根は、皓を殺すのに絶対に必要な人間でしょっ!?」 「わかってる、わかってるけど・・・!!!雪を、殺すって・・・」 「ちょっと今疲れてたんでしょ・・・?だって、今朝、大体設計図が出来たって言ってたもの。ここ2日ぐらい、絶対寝てないわ、彼女。」 冷静に、冷静に考えればわかったんだ。ただ、雪を殺されるのが恐かったんだ。 「もう、今はそんなことどうでもいい!!早く赤根を助けなきゃ・・・」 「無理だ。だって、それは俺の血を混ぜた弾丸なのだから。」 「・・・大丈夫。」 結菜はそう言うと、その地下室の薬品のある場所へ、走った。ガチャガチャ言わしている。 「結菜・・・?」 俺はその場を動かず、呆然と結菜を見ていた。 「この辺に、あったと、思う。」 その場所は、俺が雪を保存する時に・・・使っていた、『VAIO』液のストックがあるぐらいだが・・・。 「あったわ!」 結菜が取り出したのは、『VAIO』液の一番濃度の濃い液。そして、それを赤根の身体にぶっ掛けた。 「なっ!」 そして、俺の叫び声とほぼ同時に・・・目に見えてわかるほど、赤根の身体の崩壊は、止まった。 「・・・。とりあえず、悠の血は、これで中和されるはず。」 「え・・・?」 「知らなかった?悠の血液は、『VAIO』液と全く逆の性質を持っているの。だから、『VAIO』感染者にああいう効果を齎すわけ。」 結菜は赤根の肩にそっと手を当てた。赤根の身体は回復しない。 そうか、俺の血は消されたけど、『VAIO』の回復機能が・・・回復していないのか・・・。 「赤根は、助かるか・・・?」 「・・・五分五分。」 結菜の顔を見ていたら、俺の背筋に何か冷たいものが走った。訊かなければいけないことがある。俺は、結菜に。訊かなければいけないことがある。 答えを聞くのが怖い。聞きたくない。でも、聞かなければいけない―――――!! 「ゆ、き・・・は・・・・・・?」 絞り出す声は、ほとんど声になっていなかった。しかし結菜は、溜息を吐きながら言った。 「悠が帰ってくるのが遅かったから、『VAIO』感染者の中の医者に一応介抱はしてもらったわ。まぁ、大事には至らなかったわ。血が出たのが返ってよかったみたいよ。もし、脳内出血だったら助からなかったかも、って言ってたから。」 究極の。 究極の安堵というのはこういうことを言うのかも知れない。それだけが、それだけが不安で――赤根を撃って、1人で泣いていた。雪さえ隣にいてくれれば、俺はいつでも"笑える"のに。 「よか・・・った・・・。」 心からその言葉を呟いた俺に対して、結菜はまたさらに溜息をついた。 「悠・・・。何もまだ自体はよくなってないのよ?わかってる??赤根が今どんな状態でいるか、とか!!」 「わかってる。」 わかってない。 俺は、雪のことしか考えられないんだ。 最初から。 「赤根の自然治癒力に任せるしかないのかな・・・。でも、こんな状態じゃ!!」 傷の進行は止まったものの、血は止まっていないのだ。このままじゃ、赤根は死ぬ。 赤根が死ねば、雪も死ぬ。 助けなければ。助けなければ。助けなければ。たすけなければ。たすけなければ。たすけなければたすけなければたすけなければたすけなければたすけなければたすけなければたすけなければ。 俺の頭を、さっきの結菜の言葉が掠めた。 「・・・結菜。」 「何?」 「さっき、お前が言っていた・・・感染者の中の医者って・・・」 結菜は哀しそうに笑った。。 「死んでいる人間を生き返すことが出来るのかな・・・?」 俺は何も言えなかった。 「ただの、医者に。」 結菜は小さく俯いたあと、もう一度顔を上げた。 「でも、何もしないよりはマシよね。」 「・・・・・・ああ。」 俺は頷いた。頷くしか出来なかった。赤根が生き返ってくれなければまずかった。 結菜も俺に向かって頷いたあと、赤根の身体を離そうとした。しかし、それを俺が止めた。 「待て、結菜。」 「何?」 「・・・俺が行く。」 「何でよ?」 俺は一瞬だけ躊躇った。 「・・・結菜の方が、落ち着いて赤根を診ていられるからだ。」 「・・・それは、そうだけど・・・。」 「だから、誰か教えてくれ。医者なのが、誰か。」 少しどもっている俺に対して、結菜は何度目になるかわからない溜息を吐きながら、言った。 「悠、落ち着いてるふりしても大慌てなのバレバレよ?もういいけど。あのね、医者なのは――"光秀"って人。」 「なっ・・・。」 みつ、ひで? 「医者――だったのか。」 「そうらしいわ。本人がそう言ってたんだから間違いないんじゃない?」 医者として働いていたのに、どうして一番初期の頃に『VAIO』に感染した?どこに――欠落があったんだ? 「わかった。・・・呼びに行ってくる。」 「お願いね。」 俺は、地下室を出た。 本当は、違った。 本当は、赤根の姿を見ていたくなかった。己の愚かさから逃げたかった。 本当は、雪に会いたかった。 ただそれだけだった。 全てがうまく運ぶわけは無い。 それは、たった28年しか生きていない俺にももう既にわかっていたことだった。 だから、全てを犠牲にしても。 雪が生きていける世界を―――――。 * * * 「・・・で、誰を診ろって言うんだ、悠。」 地下室に光秀を連れてきた。と、言うより管理人室にオロオロした光秀たちがいたから、すぐだったのだが。 そして、地下室に2人で下りてきたのだが・・・。 「まぁま、お医者さん、抑えなって。私が生きてたっていうだけじゃないか。」 そこで俺たちを待っていたのは、赤根だった。 「赤根―――――・・・?」 ポカン、と口をあけて呟く、俺。 結菜が困惑した表情で、言った。 「なんか、悠が行ったあと、すぐに・・・ぐにゅぐにゅ言い出して、さ。生き返っちゃったみたい。」 そんな馬鹿な。 俺はガックリと項垂れた。 意味が、わからん。 「まぁ、深刻に考えてたことが実は簡単なことだったって言うのはよくある話じゃないか、悠。」 「そうそう、落ち着きなって。逆じゃないんだからいいじゃん。」 実は簡単なことだった? 人を1人生き返らせるのがどんなことかわかっているのか? こんなに、簡単なことじゃない。こんなに、簡単なことなら、俺は・・・苦しんでいない。 「俺の血は、必ず『VAIO』を滅亡させるはずなのに・・・」 もし、俺の血が効かないんだとしたら、作戦を結局は変えなきゃいけなくなるじゃないか。どうして、生き返ったんだ。こんなに、簡単に。 しかし、俺がその答えを出す前に、俺の言葉に光秀が反応した。 「悠―――――?今、何て言った?」 「え?」 「・・・『VAIO』を滅亡させるって――」 しまった。 これは、誰にも言ってはいけなかった。誰に言うべきものでもなかった―――――!!『VAIO』感染者には。 「いや、なんでもない。」 「何でもないわけがないだろう?悠、教えてくれ。死ねるのなら教えてくれ!!!」 光秀が俺のスーツの首根っこを掴む。もう65なのに、凄い力だ。俺は、壁に押し付けられた。 「俺たちを殺すことが出来るのか?なぁ、悠――」 俺は無表情で光秀を見つめていた。 昔から、感情がない状態が長かったからだろうか?俺は無表情が得意だった。というより、本当に困ると、無表情になった。 「悠――・・・もし、俺たちを殺すことが出来るなら・・・」 光秀の目から、一筋、水が流れた。 涙―――――? 「・・・殺してくれ・・・。」 正直、驚きだった。 俺は、どんなに辛い過去を持った奴らでも、此処では皆活き活きしていると思っていた。 もう過去になんて縛られずに、今を生きていると思っていた。 でも、――本当の痛みは、消えない。消えないんだ・・・。 光秀が俺に言った言葉。「殺してくれ」という言葉。 それが、光秀個人のものではなくて、此処に今いる奴ら全員の言葉だというのは、簡単にわかった。 なら、俺たちは『VAIO』を滅亡させるために――此処にいる全員を殺すことは・・・ 此処にいる全員が、望んでいることなのか? もし、そうなら―――――。 「光秀。」 「・・・?」 光秀は流れ落ちる涙を拭おうともせず、俺の顔を見つめた。手からは力が抜けていた。俺は少し咳き込んだ後、言葉を紡いだ。 「・・・必ず、お前らの未来は・・・今年で終わる。」 残酷な言葉だと思った。 俺がこんなことを言われたらどう思うだろう?あまりにもの恐怖に狂ってしまうかもしれない。けれど、光秀ははちきれんばかりの笑顔を俺に向けると、涙を両手で拭った。 「ありがとう、ありがとう!!!」 そして、先ほどとは違う種類の涙が光秀の顔に流れていた。 「他の奴らにも、伝えて、いいか?」 意味がわからなかった。 誰の考えていることもわからなかった。 過去から解放される術が、・・・死しかないというのか? 何も、何もわかってなかった。 『VAIO』感染者の心の苦しみを。 俺は無言で頷いた。 「――必ず、終わらせるから。」 俺の手によって。 コメント: 2004.06.21.UP☆★☆ まぁ、こういう感じで。。 ちなみに作者宅では、今まで打ってた分が全部停電で吹っ飛んだりしてます。 |