V A I O 68 
 
 
 
 
 
 
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「・・・お帰り。」
深夜、3時。明日は早いし、皆に寝るように伝えてあったので、何かが動いている気配すらしなかった。それなのに、隔離施設の扉を開けると・・・そこには結菜がいた。
「・・・・・・。」
俺は小さく結菜に頭を下げると、隣をすり抜けようとした。
「ちょっ・・・!!」
結菜が俺の前に回りこむ。
「なんだ。」
俺は胸の動揺を悟られないように、冷淡な声で答えた。結菜はそれがひどく気にいらなかったようで、大きな目で俺をギッと睨みつけた。
俺は、というとそんな結菜よりも自分の服についた匂いの方が気になった。あいつは特徴的な香水をつけているから、あいつの匂いがついてないかどうか少し服を嗅いだが、俺には何も感じなかったから大丈夫ということにしておくことにした。
「何処行ってたの?」
俺はじっと結菜を見つめた。結菜は不安げな顔で俺を見つめ返す。・・・ということは。
「赤根は、何も言ってなかったのか・・・?」
結菜は、コクンと頷いた。
たぶん、赤根は、・・・結菜を傷つけないため、動揺させないために、言わなかったのだろうが・・・。
それより、結菜が勘付いてすらいないことが意外だった。結菜なら、気付くかとも思ったのだが――。
「どうして、何も言ってくれないの?」
結菜の瞳から、ボロボロと涙が零れた。
「悠が何も言ってくれないから、私は、私は・・・」

あのときのリフレイン。
―――――どうしてはーくんは何も言ってくれないの!?私は、私は…
胸が痛い。
俺はまた、・・・雪を裏切るのか?
手が震える。鼓動が速くなっているのが自分でもわかる。

どうしてこんなにも雪に見えるのだろう?
世界中、どんなに似ている人間がいてもその中から本物だけを見つけだせるなんて嘘だ。
きっと雪は、今、寝ている。明日皓のところに行くのだから。それはわかっている。頭ではわかっているのに――。

仕草のひとつひとつが。声が。紡ぐ言葉が。全て雪に見える。
普段はもうほとんど結菜と雪を見間違えないのに、弱くなっている2人は恐ろしいぐらい似ているのだ。
抱き締めたい衝動とか、吐き気がするほどの眩暈とか・・・その全てが雪が結菜にて創られたから、ですまされるのだろうか。

俺はそっと結菜の右耳にかかる髪に触れた。俺が触れた瞬間、結菜はびくっとカラダをふるわすが、すぐに俺の方に顔を寄せ、俺の腕に口づけをする。唇は、とても柔らかかったが、冷たかった。
「・・・お願い、ひとりにしないで・・・。」
結菜はそう呟いて、俺の胸の中へ飛び込んで来た。俺は戸惑いながらもそっと抱きとめる。
そこまでくればあとはもう簡単だった。

香りも、感触も、全てが同じなのにどうして自分を止める必要がある?
俺の中で何かが切れた。
ずっと大切にしてきたものとか、少し前に経験した途方もない後悔とか、正直どうでもよくなった。

俺にしがみ付いて泣く結菜を、俺は結菜よりもずっと強い力で抱き締めた。
「・・・・・・・る・・・かっ・・・」
結菜は突然俺が力を入れたせいで驚いて声を上げた。俺はその耳に優しく口付けする。
「すまない。」
結菜の耳元でそう謝った。
「おまえをひとりにしたわけじゃない。」
結菜のその柔らかな髪を、そっと手の平で包み込んだ。
「は・・・るかぁっ・・・」
何か温かいものが俺の右肩に染みてくる。結菜は自分の涙を全く抑えられないでいた。
「ただ、こわかったんだ。」
雪と同じ。けれど雪じゃない女。
その女が、今、この腕の中にいる。
俺は結菜の首に唇を這わせる。結菜は俺の身体をぎゅっと抱き締めた。
「お前が、俺に付いてくるって言うんじゃないかと思って。」
俺は結菜の鎖骨まで辿り着いた時点でそう言うと、結菜の両肩を掴んで、少しだけ身体を離した。そして、じっと結菜の綺麗な顔を見つめた。
そう、付いて来られるのが嫌だった。付いて来られて、向こうに残ると言い出されるのが嫌だった。
だから、赤根にしか言わなかった。もし赤根が伝えて、結菜が俺と一緒にあいつに会いに行きたいと言ってもそのときには遅すぎるように。
俺の手の届かないところに結菜をやりたくなかった。
「まさかっ・・・」
結菜の顔色が急に変わる。そして俺の身体から飛び退く。
「皓のところに行ったんじゃないわよね!?」
俺は笑みを浮かべた。いつも自分を追い詰める方にしか考えない。これが、結菜にあって、雪に無いもののうちひとつだ。
俺が今いとおしいと思っているのは、雪の代わりじゃない。
「ちがう。」
俺のほうから、離れてしまった結菜へ、近づいた。
「・・・・・・あの人だ・・・」
俺は、手をもう一度伸ばしかけて・・・下ろした。次の言葉を紡げば、結菜は完全にここから心を飛ばしてしまうだろうから。
俺が今いとおしいと思っているのは、雪の代わりじゃない。
結菜だ。
「誰なの?」
「―――――――っ・・・」

俺が、言おうと口を開きかけたとき、なぜかドアの中に視線が泳いだ。
ドアの中には月の光が差し込んでいて、薄っすらと中に・・・人影が見えた。
世界が硬直する。
夢の時間は、終わった。

「・・・・・・・・・・・ゆ・・・・・・・・き・・・・・・・・・・。」
声は出なかった。だから、結菜には聞こえなかった。しかし、俺の中では叫びよりもずっと大きな声だった。
雪が其処に立っている。

じっと俺たちを見つめていた。泣きもせず、怒りもせず、無表情で。
俺は急に正気を取り戻した。足が急にガクガクと震えてきた。
寝ているはずじゃないのか?第一、気配など何もしなかった。いや、起きていたにしても、なぜ此処に来るんだ?来る必要なんてない場所だ。見られたのか?見られたのか!?俺が、結菜を、抱きしめたことを?
雪が、俺が雪の存在に気づいたことに気付いたらしく、俺と視線を合わせた。

そして、笑った。
哀しそうにではなく、ただ笑った。・・・俺の好きなあの笑顔で。
「悠?」
いきなり呆然としてしまった俺に対して結菜が不安そうに聞く。しかし、俺の瞳にはもうどんなに綺麗な結菜も入らなかった。
「ゆきっ!!」
俺はそう叫んでドアに突進した。結菜が目を見開いて振り返る。
「雪、って!?まさかっ!!」
いつもなら何の障害もなく簡単に開くドアが、今日に限って、開かない。
雪が笑う。しかし、何もドアは変化しない。
「ゆき!!!頼む、入れてくれっ・・・頼むっ・・・。」
どうしてドアが開かないんだ。このドアには鍵など付いていない。付ける必要がなかったからだ。
なのに、どうして。
俺は必死にドアを叩いた。しかし、ドアは開かない。
雪は笑っている。まるで俺の焦りを見透かしているように。俺が今から必死になって言うであろう弁解を聞くのを楽しみに待っているかのように。
俺はドアの前に崩れ落ちた。
「ゆ・・・き・・・」
「何やってるの、悠!!」
突然、結菜が俺の後ろで叫んだあと、俺を押しのけて、ドアを押した。
ドアは簡単に開いた。
「な・・・!?」
「な、ってねぇ。悠、ドアの前で蹲って、地面叩いてたじゃないっ。」
「・・・は?」
ドアの前で蹲って、地面叩いてた、だと?
俺が?
「何、悠・・・自覚なかったの?・・・しかも、雪なんて何処にもいないし。」
ドアの中に見たはずの雪が、何処にもいなかった。
どういうことだ?
「いや、確かに・・・」
「幻覚でも見たんじゃないの?・・・疲れてるのよ、悠は。」
確かに、いたんだ。幻覚でも何でもなく。
俺はドアを叩いたんだ。雪に言葉を聞いてもらおうと思って。
「疲れてなんて、ないっ・・・」
「疲れてるわよ・・・。顔付きからして、何か。」
疲れてなんてない。俺は、・・・明日、皓に会いに行くのだから。
いや、明日じゃない。もう日付としては・・・今日、だ。
「私たちの方で各国の仲間たちにはもう血液を送ったわ。心配しないでいいから。」
疲れてなんてない。疲れてなんてない。
確かに、今、ここに、雪がいたんだ。
「・・・で、結局誰に会いにいったの?」
誰に会いに行ったんだ?誰に会いに行ったんだ?
俺は、何をしているんだ?
「悠?」
俺はっ・・・
「悠、はるか!?」
結菜が俺の目前に迫っていた。
そう、結菜。雪になんて何も似ていない。いや、顔は同じだ。作りが全く同じなのだ。でも、見間違えようがないぐらい、違うんだ。
違うのに―――――

「近寄るな・・・」
「え?」
「近寄らないでくれ・・・」
結菜に近寄られれば寄られるほど、俺は雪を裏切りそうになる。
唇を合わせる程度で終わらなくなれば、もう俺も雪も元には戻れない。
「頼むっ・・・。・・・もう、寝るから・・・」
「悠っ!!!」
結菜が俺の肩に手をかける。俺は歯を食いしばってその手を振り払った。
触れたところが、熱い。

どうして雪以外の女にこんなに鼓動が速くならなければいけないんだ?
俺は、全速力で管理人室に行くと、シャワーだけ浴びて、寝た。
こんなことをしている場合じゃない。こんなことをしている場合じゃないのに。
起きたら、俺は皓を殺しに行くのに。
どうして、皓の妻に・・・雪の母に――。
 
 
 
コメント:
2004.07.06.UP☆★☆
次回から皓宅とか言って大嘘でした。はっはっは。
しかも火曜になってしまった・・・。

 
 
69話へ。
 
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