V A I O 69 
 
 
 
 
 
 
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車に乗り込んだのは、俺と、赤根と、結菜、そして雪の4人だった。
雪は深夜のことは覚えていなかった。やはり、俺の幻覚だったのだろうか。わからない。
しかし、雪の表情は暗かった。―――――まぁ、皓のところに行くのだから当然なのかもしれないが。けれど、なぜだか気になった。
「雪・・・?」
俯いている雪に声を掛けた。雪はぱっと俺の方を向く。その瞳に涙が光っていた。
「どうした?」
優しく、・・・けれど少し怯えながら、俺は聞いた。何を泣いているんだ?
「・・・ごめっ・・・悠が悪いわけじゃないのに。」
涙を自分の指先で拭く。わざと笑って見せた。
「でも、結希は・・・私の大切な妹だったから・・・。」
俺ははっとして自分の手を見た。あの笑顔を、さっき眠らせた。この俺の手で。
そう。今、この隔離施設で生きて、動いているのは・・・この4人だけだ。
しかし、俺は雪に謝るわけにはいかなかった。誰かに謝ったら、あの9000人近い命を奪ったことが全て無駄になってしまう気がした。
俺は無言で隔離施設を見た。もう数時間経ったら、政府でもらってきた爆弾が爆発する予定だった。
この山を吹っ飛ばすほどの威力のある爆弾が。

「・・・結局、私はまだ1人も殺したことがないんだ。」
赤根は笑いながら俺に言った。
「手、震えてたんだ。恥ずかしいんだけれども。」
俺は、人を殺した。1人殺すと、少しずつ、少しずつだけど、罪の意識が薄れてくる。命の重さがわからなくなってくる。
「だから、私が代わりに全員に血液を打ったの。」
結菜も笑っていた。
俺は少しスピードを上げた。
「あの人のそばで、たくさんの死を見て・・・なんか、慣れちゃったみたい。」
笑いながら人を殺すとか殺さないとか話す女2人。雪は助手席で、沈んだ表情をして窓に寄りかかっていた。
「慣れ、か・・・。」
人を殺すことに慣れてしまった。人の死に慣れてしまった。じゃあ、人を失うことにも慣れたのか?
雪を失ったら?
俺も笑った。
そんなこと考えたくもない。雪を失ったら?そんなこと。雪は俺にとってその他の人たちと同じにはならない。
なら・・・―――――なら、結菜は?
俺にとって、結菜は?
俺はさらに笑いながら、・・・さらにスピードを上げた。
何を考えているんだ。俺は、雪のために生きると決めているのに。


 
 
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「・・・で?」
皓がくるくる回る椅子をわざとキィと音を立てさせながら、仲藤の方を振り向いた。仲藤は一礼をしたあと、皓の側にコーヒーを置いた。そして、無表情で腕時計をチェックする。
「来ますね。」
皓はコーヒーを啜りながら、仲藤を見上げた。
「久しぶりだな。思ったより時間が掛かったじゃないか。」
「見ますか?隔離施設の様子を。」
仲藤の手にはディスクが握られている。皓はそれを見て、笑った。
「いい。もう見た。」
「じゃあ、赤根博士が何を作ったのかも?」
「別に興味ない。今現存している『VAIO』感染者にはあまり用はない。一掃してくれるのならかえって都合いい。」
今いる『VAIO』感染者は、俺に絶対服従とはいかないから。・・・いかないから、今から俺に絶対服従の『VAIO』感染者だらけにしてやるんだ。だから、赤根の作った現段階の『VAIO』探査機など何の興味もない。
皓は、真っ黒のディスプレイに向かい、キーボードから英字の羅列を打ち込む。
エンターキーと共に部屋中が青白く輝いた。

「俺が興味あるのは・・・結菜だけだ。」
部屋中、水無月結菜を映し出す。仲藤は見慣れている光景とはいえ、その映像にすら恍惚とした笑みを浮かべる皓に対して、恐怖すら覚える。
「どうしてこんなに綺麗なんだろうな・・・」
「・・・え?」
「ん、どうした・・・仲藤?」
「いえ・・・」
何か、皓の様子が変だった。そう長い間ではないが、側で見続けてきたから、何かがおかしいことぐらいはわかった。
しかし、それが何なのかと言われれば・・・答えられなかった。
「仲藤、こんな話を知ってるか?」
皓はまた回転椅子をキィと言わせた。
「どんな話ですか?」
仲藤の言葉に皓は肩を竦める。誰かの仕草に似ていた。
「・・・1人の女を見つけて・・・それで、35年間生きてきた男の話だ。」
仲藤はゴクリと唾を飲み込んだ。
「その男はな、自分でもわかるぐらい精神が病んでいた。暗い病室で青年期を過ごしていたからかもしれないが。16のとき、同級生の女を家に連れ込んで、今まで自分が考えてきた人体への実験を行ってからはさらにおかしくなった。人間をヒトとしか見れなくなり、心などないと思った。ヒトの身体を思うように弄るのが好きだった。」
皓はさらにディスプレイに英字羅列を打ち込み、もう一度エンターキーを押した。一番大きなディスプレイを持ったパソコンの隣にある膝丈ぐらいはありそうな機械から、結菜の立体映像が出た。
「頭はよかったから、そいつはこの国の最高峰、暁東大学に入った。そう、あの東京大学を遥かに凌ぐ生物医療専門の私立大学だ。そこで、・・・二十歳の時か。学会に参加することが出来た。・・・と言っても教授に付いて行っただけだったのだが。その暁東大学では、2人だけ学会に付いて行く人間を選出するということになっていたのだが、それにその男と、・・・綺麗な1人の女が選ばれた。女の方は学会の3日間中一度も男に見向きもしなかった。しかし、男はたった3日程度の学会で、女の顔が忘れられなくなった。」
皓は結菜の立体映像に手を伸ばす。だが、立体映像に触れるはずもなく、皓の手は虚空を掴んだ。
「数年後、男がドイツへ留学した時、女と再会した。そして男はそのとき弟と共に開発していた新しい医療を女に見せた。女は、自分と同じ大学に男がいたことなど覚えてもいなかったが、しかし、男のその研究をとても褒めた。男は喜び、さらにそれを研究した。」
皓は笑いながら・・・でもいつもとは違う笑顔で・・・仲藤の方を向いた。仲藤はじっと皓を見つめ返す。
「女が望むのなら男は何でもした。どうしてその女がそこまで好きになったのかももうわからなかった。ただ、男の中の何かが反応したことは確かだった。そして女を見つけてから35年間、男は今でも女のためなら何でもしている。」
「何でも・・・」
「そう、何でもだ。女が望むものなら、全て。」
女は、本当にそれを望んでいるのか?
・・・そう言いかけて、仲藤はやめた。ここまで真っ直ぐ人間を愛せる人間など久しく見ていなかった。あの鷹多悠でさえ、水無月雪1人を愛しているとは言いがたくなっているじゃないか。なのに、この男は・・・。
「本当に、男は女を愛しているんですね。」
「そうだ。」
皓は仲藤に向かって大きく頷いた。仲藤は、しかし、その目の中に何かを感じずにはいられなかった。
「どうして、今、この話を・・・私にしたんですか?」
皓はふっと笑った。仲藤に笑いかけたわけでもなく、遠い場所を見つめながら。
「・・・誰かに、聞いて欲しかったのかもしれない。」
水無月皓。この世界を破滅に追いやろうとしている男。
なのに、どうして、仲藤には、こんなに小さい男に見えるのだろう?
「誰かに、男は1人じゃない、女と2人で頑張れるんだと言って欲しかったのかもしれない。」
皓は――・・・皓は、気付いている?
仲藤は一瞬、ドキリとした。
皓は、結菜がもうそんなことを望んでいないと気付いている?でも走り出したものは止められなくて・・・
そんな、まさか。
仲藤は、皓の話が始まる前よりもさらに大きな音で唾を飲み込んだ。
「・・・女と2人で、ですか・・・。それは、私には言えません。」
皓の目が悲しそうになった。本人も気付かないほどの微弱な動きだったが。
「しかし、言えることがあります。」
仲藤は手が震えていた。
皓を、止められるかもしれない。世界の破滅を、止められるかもしれない。
「男は、戻ることができるということです。」
「・・・戻る?」
「はい。女がそれを、もし、望んでないのなら。・・・女が男を愛していないのなら。・・・男は、他の道へ行くことが出来ると思います。」
皓は仲藤の肩に手を掛ける。
「女の気持ちは、男にはわからないのに?」
「わからないのなら、聞けばよいのです。女の口から、真実が聞ける状況で。」
もう少ししたら、隔離施設からやってくるのだから。その女が。
仲藤が力を込めて言ったのに、皓は軽く鼻で笑いとばすと、仲藤に背を向けてしまった。
「博士っ!」
仲藤が思わず避難の声を上げる。皓はゆっくりと振り向いた。しまった・・・皓に向かって叫びながら呼びかけたことなどなかったというのに、と仲藤は後悔した。
しかし、皓は怒ってなどいなかった。それどころか穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「女の口から真実が語られることなどないのだよ。」
「えっ・・・?」
皓は仲藤の疑問の表情にはそれ以上何も答えなかった。
それよりも、画面の端っこに追いやられた映像に目をやる。マウスでそれを全体化する。
「・・・そろそろ、来るな。」
映し出されたのは、鷹多悠、水無月雪、赤根加乃子、水無月結菜。赤根と結菜が何か話していて、雪はしっかり前を見て座っている。悠は無表情で事務的に運転をしているだけのように見えた。
「来ますね。」
「どうなるんだろう?俺は。」
「博士?」
「どうしてこんなに弱気なんだろうな・・・。」
4人が車から降り、あのカバの皮の前でドンドンと叩いている。
「入れてやるか。」
「はい。」
「そして・・・」
皓は、また回転椅子をキィキィ言わせて、自分の背後を見た。仲藤も同じ方向を見る。
「・・・起こすか。俺の愛しい娘を。」
そこには『VAIO』液の中に浸された、結加がいた。

 
 
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「私、今日初めて人を殺すことになるんだろうか。」
「初めてとか、関係ないって口をすっぱくして言ったでしょ?殺すべき人は殺さないと、何も始まらないの!」
結局、人を殺す殺さないというトークで、皓の研究所の近くまで来た。車から降りてからも、同じ会話を出来るとは・・・。
俺は、そんな話を耳で聞きながらも必死にカバの皮で出来た壁をドンドンと叩く。
「――よく来たな――」
「皓・・・」
またあの声のトーンで響いてくる。
「――開けてやろう。さっさと来い――」
何か投げやりな調子で。皓の声を聞いて、結菜の表情がかなりきつくなっていることに気付いた。
「結菜。」
「大丈夫よ、悠。・・・私は、もう、逃げない。」
しかし皓の声はそれ以上何も言わなかった。皓のところから結菜が来ていることなどとうに確認済みだろうに。
結菜が今回は来るしかないということを、皓もわかっているということだろうか。
「お母さん。」
雪が後ろから声を掛ける。
「・・・私も、逃げないよ。」
結菜は雪に抱きついた。雪は結菜の肩に顔を埋める。
皓から逃げて、避けてきた。それが、もう少しで・・・終わる。
「誕生日なのに・・・こんな日になっちゃって・・・ごめんね、雪・・・」
「何でお母さんが謝るの?・・・大丈夫。私、笑って帰れるって信じてるから。」
「ありがと、雪。」
結菜はふわっと笑った。雪も笑う。
その横で赤根だけが神妙な顔をしていた。
「赤根?」
「・・・いや、この先に皓がいるんだなー・・・と思うと。」
赤根の手は震えていた。
「赤根・・・」
「はは、かっこ悪いな。だけれども、私にとってもこいつが最終目標だから。」
赤根はポンっと横の壁を叩いた。
そして俺に向かってにっと笑う。俺は赤根に対して頷いた。
これが、本当に、・・・最後になるといい。俺たちと『VAIO』の忌まわしき戦いが。
急に最期の結希の笑顔を思い出した。

―――――ねぇ、ハルカ。私ねー・・・『VAIO』に感染する前と感染した後。どっちも幸せだったよ。だけど、『VAIO』に感染した瞬間は、人生の絶望だと思った。・・・だから、これ以上『VAIO』感染者を増やさないでね、絶対。ありがとう。本当にありがとう。さよなら、ハルカ・・・。

皆。・・・もう、いない。
「行こう。」
3人は、大きく頷いた。
 
 
 
コメント:
2004.07.12.UP☆★☆
あーぅ!まだ微妙に皓宅じゃなーいっ!!
流石に次回は皓宅でしょう。頑張れ、最終決戦。(こう言うと戦隊ものみたい)

 
 
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