V A I O 75 「やっぱり、ばれていたんだ。」 鷹多悠の身体に、少し慣れていないせいか、僕は立ち上がるときに少しふらついた。 「わかるに決まってるでしょ?・・・・・・悠の身体のことなんだから。」 雪が切ない表情で笑う。・・・確かに、もう『鷹多悠』とは会えないのだから、当然か。 ふと見ると皓が怯えた目で僕を見つめている。 「久しぶり、兄さん。」 そして――――― 「久しぶり、結菜。」 今、『僕』は『僕』の意志でここに立っている。 「はじめまして、茶道好秋さん。・・・水無月浩です。」 総理大臣様にはペコリと頭を下げた。 「ミナヅキ、コウ??」 茶道好秋は首を捻る。 「あぁ・・・貴方には・・・『水無月結浩』でお会いしていますか?」 にっこりと笑ってみた。 「結浩・・・!?水無月結浩?・・・それが、君・・・か?」 「そうです。」 「違わないか・・・?」 「違いますよ。」 「何・・・」 「僕は、確かに水無月結浩ですが・・・この身体は鷹多悠のものですから。」 好秋はゴクリと唾を飲み込んだ。 「・・・まさか・・・」 一瞬、言葉が出てこなかったようだが流石総理大臣様。驚きの表情はそのままでも、ちゃんと言葉は続ける。 「自我の・・・転移?」 僕ははっきりと答えた。 「そうです。」 皓が舌打ちしたのが僕の耳に聞こえた。僕がにやりと皓に向かって微笑むと、その隣で呆然とする結菜が見えた。 「何を移植したんだ?脳か?」 「まぁ・・・脳の一部分、といいますか。脳の記憶を司る部分と、性格・感情を司る部分・・・まぁ要するに自我の部分ですが。その2つの部分を移植しました。」 「けれど、鷹多悠氏は・・・仲藤君の話によると生きていたんじゃ?」 「生きていましたよ。鷹多悠として。でも・・・」 「もういいよ!!」 僕の言葉を遮って叫んだのは、雪だった。 「お父さん、もう聞かないでよ・・・」 「雪?」 「その身体は、確かに叔父さんの・・・水無月浩のモノじゃないの。元にその身体を持ってた人がもちろんいたの。だけど、その人が死んだから・・・第2の脳として、叔父さんの自我が目を覚ました――・・・そういう、ことなの。」 僕は目を丸くして笑った。 「よく、わかってるじゃないか。」 「だって、叔父さん・・・もう10年以上前になるけど・・・ずっと前、私にこの計画を話してくれたじゃない・・・。まさか、その矛先が私の大切な人に向けられるなんて想いもしなかったけど・・・。」 雪は項垂れた。僕はポリポリと顎を掻く。 「まぁ、兎に角僕がどうして呼ばれたかって、『VAIO』を誰が作ったかっていう話だったろう?」 その言葉に皓が僕を睨みつける。そう、兄さんはいつもいつも・・・こういう瞳を僕にぶつけてきていたんだ。 「ここにいる、茶道好秋さん以外の3人がもうわかってると思うけど。」 「わからない。」 皓がそう、呟く。 「『VAIO』・・・。確かに、毒を出さない『VAIO』を創ったのは、お前だ。だがな、猛毒を放つ『VAIO』を創ったのは私だろうが!!」 「そうだね。」 好秋が僕を驚いた目で凝視しているのが見えた。 「そうだけど・・・最初の元を作ったのが『僕』なのに、どうして猛毒の元素がわからないと思う?」 「何を・・・!?」 「簡単なことじゃない。」 ケロッと言ってのけた雪を皓が睨んだ。 「そう、簡単なことだよ。」 「貴様らは・・・何処までも俺を馬鹿にするのか?」 「してるね・・・。だって、浅はかだから。」 「ふざけるなっ!」 皓は僕に銃を向けた。 「――・・・それで僕が死ぬと思う?」 皓は唇を噛み締めた。 「流石にそこまで馬鹿じゃないと思ったけど?」 静かに、銃を下ろす。 「本当に・・・兄さんの方がずっと頭よかったよね。・・・けど、『VAIO』を創れたのは、僕だけ。データも全部消したし。兄さんはそれを改良しただけじゃないか。」 「でも、だからっ・・・毒を放つ『VAIO』を作ったのは私だ!!」 「そうだけど・・・パソコンのデータが全て間違っていることぐらいどうして気付かない?」 皓の動きが止まった。一瞬の空白の後、結菜が笑い出した。僕は続ける。 「僕が全部書き換えたんだよ。――・・・『VAIO』毒じゃ人は死なない。さっき雪が言っていたように、養分として全てが吸い取られていくだけだ。」 まぁ、結果として死ぬんだけど。 皓は――・・・何か言いかけたが、静かにその場に手をついた。もうパソコンのデータを見直す気にもなれないらしい。結菜は1人で笑っている。何が可笑しいのかは・・・わからないような、わかるような気がするけど。 「じゃあ・・・『VAIO』毒を吸ってしまっても、『VAIO』を作ろうとする元を潰せばいいと言うことか?」 好秋が尋ねた。言い方が、これから地球人をどう生かすかという意志が感じられるから流石だ。 「まぁ、そうなんですけどね・・・茶道さんは、一体どういう防御策をお取りに?」 「僕は・・・『VAIO』毒を吸っても無害なものに変える薬を飲んだから。」 今度は僕が驚かされる番だった。 「クスリですか!?・・・マスクでなくて?」 「ああ。」 「――誰が作ったんですか?」 そんなものを作れるなんて――・・・『VAIO』毒をほぼ完璧に理解していないと出来ない。マスク程度なら、あまり理解していなくても出来るのだが。人体実験さえ重ねれば。でも、薬を作るとなるとそうはいかない。 好秋はぐるっと辺りを見回すと、1点を指差して言った。 「仲藤真也。――・・・そこに倒れている。」 指差した先には、額に穴の空いた男がいた。 「あぁ・・・」 残念。・・・どうやってその方法を見つけたのか聞き出してやりたかったのに・・・。 僕の完全な傑作を理解した、か。・・・この世には『天才』と呼ばれるべき人間はたくさんいるな――。 「ありがとうございます。まぁ、『VAIO』の元を潰すのは簡単ですよ。鎖骨の中心付近から鳩尾に掛けてを刃物かで深く切ればいいだけです。」 好秋は少し考え込む素振りを見せたが、すぐに向き直った。 「それじゃあ・・・、死ぬじゃないか。」 「死にますね。」 「なら・・・助けられないなら、意味が無い・・・」 「『VAIO』の増加は食い止められますし・・・それに、もしかしたら医療技術によっては助かるかもしれませんよ。このまま『VAIO』毒・・・正確には毒じゃありませんが。・・・それにやられたままだったら絶対死にますから、それより可能性は高いです。」 好秋は黙り込んだ。 「まぁ――・・・死んだ人間も、そうやって『VAIO』の核を潰すことが兎に角大事、っていう話ですよ。」 「だけどっ」 今度は横から声が飛んできた。僕がゆっくりとそっちを向くと、皓が息を切らしていた。 「だけど、やはり貴様が生きているのはおかしい!!俺と結菜は鷹多悠の"肉体"を殺したはず――・・・」 「もういい加減にしてくれない?」 僕は疲れた声で返答した。 「だから、兄さんたちの元にしてるデータが全部間違ってるんだよ。死ぬわけじゃないじゃないか、そんな方法で。」 『死』にはしてないけど――・・・ほぼ『死』と等しい状態になるだけで。 「あの液は何から作った?あの液のおかげで、鷹多悠の自我が飛んで、『僕』が目覚められたんだけど?」 「あれは・・・そのとおりだ。意識を深い眠り・・・永眠の状態に持っていける液体だ・・・」 「じゃあ、やっぱり悠は死んだの・・・?」 「そうだよ。」 僕は一音一音意識してその言葉を放った。それに雪は最後の希望も絶たれた感じで放心していた。 「だけど、どうして鷹多悠を選んだんだ?」 好秋が素朴な疑問、とでも言うように呟く。 「他にもたくさん『VAIO』を所望していた人々はいただろうに。」 俺は苦笑した。 「何となく、だ。」 「もう・・・やめてよ・・・」 雪が消え入りそうな声で懇願する。僕は困ったようにあさっての方向を見た後、結局続けた。 「・・・こいつの瞳を初めて見た瞬間、何て純粋な瞳をしてるんだと思ったよ。」 そして、にこっと総理大臣様に笑いかけた後、皓に向き直った。 「だから、こいつなら、僕が目覚めることなく・・・兄さんを殺せるかと思ったんだ。」 そっと、自分の心臓に手を当てた。音が、微弱ながらに鳴っていた。 僕はふ・・・と笑うと、その手を口元に持っていく。そして微笑みながら続けた。 「純粋だったのは、感情が無かったから・・・か。こいつも本当は何も純粋じゃなかった。1人の女だけを愛することすら出来ずに・・・」 僕は声を上げて笑う。 「混乱、そして動揺は、死を招くんだよな。1人を狂愛している方が、強い。」 水無月皓のように、な。 皓の方を少し見た。しかし皓の表情を伺うまでに、僕の言葉に静かに反応した人間がいた。 「馬鹿なこと言わないで。」 結菜だった。 「お、お母さん?」 雪が戸惑っている。僕も少し動揺した。・・・まさか・・・。 「・・・悠が私に揺れていた?そんなの・・・浩・・・さんならわかっているでしょう?」 "さん"をつけるところが結菜らしい。こうなってまで僕を呼びつけに出来ない彼女の性格がとても気にいっている。 チラリと上目遣いで僕を見る結菜。僕はそれに笑顔で応える。気付くなら結菜しかいないとは思っていたが・・・本当に気付いたか。 「まぁ、ね。」 僕は頷いた。 「何なの!?」 雪が吠える。 「何なの、悠は、何だったの!?」 「私を愛していたのよ。」 サラリと言ってのける結菜。こいつも・・・心底、『悪』だな。そう思うと僕は笑えた。 「・・・私、より・・・お母さんを?」 雪の声が震えている。雪は前を向くことが出来ていなかった。 「揺れないぐらいに、私に対して冷めていたの?」 「さぁ?どっちの比重が高いかなんて知らないわ。」 ひょいと肩を竦める、結菜。 「ただ・・・悠は、私も、雪のことも―――――本気で愛していたはずよ。」 けれど、それを認めることを『鷹多悠』が許さなかった。 だからあいつは結果的に"揺れて"しまったんだ。 「どうして、どうしてそんなことがお母さんにわかるの!?」 結菜がくるりとこちらを向いた。 「私がわかるのは・・・厳密に言うと、『鷹多悠』じゃないわ。・・・ねぇ、浩さん?」 『鷹多悠』がそれに気付けば、何かが変わっていたかもしれなかった。 「そう。結菜がよく知っているのは『悠』じゃない――・・・」 雪がフルフルと頭を振った。 「どういうこと・・・。まさか・・・」 僕はにこっと笑った。 「さすが、雪。頭がいいな。」 「そうか―――――・・・」 皓の呟きも聞こえてきた。皓も気付いていなかったのか。 「少しだけ、予想外だったが・・・。『僕』の鼓動が、『悠』の鼓動を動かしていたんだ。『僕』は・・・結菜を愛しているから。」 その言葉に好秋の僕に対する表情が豹変した。 鷹多悠――・・・ 『僕』から見れば、ただうまい具合に利用できた人間だった、それだけだった。 しかし、こいつが雪と愛し合い・・・こうも関わってくるとは思わなかった。 雪を見たとき反応したのは、『僕』の自我。そう、心だ。 鷹多悠が雪をどこかで見たことがあると思ったのは既視感でも何でもなく・・・『僕』の記憶。まだ微弱であったことは確かだけど。 けれど、そこから雪を愛したのは、―――――鷹多悠。 そこからしばらくは、ずっと鷹多悠が『鷹多悠』として生きてきていた。『僕』の記憶も、自我も働くことはなかった。 だが、結菜と会った時から・・・また、『僕』の心が疼く。結菜を愛して病まないから。 結菜の姿が近づけば近づくほど、『僕』の心が波打って、鷹多悠に影響する。 そして、結菜は雪に似ていた。 結菜の・・・そう、弱った時の表情は恐ろしいぐらいそっくりだったのだ。弱い人間は誰もが純粋に見えるというが、その効果かもしれない。 ・・・鷹多悠の鼓動が少しでも波打てば、『僕』の心と共鳴しあって、どうしようもないぐらい高鳴る。 そう、だから結菜に対して悠が・・・本当に少しでも『雪に似てる』と思ったら、駄目だったのだ。結菜に愛情を感じるほどの鼓動が起こった。 悠は、それに対して混乱していた。雪を愛する気持ちも嘘じゃない。嘘じゃないのはわかってる。 なのに、どうしてこんなにも結菜に揺れてしまうのか――・・・ 悠は、悩み、苦しみ、強さを失った。 『僕』は人選を間違ったらしい。 けれど、結果的に悠が皓に負けて、『死んで』くれたおかげで、『僕』の自我が復活したんだから、成功だったのか。 「お前も・・・結菜を愛しているのか。妻がいるんじゃないのか。」 「いる・・・というより、『いた』かな。死んだから。」 「水無月梅乃――・・・と政府の記事には書いてあった気がするが?」 「そう、梅乃だよ。僕の大事な妻。彼女のおかげで、僕の知力はさらに深まったんだから。」 好秋は怪訝そうな顔で僕を見る。 「生物学者には人体実験は付き物だろう?」 「・・・なっ・・・!?」 「あ、でも梅乃を殺したのは僕じゃないよ?それは・・・兄さんだから。」 皓がはぁと溜息をつく。 「結果的に私の実験で死んだだけで・・・痛めつけたのは貴様だろうが。」 「でも、彼女がそれでもいいと言ったんだ。それでもいいから僕の側にいたいと。」 "貴方に殺されるのなら構わない"。 それが梅乃の口癖だった。 「だけど、僕がずっと愛していたのは、結菜―――――・・・ただ1人だよ。初めて結菜と会った瞬間から、ね。」 あのとき、ドイツで。 兄さんの隣にいた結菜を見た瞬間から。 愛しているという言葉を素直に口に出来るのは、結菜だけ。本当に本当に大切だから。 「でも、結菜は――・・・」 「知ってるよ。誰も愛していないだろう?」 僕は結菜を見る。好秋も結菜を見る。そして、皓はずっと結菜を見ている。 「誰も、愛していないだろう?」 結菜はふっと笑った。 自分をここまでこよなく想ってくれる男が3人もいるというのに。どうしてここまで悪女になれるのだろう。 「私が、愛してるのは―――――権力、それだけよ。」 何よりも美しい笑顔で。 少し離れた場所で雪が蹲っているのが見えた。愛している者がいるという哀しさ。――・・・それを失った痛み。 けれど、僕は・・・結菜が一番悲しそうに見えた。 好きだから、という贔屓があるのかもしれないけど。 誰も愛せない悲しさ。 僕が最初『VAIO』を作った理由は・・・ 結菜の、失われた心を取り戻すため。 コメント: 2004.09.21.UP☆★☆ 80話までには第2部終わりそうです。 第3部については、あるかどうかも含めて、未定。 |