V A I O 79《第3部》
--------------------------------------------------------------------------------
「・・・はぁっ・・・」
ただ、走っていた。
「貴様らァーーーっ!!!」
必死になって、ただ、走っていた。バァン・・・と、銃声がした。近くのゴミが舞い上がる。・・・撃ってきた。俺は、自分が握っていた手を、さらに握った。温度が伝わってくる。―――――雪の、温度が。
俺たちはさらにスピードを上げた。こんなところで捕まるわけにはいかない。絶対に。俺たちは、ふたりの未来を作らなければいけない。
自転車すら通れないような裏道に入った。相手はバイクに乗っている。これでまた少しは時間稼ぎになる。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
雪の息がさらに切れてくる。俺と違って、雪は女だ。こんなスピードで走り続けていたら限界になるのも当然である。
しかし、まだ止まるわけにはいかない。今止まれば、あいつらに捕まる。捕まれば、すぐに連絡が行くだろう―――――。
ケリー・ラーン・クライス。現在の『VAIO』の全てを握る男に。
俺たちはあの後すぐに、此処アメリカ地区にやって来た。雪が茶道家を離れた時にはまだ赤子だった茶道花――そのうち総理大臣になるであろう彼は、俺たちをすぐに信じた。雪の耳の治療は今の日本地区での最高の医療を持ってしても、一生消えない傷跡が残ることになってしまった。皮膚移植をしても、完全に復活させることは不可能だった。聴力があるだけでも奇跡だと言われた――。雪は笑って言った。「嫁の貰い手があるから、大丈夫。」俺も笑った。笑わないと、雪が砕けてしまいそうだったから。
俺はあれ以来"自分以外の記憶"を見ることがなくなった。浩が死んだと言われても、感覚的にしかわからないわけだからあまり実感はなかったのだが・・・こうもあっさりなくなってしまうと、認めざるも得なくなる。
俺たちは、少しだけ元通りになり、少しだけ昔と違った。
雪の耳にはもちろんもうあの逆十字の大きなピアスはなくなったし、俺は雪の手を握ることが多くなった。
2人でさっさとケリーと話をつけてくるつもりだった。
しかし、アメリカ地区に飛んできてから早3ヶ月が過ぎ去ろうとしている。もうすぐ4月になる、今日までずっと――こんな生活が続いている。
俺たちがなぜ追われているか?答えは簡単である。俺たちが、日本人だから。
『VAIO』はあの後、やはりアメリカ地区で驚異的な広がりを見せている。一体何人が感染者なのかはわからない。管理するための隔離施設も何もない。ただ野放しになった『VAIO』感染者がウロウロしている。よって、いくつもの都市が壊滅してきている。
『VAIO』は元々日本で生み出されたもの。だから、日本人が持って入ったに違いない――。この考えから、アメリカ地区に住んでいる日本人はこの3ヶ月間、徹底的な迫害を受けている。日本人だけじゃない。中国人も、韓国人も殺られているらしい。アメリカ人にとっては、どうやら見分けがつかないようだ。
そして、アメリカ人がもう一つ神経過敏になっていることがあった。
『水無月』という名前。
日本人というだけで追ってきている今日のような奴らばかりがアメリカ人なわけじゃない。温かく迎えてくれた宿屋もたくさんあった。しかし、どうだろう。雪の名字が『水無月』とわかっただけで、怒り狂って追い出される。偽名を使うようにしても1つの宿屋にばれてしまった今、口コミでほとんどの宿屋に広まっている。耳に白いガーゼを当てている女は、水無月だ――と。
そしてさらに、俺たちには捕まるわけにはいかない理由があった。
それは、ケリーの権力の強さ。信頼の厚さ。
彼しか『VAIO』を何とかできる男はいない!などという間違った考えが、このニューヨークには広まっているらしい。捕まった日本人は全てケリーの前に連れて行かれたとか。
そのあと、どうなったかは誰も知らない。だけど俺たちなら大体の想像はつく。水無月皓と同じ人種だと考えればいいのだ。水無月皓なら目の前にいる無防備な実験材料をどうするか?――躊躇いもなく使うだろう。
それなのに、もし今俺たちがケリーの前に連れて行かれたら・・・?俺たちの考えている事全ては水の泡。俺たちの未来は、そこでジ・エンドだ。皓の手のものが、情けなどで逃がすはずはないだろう。しかも聞き込みをしたところによると、皓のように1人の女のために動いているわけでもなさそうだ。ケリーは自分のためにその天才的な頭脳を駆使している。
だけど、止めなければいけない。何処にいるかすらわからないケリーを探し出し、止める。止まらないのならそのときは――・・・。
それしか俺たちがゆっくり2人で過ごす道はないのだ。
俺は俺のために、雪のために、こうして今も走っている。
雪の手を、さらにぎゅっと握った。
雪の速度が落ちてきた。やばい。俺が無理やり手を引いて走っても、雪の身体が壊れてしまえば元も子もないのに。
喚き散らす男達の怒声は全て、英語。それが余計に雪の体力をすり減らしているようだった。
いくら2人とも英語はある程度話せるからと言っても、言葉の通じない地区。不安は高まるばかりだ。
「はる・・・・・・はぁっ・・・」
「・・・何だ?」
雪が、切れ切れの息の中から俺に呼びかける。俺ももちろん疲れているのだが、精一杯の優しい声を出す。
「・・・ごめ・・・・・・・・・たし、もう・・・」
「もう少し、頑張れないか・・・?」
「・・・・・・・・・もう・・・」
雪の顔色が、明らかにおかしい。・・・限界の、限界を突破したか。しかし、最近いつもより調子が悪い気がする。雪の身体に異変が起こっている――?いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。
何度も何度も同じ目にあって、逃げ切れなくなって―――――そんなときは。
「わかった。」
俺はゆっくりペースを落とした。そして、止まる。雪が俺の下に崩れ落ちた。俺は銃の残り弾数を確認する。・・・十分あった。
そう、逃げ切れなくなった時は、・・・俺が、迎え撃つ。俺はアメリカ地区に来て、すでに何人も・・・
さっきの男たちが再び俺の視界に入った。表の方から回りこんできたようだ。俺は身構える。
しかし、そのとき―――――
「ちょっと!貴方たち、こっちに来てっ・・・」
「えっ?」
相手ももちろん英語である。本当に、俺も雪も英語が得意で助かった。・・・まぁ、得意というよりは"理解できる"と言った方が正しいが。
「いいから、早く!!」
声からするに女。そしてさっきの男たちももう少しでこっちに気がつく。今ここで俺が男たちを殺したりすれば、間違いなくこの女は通報するだろう。・・・もしこの女が敵だとしたら―――――?あぁ、それこそ俺がこの手で撃てば済むことか。
「雪、立てるか?」
雪は俺を無言で見上げて――頷いた。
「信じて、みよう。」
信じていないのにそんな台詞を吐く。そして2人してその女の招く家の中に駆け込んだ。
◇
「初めまして。・・・大丈夫?」
その女の部屋は暖かかった。いくらもう春先だとはいえ、流石に夜になるとまだ寒い。そんな中を大して着込みもせずに、ただ逃げ回っていたのだから・・・体が冷え切っていても当然である。女が出してくれたコーヒーも温かかった。
「ああ・・・助かった。」
俺は、頭を下げて礼を言った。雪は布団の中で既に寝てしまっていた。余程疲れてしまったようだ。
「追われてるの?」
「ああ。」
俺は適当に頷いておいた。しかし、その女にはそれはすぐに気付かれてしまった。
「・・・私じゃ、何も話せない?」
俺はふぅと溜息をついた。
「初対面の相手に、信用して全てを話せと?」
女は面食らったような顔をしていたが、ふっと笑った。
「そうね。ごめんなさい。・・・でも、私まだ貴方の名前も知らないわ・・・それぐらいは、教えて?」
にこっ、と女は笑った。シルバーの短い髪がふわっと揺れる。女からは邪気は一切感じない。これも演技か、それとも本気で言っているのか。――この女は、信じられるのか。
この3ヶ月で誰かを信じて、裏切られ、そしてまた信じ・・・その繰り返しだった。今日のようにいきなり追いかけられるのも迷惑だが、ホテルで寝ているところに急に押しかけられるのも最悪だった。そう、ホテルの従業員に裏切られているのだ。
「先にそっちが名乗れ。それが礼儀だろう?」
俺は女を探るような瞳で見つめた。女は、あら、と呟いたあと、もう一度笑って、言った。
「私は、シェーンよ。シェーン・ネルソン。」
素直にさらっと答えられた。・・・流石に、こうなったら言わないわけにはいかない、か。
「俺は、鷹多悠だ。」
シェーンの瞳が大きくなっていくのが目に見えてわかった。当然なのだが、やはり居た堪れない。偽名を使うべきだったか?そう考えて自分の中で首を振った。嘘をついても、この女にならすぐ見破られてしまう。そんな気がする。
もし他の誰かに知らせるようなら、殺してしまえばいいだけのこと。
「タカダ・ハルカ・・・って・・・あの!?」
「たぶん、その鷹多悠だ。」
シェーンが口元に手を当てて、立ち上がった。
「信じられないわ・・・」
「信じなくてもいい。」
「あそこに寝ている女性は、貴方の・・・?」
俺は無言で頷いた。
「名前は・・・?」
「――雪、だ。」
「ユキ?」
あまり、言いたくなかった。
「水無月・・・雪。」
そしてシェーンはさらに驚いた顔をして、後ずさりした。俺はそんなシェーンを見ながら、思う。・・・また、出て行く準備をしなくてはいけないな。
「貴方たち、まだ結婚してないの――!?」
いやお前そっちか。
思わず突っ込みを入れそうになった衝動を抑えて、俺はただ苦笑いした。結婚なんて、する暇もないのに。
「つーか、雪の名前を聞いて・・・他に思うことがあるだろう?」
「・・・?・・・特には・・・?」
シェーンは首をかしげた。俺はまたさらに苦笑する。
「演技しなくても、別にここに長い間置いてもらおうとは思ってない。敵なら敵ってはっきりしてくれ。」
「敵じゃない・・・と思うけど。まぁ、まだ味方かどうかもわからいけどね。」
「だから・・・」
「だって、本当に他には何も思わないんだもの。しょうがないでしょ?」
シェーンは少し不機嫌そうだった。今度は俺が戸惑う。まさか――こいつ・・・本当に?
今まで、そうやって嘘を吐いて来たどんな奴も顔に表れていた。顔に表れていなくても、目に表れていた。しかし、シェーンは何処も変化していない。本当に、知らないという素振りだ・・・。
「本当に、何も・・・?」
「本当よ。」
「水無月博士の名前を知らないというのか――?」
シェーンは少し考えたあと、あぁ、と手を打った。
「『VAIO』を作った日本人のことね?そんなの知らないほうがおかしいわよ。」
「じゃあ、雪の名字を聞いて・・・?」
「そんなの、名字だけで判断できないでしょう。私の名字だって有名人でもちゃんといるわ。・・・どうかしたの?」
すらすら、そう言ってのけるシェーンに、俺は苦笑ではなく本当に笑った。
「お前・・・それ、本気で言っているだろう。」
「本気よ?何か、悪いかしら。」
「・・・いや・・・」
俺は、コーヒーの最後を飲み干した。そしてぐぐっと伸びをする。
「とりあえず、今晩だけ泊まらせてもらっても、いいか?」
「それぐらいいいわよ。あ・・・でも・・・」
「でも?」
「私明日朝早くから仕事があるから、貴方たちも起こしてしまうかもしれないわ。」
「仕事?」
「私、気象予報士なの。」
そう言ってパチリとウインク――。俺は、やっと普通に笑ってみせた。
「全然構わない。・・・ありがとう。」
シェーンも、笑った。
それが、俺たちと気象予報士シェーンの、出会いだった。
コメント:
2005.01.01.UP☆★☆
新年になりました!「VAIO」第3部スタートですv
皆様が予想していた通り、アメリカ地区編となります。
また、いきなり穏やかじゃない感じですが…ごめんね、はーくん。(ォィ)
これからまたしばらくお付き合いくださいませvv
|