V A I O 80
 
 
 
 
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 ◇ ◇ ◇

「――ん・・・?」
雪が薄っすらと目を開ける。俺はゆっくりと微笑んだ。
「おはよう。」
「おはよう・・・って・・・こ、ここ何処!?」
雪が慌てふためいた。あぁ、そんな姿が可愛いと、途方もなく愛しいと感じてしまう・・・。雪に悪いと少し思いつつも。
俺は笑って、言った。
「昨日助けてくれた女の家だ。」
今はまだ7時半頃なのだが、シェーンは既に出かけていた。4時ごろ起き出し、5時ごろ出かけていった。6時過ぎのテレビに出ていた。寝たのは2時を過ぎていたというのに、疲れを微塵も感じさせないその表情に俺は恐怖感すら覚えた。
これが、・・・プロ、か。
「・・・この人、ケリーと繋がってたり・・・しないよね?」
雪が不安げに聞いてくる。当然の疑問。あまりにものケリーの人脈の広さを肌で感じている俺たちにとっては。
俺は無言で首を振った。
「わからん。――だが、おそらく大丈夫だと思う。」
「何で?」
俺は笑って、雪の頭をくしゃくしゃ撫でた。
「勘だ。」
雪は声を立てて笑った。そしてそのまま俺の胸に雪崩れ込んでくる。
「じゃ、もう一眠りしようかな〜」
「そうした方がいいだろうな・・・これから、何があるかわからんから。」
俺がそう言うと、雪は不服そうな顔をしていた。
「どうした?」
雪は少し淋しそうな目で俺を見る。
「・・・悠も、一緒に寝よう?」
うっ・・・。そ、そんな目で見られると・・・
俺は下唇を噛み締め、自分を制御しながら淡々と答えた。
「俺は・・・まだ少し起きてる。考えたい事があるから。」
雪はぷぅと膨れて見せた。
「駄目!寝るの。一緒に寝るの〜」
「そんな駄々をこねるなよ。俺はお前と・・・」
俺がそう説明しているのに雪は俺に思いっきり掛け布団をばふっと被せた。
「・・・雪・・・。」
俺は不機嫌そうな声で布団をどけながら言ったが、雪は怯まず捲くし立てた。
「悠、疲れてる。絶対疲れてるよ。だから、寝なきゃ駄目。――この人はきっと大丈夫なんでしょ?もし敵だったらもう既にどうしようもないじゃない。ね、今は寝よう?これからのことはまず疲れをとってから考えよう?」
心配そうに俺を覗き込む雪。・・・俺は・・・。
雪に心配をかけてしまうなんて、な。
「そんなに、疲れてるか?」
「だって、頬の色も全ていつもと全然違うもん。」
雪の右手が俺の頬に伸びる。そして―――――・・・柔らかく唇を重ねた。
「まずは睡眠だよ、悠。そのあとのことはそのあとについてくるものなんだよ。」
俺はふっと笑った。
「ありがとう。」
俺は、人前に出るプロにはなれないな・・・。そんな馬鹿な事を考えていた。昨日のシェーンも今日のテレビの中のシェーンも変わらないように見えた。あぁ、けれど、もしかしたら雪には違うように映るかもしれない。雪の洞察力はたまにはっと驚かされるものがある。
「あ、でも私もゆっくり眠りたい。」
雪は、隣の布団に潜りこもうとした俺の腕を引っ張った。俺は意味がわからず振り返る。
「雪?」
雪は何もわかっていなかった俺に対して、完全に不満そうな顔で続けた。
「だから〜〜〜一緒に、ってば!」
頬が心なしか赤い。そうか・・・そういうことか。
あぁどうして俺は気づけないんだ・・・。こんなに俺の隣を必要としてくれる女がいるというのに。俺のような男を、大切に想ってくれる女がいるのに。
俺はきゅっと雪を引き寄せて、肩と頭を抱くと、呟いた。
「お前は・・・本当にいい女だな。」
雪の頬がさらにかっと赤くなる。
「何それ!」
「別に?」
俺はふいと雪と反対側を向く。
「悠?」
「俺は寝る。一緒に寝たいんだったら、勝手にしろ。」
「え〜〜!?」
雪が本当にショックを受けたような声を出したから、俺は少し慌てた。くそ、雪だって気付かないじゃないか。
突き放したわけじゃなくて・・・
「だから、こっちに来いって。」
ぅ、俺の顔まで赤いのが自分でもわかった。言えるときはどんな台詞でも言える気がするんだがな・・・あぁ、こう普通の状態で言おうとするとどうしても少しシャチホコばってしまう。人間として・・・弱いな。
しかし、雪は理解すると、ぱぁっと笑顔になって俺の布団に滑り込んできた。
雪は温かかった。あの時の冷たさは、もう雪にも俺にもなかった。
布団の中でもう一度唇を重ねた。

そして2人でゆっくりと――眠りの底へ落ちていった。



静かに――時だけが流れていた。優しい瞳が浮かんでは消えていく。君はだあれ?僕はだあれ?
もう少し・・・もう少しで辿り着ける・・・。何処へ・・・?それはお前は知らなくてもいい俺だけが知っている。
きっとお前なら生きていけるから。無理だよ。俺はもう死んでしまった。どうして。お前の最愛の恋人に殺された。
違う!違う!!雪は誰も殺してなんか。それが違うだろう。俺の恋人はたくさんの人を殺した。僕の恋人は。殺してなんか。
『VAIO』の母体なんて、滅ぼしてしまえばいいじゃないか。辿り着けるかもしれないぞ?何処へ?それは知らなくてもいい。
俺だけが知っている境地。僕は知らない。君は何を思う?僕は何も思わないよ。俺はどうしたらいい?お前は黙れ。
私が世界を助けるんだ。何を言っている。だから君が大切なんだ。俺は何も聞こえない。いや聞こえてるはず大丈夫なはず。
ほら、産まれる音がしてきた。何の音だ?何度も聞いた音だろう?何の音だ?知っているはずだ。
ぐにゅる
知っている。この音を知っている。一番聞きたくない音。今まで何度も何度も聞いてきた音。自分のだけじゃない、あいつの。
きっと今もそうだろう。あいつが、あいつが・・・



「ぅ・・・くぅ・・・」
「雪!!」
俺は夢から目覚めた。寝起きが悪い・・・・・・。最近意味のわからない夢ばかり見る。――悪夢だ。イメージだけが俺の脳を支配している。赤い、ぐにゃぐにゃしたもの。・・・誰が何を言おうと、何のイメージか一瞬でわかる。
『VAIO』―――――。
そして、それは今、俺の一番大切な人間から生まれようとしている。
俺は起き上がった。部屋の隅で雪が蹲っている。俺は布団から出ると雪を後ろから抱き締めた。
「はるか・・・見ないで・・・」
「見てない。大丈夫だ。」
「は・・・るぅっ・・・ぐぅぁ・・・」
いつもいつも苦しそうな雪。そう、皓からの神経への打診がなくなってから、回数こそは減ったものの、雪は何度も『VAIO』を生み出していた。大体、1週間に2回程度の頻度・・・か。
ぐにゅるっ
生まれた。
雪の口から落ちたそれは、粘液を纏いながら俺の膝の上に落ちた。俺は動じずにそれを足で押さえ込む。そして右手で左手首を切り裂いた。
血が、滴り落ちる。
「・・・―――――っごめんね・・・・」
雪の悲痛な声が響く。俺は無言で首を振る。俺から出た血は、『VAIO』の上に落ちる。肌色の物体。中に血液があるのだろうか。いつ見てもビクンビクンと波打っている。まるで心臓のそれのように。
そして、俺の血が掛かった『VAIO』はさらにひくつきを酷くする。のた打ち回っているのだろうか。そしてどんどんその大きさを小さくしていき――最後には、消える。
その頃には丁度俺の手首の傷も塞がっていて、辺りに血痕と変な粘液のあとが残るだけで、他は何もない。
「悠・・・」
「大丈夫。もう、消えた。」
「いつも――・・・本当にごめんね・・・」
雪はすまなそうに下を向いた。俺は首を振った後、雪の髪の毛を優しく撫でる。
「何も、謝る事なんてない。」
「でも!!」
「大丈夫だ。」
雪の左耳元で静かに、けれどはっきりとそう呟いた。雪はそのまま俺の胸に顔を埋める。髪の毛に優しくキスをする。雪は俺の背中に手を回し、ぎゅうと抱き締めた。
「悠ぁ・・・」
泣いていた。雪は、最近特に泣くことが多くなっている。不安なのだろう。どうしようもないぐらい不安なのだろう。
自分の身体から、全ての人間を抹殺してしまう可能性を持った物体が生まれることに。普通の人間ではありえないものが生まれることに。
その不安を俺が拭い去る事などそう簡単には出来やしない。その諸悪の根源である・・・雪の身体の内部にある『VAIO』の"母胎"を取り除かなければ、きっと永遠に無理である。
しかし、こんなものを普通の医者に見せてしまえば、雪は殺される。間違いなくどんな手を使っても殺される。
だから、誰よりも信用のある医者じゃなければ無理だ。そして、水無月皓並に人間の身体を扱える医者じゃなければ無理だ。
そんな人間はいるのか?少なくとも見た事がない。まず、水無月皓並に人間の身体を扱える医者というのがどのレベルの医者なのかがわからない。俺は、その分野に関して全然専門じゃない。誰がすごいのかなど、わからない。そして、誰も信用できない。
もし、ケリーが物分りのいい奴だったら・・・皓が死んだときのことを伝えて、何とかなるような相手だったら・・・
俺はそこまで考えて、やめた。ケリーの耳に皓が死んだことなど当に入っているだろう。それでもここまで『VAIO』に対して何の手も打たないということは、ケリーは皓に対してそんなセンチメンタルなことをちっとも感じないということじゃないのか。
間違いなく、そうである。
俺は雪の身体をそっと横たえた。
「眠れ、今は。」
雪は無言でこくこく頷いた。
不安で朧気な毎日だけが過ぎていく。平穏など何処にもありはしない。たまに過ごせるこういうゆっくりな時間を、貪るように大切に使う。
しかし、その時間の終わりが来るたびに思う。
あと何度、こういう時を過ごせる――?
漠然とした終わりをどこかで感じていなかった、といえば嘘になってしまう。
 
 
 
コメント:
2005.01.15.UP☆★☆
平和だ〜。平和だし、珍しく(?)ラブラブだー。
雪がかわいい〜(親ばか)大好きだこういう女の子vv(ぉぃ)

 
 
81話へ。
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