V A I O 82
 
 
 
 
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◇ ◇ ◇


「クライス、だって?」
「あぁ。ケリー・ラーン・クライス博士だ。是非博士について教えて欲しい。」
また、同じ生活。
「お前ら、日本人(ジャパニーズ)か?」
「いや、中国人(チャイニーズ)だ。」
『日本人』だと言うことを隠す日々。
「へぇ。なら、教えてやってもいいかな。」
「あぁ、よろしく頼む。」
男はにやりと笑って言った。
「だが、おれはまだ酒が飲みたいね。・・・っと、でも金がねぇなぁー」
またか。
「・・・マスター、ここで一番の酒をこの人に。」
酒場での聞き込みというのはこれがあるから嫌だ。
しかし、こういうときは大抵・・・
「おぉ、気が利くなありがとう。しかしだな、おれは酒も好きだが女も好きだなぁ、っとそこに綺麗なねえちゃんがいるじゃねーか。」
雪はさっと俺の後ろに隠れる。
俺は男に運ばれてきた酒を注いでやると息をついてから、聞く。
「で?」
「・・・・・・女も好きだ、と言ってるが?」
しぶとく食い下がる男に、俺は畳み掛けるように言った。
「ならいい。お前が飲んでるその酒を自分で払ってもらうまでだ。俺はこのまま出て行く。」
雪をどうしてお前なんかの慰みに使わなければいけないんだ。俺は冷ややかな視線を男に向けた。
男は肩を竦めて息をつく。
「わーかったよ、酒だけで我慢するよ。」
・・・おそらく、雪をここに連れて来ること自体が間違っているのだろう。しかし、雪を何処に置いておけというんだ?無理だろう。ここアメリカ地区にいる限り、安穏の地などないのだ。
男はにやりと笑って、喋りだした。

「クライス博士はなぁ〜、最高の男だぜ?」
「最高の男?」
確かに、今までもケリーを褒める奴はいた。・・・というか、非難する奴は今のところいない。
これは、皓とは大きく違っている点の1つだった。皓は、誰からも孤立し・・・それでもたった1人の女のために・・・
まあ、そうやって人気のあるケリーだが、『最高の男』などと称する奴と会うのは初めてだったのだ。
「そ。どんな男にも靡かないカッターイねぇちゃんでも、べろべろに惚れこんじゃうほどの。」
男は酒を煽る。
「そこにいる彼女、アンタの大事な女らしいが、きっとクライス博士に会ったら惚れちまうぜ?」
俺は、溜息をひとつわざと大きくついた。――何だ、さっきの俺に対する報復か?
「その根拠は。」
「俺の知り合いがなー、ある女に惚れ込んでんだ。」
「はぁ。」
「でもな、その女は『男なんて、馬鹿ばかりよ』とかいう発言をする女でな。」
さも楽しそうに話す男。
「なのにな〜、クライス博士に一目会った瞬間からもう駄目なんだよ、あの女。」
「もう駄目?」
「『ケリー以外の男なんて、馬鹿ばかりよ』とかいうようになったんだ。」
ということは・・・
「その女は、ケ・・・じゃなくてクライス博士の見た目に惚れたのか?」
「そうでもないだろ。中身だと思うぜ?」
「じゃあ、その女はクライス博士のことを深く知ってるっていうことか?」
「深く知ってるって言うかなー・・・」
男はポリポリ首を掻く。
「今は、博士の愛人っていうポストなわけだし。」
「愛人!?」
横で雪が叫んだ。男は少し普通の調子に戻ってきていた言葉をまた楽しそうに跳ねさせる。
「そうだよ。あの女は博士の愛が欲しくて欲しくてたまらなくて、結局愛人と言うポストに収まったんだ。」
「その頃から既にクライス博士は結婚してたの?」
「そーいうこと。だけど、別にこれはクライス博士が節操ないとかいうことじゃないぜ?確かあんまり中国人には理解されてない感覚だと思ったが、浮気だとか離婚だとかはここじゃ当然の話だからな?クライス博士は、奥さんと別れないんだからよくやってる方だよ。」
俺と雪は思わず顔を見合わせた。俺たちは中国人でもないが――・・・日本でも、そこまで一般的ではない。当然とは、言えない。
「しかも、あの女、かんなりの美人だしなぁ〜」
「名前は?」
「は?」
「その女の名前だ。」
男は一瞬戸惑った。それはそうである。見ず知らずの他人にいきなり知り合いの好きな女の名前を公開白と言われてできるわけがない。
「・・・おれの口からは、言えねぇなぁ〜」
やっぱり、そうか。
「さらに酒を奢っても?」
「そういうことじゃ、ねぇんだよ。」
男は自分で最初から頼んでいたピーナッツを口に運ぶ。こりこりと噛み砕きながら、続けた。
「素性もよく知らねぇあんたに、友達売るような真似はできねぇってだけだ。」
男は俺と目を合わさないようにしながらそう呟いた。
「まぁ、あんたらから毒気は感じねぇけどなぁ・・・」
男はぐいっと酒を煽って、ぼーっとまるで夢見ごこちのように呟いた。
俺たちから毒気を感じない?・・・それは、・・・半分以上間違っている。なぜなら、俺たちは――・・・ケリーを殺すかもしれないのだから・・・
「でも、一体どうしてクライス博士について知りたいんだ?」
「あぁ、それはこの街に来た時最初に聞いた名前だったからだ。とても尊敬していると、俺たちと一緒に住んでいた奴が言っていた。」
「へぇ?そいつの名前は?」
一瞬凍りついたが、俺はゆっくり首を振った。
「それこそ、言えないな。名前まで言う必要ないだろう?個人名は、やはり安否に関わることだから。」
男はゆったり肩を竦めた。
「そうだな。さっき俺が言ったばっかりだってのになぁ〜。」
そして1人でクスクスと笑う。
まぁ、この男に会って収穫がなかったわけじゃない。他の人間みたいにケリーは素晴らしい、ということを語るだけではなかったわけだ。いきなり、愛人の影がちらついた。しかも随分気の強い女。
ケリーは、この街を助けるような発明ばかりしているらしい。何の分野を担当しているかわからないが、環境問題に詳しそうだ。
「他に、何か教えてくれることはない?」
雪が優しく男に訊く。男は少しすまなさそうな顔をして首を振った。
「・・・おれがクライス博士について知ってて、他の奴が知らないことだったらこんなもんかな。」
俺と雪が目と目で、『もう出るか?』という会話をしていると、男はさらに続けた。
「他の奴らは、みんなクライス博士をただ絶賛しただろ?」
「・・・え?」
「知ってるよ、お前らのこと。」
男は呆れたような溜息を大きくついた。
「わかんねぇか?いくら小さい街ではないにしても、行く先行く先で聞き込みしてたら流石に噂は回るぜ?おれは別にクライス博士に恩も売ってるわけじゃねぇし、全然情報売るぐらいなんとも思わねぇんだけど・・・」
男はコップの周りについた水滴を机の上に筋として広げる。
「さっき言った女みたいな、クライス盲信者たちにしてみれば、お前らはやっかいな存在かもしれんなぁ。」
「・・・・・・じゃあ、その女に既に俺たちの存在が知れてる可能性が高いってことか?」
「お、飲み込み早いじゃねぇか。――そういう、ことだ。」
男が広げたその筋は、3本、4本と交差していく。
「まぁ、一応教えておいてやるよ。その女の居場所を―――――」
男は最後に残っていた酒を、全て飲み干す。
「この街で一番大きなビルがあるだろう?そこの最上階に、バイオテクノロジーだったか・・・を扱ってる会社があるんだ。その女は、そこの―――――副社長だ。」

バイオテクノロジー。
一瞬その響きに身体が凍りついたのを自分でも感じた。バイオテクノロジーを身近なものに応用する。そして、商品化する。そう言った会社は数十年前、増え続けて・・・一旦ピークを迎えたが、今また増えてきている。
『VAIO』。強力再生培養肉。それの出現のおかげだ。それを阻止する技術も、バイオテクノロジーの技術を駆使しない限り生まれないだろうと考えた科学者は多く、そして地球政府もそう感じたため、そういう研究機関に莫大なお金を掛けたのだ。
やはり、研究に金は必要だ。逆に言えば、金があれば色んな研究が試せる。一発で成功する研究などない。何度も試行錯誤を繰り返して、漸く成功するのだ。しかし、金がなければ試行錯誤をすることすらさせてもらえない。錯誤は出来ても試行が出来ないのであれば、所詮それは机上の空論なのである。地球政府の内部がそうであったように。

女の居場所を聞いた俺たちは、男に例を言って、もう一杯酒を頼んでからその店を出た。
辺りを見ても、どれも同じような高さのビルに見えて仕方がない。俺たちは確認するために近くにあるホテルに入ることにした。

俺が歩き出そうとしたら、服の裾が引っ張られた。振り返ると、雪が不安そうな顔で立っている。
「・・・どうした?」
「ごめん・・・でも、なんだか・・・」
少し眉を潜めて、俯く。雪がこう言った表情をするときは必ず何かある。
「何でも言えよ?」
俺は雪の方に優しく手をかけ、諭すように呟いた。雪はゆっくり頷く。
「私の・・・気のせいだと思うんだけどね・・・」
雪は俺の上着の裾を持つ手に力を込めた。その手がかすかに震えている。
「・・・あぁ。」
「凄く――嫌な予感がする。」
「嫌な予感?」
「会っちゃいけないひとに・・・会うような気がする・・・」
俺は首をかしげた。
「それは、ケリーを盲信してる女のことか?」
雪は俯いたままだ。
「・・・わかんないけど・・・異様に胸騒ぎがする・・・」
雪の顔色は青白く、本当に俺たちを心配しているのが身にしみる。俺は、静かに、雪を抱き締めた。
「・・・お前は、不安なんだよ・・・」
雪はやはり、温かくてそして――・・・
「俺に、任せろ。」
「でも・・・」
「大丈夫だから。何があってもお前は俺が守る。・・・だから、絶対危険なことはするなよ・・・?」
「するつもりはないけど・・・」
「つもりがなくても、今までずっとしてしまってるだろう?・・・もう、お前は十分色んなことをやったんだから、全て俺に任せておけばいい。俺の後ろにいろ。そして、ケリーの恐怖さえなくなったら・・・」
雪を抱き締める手を強くする。
「はるか・・・本当にごめんね・・・ありがとう・・・」
「あぁ・・・」
雪は、柔らかい。
本当ならずっとこうしていたい。ずっとずっとずっとだ。ケリーなんてどうでもいい。ただ隣に雪がいて笑っていられればそれでいい。匂いを嗅いでいられればそれでいい。抱き締めていられればそれでいい。
でも――・・・今は、それは、出来ないから。
俺はゆっくり身体を離すと、雪の手を握り締めてホテルに向かった。
 
 
 
コメント:
2005.02.18.UP☆★☆
15日にアップするのすっかり忘れてました・・・(汗)
何だか抱き締めたりするシーンが多いのは、気のせい?

 
 
83話へ。
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